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マメヒコPart3 あと2日 [雑感]

3店あるマメヒコの,いちばん新しいパート3が,10日(月)でクローズして改装に入るというので,見納めと称して何度も押しかける。お気楽な外野から見ていても,それはそれは大変そうだったので,再オープン後はもう少しスタッフのみなさんがゆっくりできるといいのだけど(無理でしょうね)。

改装後のメニューや人のやりくりなんかがまだ決まっていないので,何が見納めになるのかわからないところが謎。設備や什器なんかはそのまま使われるそうだけれども…

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焼き網に載っているのは,巨大な切り餅…なわけはなくて,食パン(トースト)。美味。

祝・マメヒコ渋谷店4周年(9/14) [雑感]

いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」渋谷店がきょうで開店から4周年。

2007年9月にはじめてお邪魔した時からかぞえると、メニューはむろんのこと、スタッフのみなさんも何代も替っている(ついでに,中央の大きなテーブルも…)し,いまや休日の午後などに伺うと満員で入れなかったりする人気の店なのだけど、きちんとした対応とおいしいお茶は変わることがない。スタッフは年々歳々変わっているのに客のほうはいつも同じ時間にお邪魔しているというのも妙な気分ではあるが。

さまざまな課題をかかえながらも挑戦を―それも,かなり困難な挑戦を―続ける姿勢もすがすがしく、町のカフエにこれ以上望めることはないと言い切ってもいいぐらいだ。
これで当時のように、朝8時からお店を開けてくださりさえすれば言うことはないのだが…

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光の探求・闇の誘惑(レンブラント展) [雑感]

レンブラントの版画が好きだ。

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(田舎屋と一本の木のある風景)

もうずいぶん前にボストン美術館(って名古屋のボストン美術館ですよ)でやってた版画展で見てすっかり気に入ってしまった。暗闇とか光を追求する作品も好きなのだけど,なんといっても,風景を扱った版画で,余白が効いている作品がすばらしい。ここですばらしいとは,何もかも説明しようとしない俳句的な描き方が,読み手としてとても共感できるということ。

なかでも好きな作品が「シックスの橋」「アムステルダム郊外,オムファル(廃虚)」「田舎屋と一本の木のある風景」「三本の木」だが,今回は「シックスの橋」以外の3点を再見することができた。紙の質感,わずかに滲んだ黒い線,余白で描かれている大きな空。レンブラントが俳句を詠んだら面白い句を詠んだだろうなと思う。

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(アムステルダム郊外,オムファル(廃虚))
ぼんやり眺めているうちに
小流れをゆきすぎる舟夏木立
などという句が浮かぶが,どうも説明になってしまうので忘れることにする。

「イタリアの風景のなかで読書をする聖ヒエロニムス」にはライオン(ヒエロニムスが棘を抜いてやったライオン)のうしろ脚が後側からリアルに描かれているのだが,説明を読むと「レンブラントは,オランダ東インド会社が北アフリカから運んだライオンをよく見てスケッチをしていた」という。おお。

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(シックスの橋)

大満足して近くのカフェに入ると,布地で手づくりしたメニューの絵が,これまたレンブラントの版画のような黒い細い線で描かれていてびっくり。よい一日。

(2011.7.16 名古屋市美術館)

ティークリッパー再び [雑感]

かつて吉祥寺の町中にあった紅茶専門店「ティークリッパー」には,武蔵野市民文化会館への行き帰りによく寄ったものだった。

いつの間にか消えてしまて残念な思いをしていたが,駅前で昼間だけ営業していることを知り,訪ねてみる。

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夕方以降営業するバーと施設が共用なので,かつての店内とはだいぶ様子が違っているが,おかみさんが昔のままなのがうれしい。むせるほど濃厚なアッサムと,これまた濃厚なタルトタタン(なつかしい味!)をいただく。初めて訪ねてからもう15年になるであろうか,こちらがすべったり転んだりしても,つねにこうして営業している店がいくつもあることは嬉しい。ハモニカ横丁をぶらぶらして家路につく。

マメヒコ始め(1/15) [雑感]

渋谷駅へグーグルの巨大広告を撮影しに行ったが,掲出期間がもう終っていてがっかり。
気を取り直していつもお世話になっているマメヒコ渋谷店へ行き,「紅玉の焼きりんご」をいただいて今年のマメヒコ始め。
「あかねの焼きりんご」とも「ハックナインの焼きりんご」とも違う,正調焼きりんごといった趣き。

店長さんがむかしのメニュー(このカフェはメニューをしばしば全面刷新する)を見せてくださった。たった3年前,2008年春のメニューを見て,そのなつかしさにクラクラする。ベーグルとかポークビーンズとかサラダとか,とうになくなってしまった懐かしい一品!
見ていてハッと気付いたのは,メニューに張られた白い小さな紙に書かれた「終了しました」という手書きの文字。今は別の道に進まれている当時の副店長Nさんの筆跡だ。

マメヒコ納め [雑感]

帰京する新幹線の中で年賀状のコメントを書き続け,16時すぎにようやく全部投函。
泥縄式歳晩だった去年とあまり変わっていない。

千代田線の代々木公園駅から歩いて,マメヒコへお邪魔する。滝口先生の中国茶→江尻さんのロースカツ→途中買い物をはさんで渋谷店の焼林檎とアッサム,という長っ尻コースを堪能。
マメヒコ史上最もエポックメーキングな年だった(はず)だが,みなさん見かけ上は平然と年末を迎えておられるようで,さすがプロですな。

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焼林檎はハックナインという品種なのだそうで,酸味が効いた「あかね」とはまた違った甘味のある焼林檎。おいしくいただき大満足して家路につく。


なんでそうなるの [雑感]

航空管制官の管制ミスに関する刑事裁判の最高裁決定(最一小判平成22年10月26日・判例集未登載)を読んで暗然とする。

法律のあてはめについては素人なので,普通にあてはめるとそういう判決になるのかもしれないが,国交省の事故調査報告書を読んだ上で今回の決定文を再読すると,会社員の皮膚感覚として,この判決には以下の二つの点で疑問がある。

1.従業員の判断ミスに対する刑罰として,程度が適切なのか
2.処罰感情への迎合があるのではないか

まず1について。
従業員は一定の確率で判断ミスを犯す。気の利いた従業員ほど確率は低くなるが,それは程度の問題にすぎない。それをカバーするために,担当者同士の相互チェックや上司のチェック,さらには監査部門のチェックや会計監査人のチェック…といった対策が講じられているわけだけど,いずれにしてもゼロにはできない。
それに対する罰が重すぎると,業務上の権限に比べて責任が重すぎるということになるわけで,航空管制官や医者のなり手なんかいなくなってしまうのではないだろうか。

その点で特にむかつくのが宮川光治裁判官の補足意見の一節に見える
「本件は,そもそも,被告人両名が航空管制官として緊張感をもって,意識を集中して仕事をしていれば,起こり得なかった事態である。」
「そうした切迫した状況下では,管制官には,平時にもまして冷静沈着に,誤りなき指示を出すということが求められているというべきである。」
という表現である。
あのすみません,宮川裁判官は,執務時間中の一瞬たりとも意識の集中を欠いたことはないんでしょうか。もっとも,判決文書き間違えてもただちに人命には影響しないだろうけど。
この管制官たちが飲酒してたとか,2人でチェックしながらやるべきところ1人でやっちゃったとか,そういう重大な過失があるなら別だけど,普通に仕事していて,バックアップ要員(指導者)も含めて修正しきれなかったわけでしょ。それに,それなりの職業的訓練を受けていても,切迫した状況下ではむしろ判断力が低下するのが標準仕様だと思うんだけど。これって,実務を知らずに怒鳴っているバカな管理者の言い草と全然変わらないじゃないか。

次に2について。
なんともいやな感じなのが,この宮川裁判官の補足意見にも見える「(責任を問わないことが)現代社会における国民の常識に適うものであるとは考え難く」という一節である。何かといえば悪者探しをして,重罰を課さないと気が済まないという,社会全体に充満する処罰感情(なにも週刊誌の専売特許でなく,みんなの党なんか悪者探しに血道をあげることで政治生命を維持してるわけだけど)が気味悪いのだ。
 いや,その処罰感情の高まりが,住民全体の順法意識の高まりを反映しているというならまだ納得もするのだけど,国民年金未納率の問題を見てもわかるように,自分には優しく他人には厳罰を,という3歳児的な処罰感情にどこまで司法がつきあう必要があるのだろうか。国民全体は3歳児でも,被害者本人の感情は尊重されるべきでしょ,という指摘はわかるが,そういう場合の感情というのは,経験的にいえば,時として「自分の人生棒に振ってもいいから,とにかく報復したい」というようなものになりがちなのだ。それをどこまで積み上げても,あまり社会が前進するようには思えない。
 同様のことが,自分の情報は個人情報としてひたすら秘匿しながら,他人の給与明細とか役所の人件費とか政治家の資産とかに首を突っ込みたがる変な傾向についてもいえる。

 話を元に戻すと,刑事裁判なんで,過失を問えないとなる場合以外は一定の基準で罰をあてはめなきゃいけないという理屈はそうなのだけど,それでいくら重罰を課したって,被害者の溜飲は下がるかもしれないが全然問題の解決にはならないどころか,かえって当事者が黙秘していたほうがいいってことになるばかりなのに,なんでそういう方向へ進んでいかないのだろう。
そこまで考えてみると,どうも,

自分も含め,自分たちの属するこの集団は,年々劣化している

と考えざるを得ないのだが。
 かすかな救いなのが,櫻井龍子裁判官の少数意見で,すっと腑に落ちるものがある。また,その末尾で上告理由についての所論を「重要な問題提起」と捉えているが,これは巨大システムの運営や安全にかかわるすべての人々にとって,納得できる視点ではないだろうか。

(次の授業のレポートを書かねばならないので,これ以上この記事が書けないのが残念!)

今年もあかねの焼林檎(10/3) [雑感]

オープン二日目の「マメヒコパートⅢ」にきのう長っちりをしてしまったので,きょうはお江戸からの帰り際に渋谷店に寄る。ちょうどおやつの時間なのだが,きょう最終日の「枝豆ロール」にしようと思いながら店に入ってみると,テーブルの上に林檎が山積み。おお,あかねの焼林檎が始まった…

ちょっと迷うが,食べられる限り焼林檎が食べたい性分なので,こちらを注文する。アイスクリームを乗せてもらって出てきた焼林檎は,やはりなんともいえずおいしそう。

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ナイフを入れてかぶりつくと,中の詰め物がどろりとあふれ出てくる。ほんの一瞬,現実を忘れてラムの香りにうっとり。



マメヒコパートⅢ [雑感]

いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」が新しい店を出すというので,1日遅れて推参。
ドアを開けるといきなりクラシックなカウンターにクラシックな回転椅子,壁面にはダイヤトーンならぬ「ミツビシ」のスピーカーが埋め込まれている。出すのはサイフォンコーヒーって,いったいどこまで凝るんですか,社長。

その奥にはなぜか,とんかつ屋。カフェでとんかつ!
そのとんかつ屋のメニューはロースカツ定食とヒレカツ定食だけ!
しかも営業時間は14時から23時って,どこまで常道を拒むのか…すごい。

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唯一のフードメニューであるトーストをお願いすると,マストレスが厚切りトーストを焼き網でトーストし始める。そうそう,トーストは焼き網で焼くとおいしいんだって,誰かが言ってたよな…とふと考えてはっとする。
先日急逝された,マメヒコ友の会の中心人物だったSさんではないか。
偶然とは思えないような符合。いや,偶然であってもなくても,このお店の挑戦を面白がって(というとずいぶん表現が軽いが)ささやかな声援を送るお客も含めて,経営者・スタッフ・物好きな客の三位一体でマメヒコ魂が形作られるのだと思いたい。

枝豆とビール [雑感]

いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」へ行き,枝豆とビールをいただく。

枝豆とビールって,何だか当たり前のようだが,この枝豆のために,スタッフが春から十勝の大樹町まで本当に移り住んで,およそ1ヘクタールの畑を農薬も除草剤も使わずに育てたという逸品なのだ。夜陰に乗じて侵入してくるB29,じゃない鹿の群に食い散らかされたりしながらなんとか収穫までたどりついた貴重な枝豆を,おいしくいただく。歯ごたえがしっかりして,かすかな塩味だけで十分おいしい。

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ビールはヒューガルテンで,ふわっとした味なので枝豆に負けてしまっているのが残念。アルコール類がこのカフエの唯一の弱点なのだけど,ここはハイネケンとかヱビスのようなしっかりした味の銘柄がほしいところ。

枝豆を収穫して渋谷に戻ってきたマネージャーは,また大樹町に戻って10月まで収穫を続けるという。向こうに行っている半年の間には,マメヒコ友の会の大黒柱が急逝されるという悲しい出来事もあって,ひとときしんみりする。お店は14日で3周年。いつも全力疾走しているような3年間,本当にお疲れさまといいたい。

夏休み [雑感]

久々にマメヒコでまったり。

真夏の夕方、そんなに混んでないだろうと思いきや、大盛況…滝口先生も出動してテキパキさばいていくのは、見ていて気持がいい。

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くるみ餅(7/30) [雑感]

あわただしくお江戸へ往復し,いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」に立ち寄る。
4日間だけの限定で供されている「くるみ餅」をいただく。
期間限定なのももっともで,くるみの渋皮を全部手でむいているというのだ(苦味が出るから)。
1人分につきいったい何分かかる計算になるのだろうか。気が遠くなるほどの手間ひま。
そうと知っていれば(いや,そうと知らなくても),おいしいのも道理だ。
よく冷えた梅山高山烏龍茶とあわせて,至福のひととき。

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曳くなら曳かねば(5/3) [雑感]

きのうは定点観測だったので,きょうは本一を曳いてみようと決める。本一を曳ける機会なんて,もう一生ないかもしれないわけで。列の前のほうにスペースを見つけて引き綱にマイ引き綱(曳き紐?)を取り付ければ,追い出される心配はない(はず)。
曳いている位置からは,柱ははるか後方で,ほとんど見えやしない。それでも後ろのほうから咆哮にも似た声があがると,引き綱がちゃんと動き出すのは不思議。「よいさ」「よいさ」と叫びながらゆっくり前進していくのは,なんとも不思議な気分。

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帰らなければいけない時間が迫ってくる。列の先頭が本宮近くまで来て,ここからは本職の曳き手に委ねられるので,少しずつフェイドアウトして道草を食いながら退却。諏訪信用金庫のきれいなお姉さんたちの長持唄がなかなか素敵。
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まつりだまつりだ〜(5/2) [雑感]

30日の晩は3時まで課題作成,1日の晩は2時まで飲み会だったが,きょうから御柱祭なので,休養している場合ではない。なんたって今回は,六さまの地区が栄光の「本一」を引き当てている。いまその勇姿を見なければ,次は何十年後かわからないのだ。

3時間しか寝ていないので常にも増して頭がぼんやりしているが,バスに乗ってターミナル駅へ。バスが着いたのは55分,信州への電車は毎正時に出る。遠距離用自販機で切符を買うのに3分。走れるような状態でないことはわかりつつもホームまで疾走。それがかえって功を奏し,自由席の最後の1席にありつく。当然,新聞もお茶も放置して爆睡。レビューすべき原稿なんて見る気もしない。

塩尻で中央東線の各駅停車に乗り換えると,すでに法被を着ているお客さんがちらほら。いいなあ。
茅野の駅を下り,あえてシャトルバスに乗らず旧道を歩いてゆく。20号線を渡り,宮川を渡るとむこうに御柱屋敷が見え,すでに本一と本二が曳行を始めているのがわかる。

後ろから本二,本一の順で追い抜いてみるとやはり本一が格段に立派。駅からおよそ1時間,荷物を下ろして法被に着替え,気分も諏訪市民になったところで本一を迎えに行く。沿道のアパートの二階を定点観測所にして,きょうは本一から本四まで全部見てやろうと決める。
まず本一。カメラを構えていたら六さまが目ざとく気付いてくれる。すごい視力。黄色と紺あるいは黄色と黒(この組み合わせは村ごとに違うが,基本は黄色)の組み合わせは前回と同じで,たぶんずっと以前から同じなのであろう。それがご神木の周囲やめど梃子にびっしり集まっていると,視覚的にもすごい迫力。
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目の前を本一が通り過ぎて一息ついていると,後ろから本二の若い衆が突っかけてきた!

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左側が本一の末尾(梃子衆が防戦のために集まっている),右側が本二の先頭。梃子棒を立てているので,群衆が上方へ物理的にふくらんでいるように見える。喧嘩といっても半ばパフォーマンスなのだが,大変な盛り上がりぶり。

お昼休みになっても,周囲に飲食店があるような場所ではないので昼食は望めない。それでもコンビニへ行ってみるが,おにぎりを買うのに約30分の列。普段の日曜日の何十倍だか何百倍だかの売り上げになっているのだろう。予め買って行くという鉄則を守らなかったばかりに大変な思いをする。トイレを借りる人の列は,店の外まで出ている。
午後の曳行が始まり,すぐ現れる本二。こちらは赤と黒で固めた色使いで,ちょっと雰囲気が違う。
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本二のあと三十分ぐらいで本三。

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そのあとかなり間があいて本四。でも待っただけあって,喇叭隊のできは一番よかった(あえてテンポを上げず,ややゆっくりと正確に吹いていたので引き手のリズムが合わせやすい感じ。桜色と薄緑色という組み合わせも前回と同様。ちょっと日本の色使いではないが…
柱の横に車いすで付き従う法被姿の男性がいて,途中からまわりに抱え上げられて柱に乗っている。どのような経緯があったのかわからないが,山出しで怪我でもしたのであろうか。

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本四が通り過ぎたので,急いで前宮の境内(石段の横)に移動する。
前一から前四まで順番に通り過ぎるのだが,前一は一番太い柱であるにもかかわらず,あっさりと方向転換(90度左へカーブ)をこなし,ほとんど止まらずに石段をどんどん登っていく。人が引っ張っていることはむろん頭ではわかっているが,実際に至近距離で見ると,ご神木がなんらかの意思をもって上っているように見えるから不思議。また,柱の前方が坂を登りきって平坦なところに落ち着くと,後方は坂の途中からぐっと尻を持ち上げるので,上に乗っている梃子衆も一緒に持ち上がってしまう。

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前一があっさり上ってしまったのに比べて前二は大変な苦労。まず方向を変えるのに手間取り,鳥居をくぐるのに手間取り,さらにメド梃子を付け替えて小さくするのに時間を浪費する。なかなか進まないので,メド梃子に乗る人数を制限してようやく動く。いけないことに,前二の喇叭隊はチューバがいたりして本格的なのだが,芸術家肌の隊員が多いのか,無駄に音を出すので回りが若干しらける。それでも最後にはどんどん坂を上っていく。観客から思わず拍手が沸く。

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前二に突っかけていた前三は,比較的あっさりと坂を登っていく。狭い参道は,ご神木が通った跡が黒く変色して削れている。

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ちなみに,前三のみなさんが3月の吹雪の中で猛練習をしている様子をここで見ることができる。
前三が上っていったのがすでに18時すぎなので,上るのを前四まで全部見ていると相当暗くまた寒くなるな,というのであと1本を残し撤退。この段階で,先頭が前宮の前を通り過ぎて本宮寄りに進んでいる(ご神木が角まで到達したところで止まり,曳き綱を参道側へ動かす)。
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キャップ・ジュビーへの旅 ⑧(2/20) [雑感]

朝飯にガレットのような薄焼きのパンが出てくるところは,やはりフランス式なのであろうか。
ティーポットを高く掲げて砂糖をまぜながら注いでくれるミントティーのお作法にも慣れたころ,モロッコを後にしなければならないのは残念。
この宿屋,フランス人が経営するためかどことなく「西洋人が見たモロッコのイメージ」に制約されているのだが,とはいえ,屋上に並ぶオリーブとローズマリーの鉢は,モロッコらしい茶色とピンク色の外壁や,素焼きの鉢によく合っている。

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マラケシュの空港でカサブランカ行きの飛行機に乗り込むが,いつになっても出発しない。アナウンスを聞いていると,「この飛行機はカサブランカ経由ロンドン行きですが,乗客の団体さまの一部がまた搭乗されていないので,お待ちしています…」って,その団体って,さっきチェックインカウンターで女性教師に率いられていたイギリス人の女子中学生の団体でしょ!
隣の席の老夫婦がペーパーバックを読みながら皮肉っぽく「こういうのって困るよね〜」というので,真意は定かでないが深く頷く。
それから待つこと1時間。そろそろカサブランカでの乗継ぎがあやういな〜困ったもんだと思いはじめたころに涙目の中学生4人現れる。教師と抱きあっている暇があったら,早くシートベルト締めてほしいな〜

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キャップ・ジュビーへの旅 ⑦(2/19) [雑感]

朝飯を食べ終わって,とりあえず何もすることがないとは何と幸せなことであろうか。
もっとも,本当に何もないわけではなく,いま何もない分だけ机の上には未決書類が時々刻々山積みになっていくわけだが,それはなるべく考えないようにして…

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ちょっと新市街へ出てみたがちっとも面白くないので,また旧市街に戻って迷路を楽しむ。三日目にしてようやく,少し方向感覚がつかめてきた。注意深く店を観察していると,ところどころに今風の,というべきか,「障害をもつ女性のための協同組合売店」とか「デイケア施設と手工芸品の店」「自然素材の石鹸専門店」といった店―そういう店は,フランス語や英語の看板を出しているのでそれとわかる―があることに気づく。

そのうちの一軒「Al Kawtar」は,同じ旧市街にデイケアセンターを運営している工芸品店で,アラビア風だったりベルベル人風だったりする刺繍がすばらしい。男の一人暮らしで使えそうなものがほとんどないのは残念だが,ランチョンマットをいただいて帰ることにする。ここでは現金掛け値なしだし,値切る客はいない。

旧市街の民家はどれも中庭をもっていて,その回りに建物が配されているのだが,近年そうした民家を買い取って,レストランやホテルに改造するフランス人オーナーが多い。いま自分が泊まっている宿もそうなのだが,きょうお茶を飲みに入ったカフェは,まさにそうしたおしゃれなカフェで,スークのカフェの5倍ぐらいの値段をつける。まあその分,静かで快適なのでそれはそれでかまわないのだ。どのくらい静かかというと,鳥が目の前のお茶菓子をついばみにくるほどで…ちょっとびっくり。

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きょうも雨がふったりやんだり。夕方になって強い雨が降ったが,やがて雲が切れると,ジュマ・エル・フナ広場に太くて濃い虹が立つ。物売りも観光客も虹に見入っている。

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キャップ・ジュビーへの旅 ⑥(2/18) [雑感]

特にすることもないので,旧市街のスーク(市場)を冷やかして一日歩き回る。

このスークが,方向感覚をめちゃめちゃに狂わせてくれる代物で,いままで自分が抱いていた方向感覚への自信を粉砕されてしまった。それぐらい道に迷う。45度ずれるなどはざらで,「何でこんなところに出たんだろう??」と思うぐらいめちゃめちゃな方向へ歩いてしまう。道がまっすぐじゃない上に細く,また通路の上に屋根が葺いてあるために太陽がみえず,さらに店がどれも同じように見える(英語どころかアルファベットの看板自体が少ない)ので,方向を失ってしまうのだ。これほど盛大に道に迷ったのは初めて。「迷路のような町並み大賞」を文句なく贈呈したい。(人によれば,フェズの旧市街はもっとすごいらしいが…)

が,迷ったら迷ったで,その辺の店に入って他愛もない話をしながら歩き回るのもこれまた楽しい。歩き疲れたらカフェは山ほどある。出てくるのは当然,ミントティーである。
道が狭くて自動車が通れないので,かわりにバイクとロバ車が大活躍しているのも面白い。

旧市街のシンボルであるクトゥピアの裏を歩いていると,塀に「アルカイダ万歳!」などと大書されていて穏やかではないが,モスク自体はオレンジの植え込みの中にあってとても美しい…が,異教徒は入れてくれない。

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キャップ・ジュビーへの旅 ⑤(2/17) [雑感]

目が覚めると,大雨の中を走っている。
いまどのへんなのか…やがて明るくなってくると,アガディールの手前であることがわかる。あたりは一面の林と草原で,すっかり景色が変わっている。

アガディールからマラケシュへ向かう国道が雨で通行止めになり,海岸ルートを迂回してエッサウィラ経由でマラケシュをめざす。至るところで側溝があふれたり小川が氾濫している中を,なんとかかわして進んでいく。日本だったらとっくに運転打ち切りになるところだが…

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結局18時間ぐらいかけて,午後3時にマラケシュに到着。たいへんな大都会なのにはびっくり。
新市街のど真ん中に着いてみると,マクドナルドまである。「マックアラビア」の大きな広告が目をひくが,あの中身は何だったのだろう。

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しかし市バスに乗って旧市街で降りると,そこは別世界。
自分が予約しておいたはずの宿屋に,なかなかたどり着けない。

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キャップ・ジュビーへの旅 ④(2/16) [雑感]

さて見るべきものは見てしまったので,あとは日本に帰るだけだが,帰りの便が出るのは土曜日なので,それまでちょっと時間がある。

本当なら,南方郵便機のルートに沿ってキャップ・ジュビーから
・シズネロス(現在のダクラ(西サハラ))
・ポール・エティエンヌ(現在のヌアジブ(モーリタニア))
・サン・ルイ(セネガル)
・ダカール(セネガル)
と南へ陸路を行くべきところだが,ダカールまで行くにはちょっと(いや,かなり)時間が足りないし,きちんとした準備もなしに通れるルートでもない。
なので,お気楽にマラケシュに寄って帰ることにする。

タルファヤのメインストリートにあるバス会社の事務所へ行き,上りのバスの切符を買おうとすると,次のバスは午後9時半だという。いま正午すぎなので,あと9時間もある。
バスはやめてグランタクシーを乗り継いで東へ進もうかと考えたが,マラケシュまでは800キロもあるので,タンタン,ティズニット…と乗り継いで行ってもアガディールの手前で日が暮れてしまう。そこで宿を探しても,明日の朝早くにまた同じことを始めなきゃならないので,それなら夜行バスで一気に行ってしまったほうがよさそうと判断して切符を買う。

それはいいが,9時間も何をすればいいのか…
ふだんオフィスや学校では,30秒とか5分とかの単位で何かをすることに血眼になっているわけだが,いきなり9時間も時間があると,残してきた仕事の山を思い出して頭が痛くなる。
まあしかし,呼べど叫べど仕事をやるわけにはいかないので,まず2時間ぐらかけて昼飯を食うことにする。メインストリートに面した食堂のうちいちばん大きそうなところに入ると,問答無用でタジン鍋が出てくる。日本で見かけるような小じゃれたタジンではなく,学校給食にでも出てきそうなアルミの円錐形をしているが,中身はおいしい。鳥肉と野菜がよく蒸しあがっていて,スパイスも効いている。回りを見ると,ナイフとフォークを使って食べているのは自分だけで,みんな手で食べている…

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食後はもちろん時間をかけてお茶。モロッコ名物?ミントティーに砂糖をどっさり入れてまったりする。普段飲んでいる紅茶とはまったく別の飲み物になっている。

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町に3軒しかないカフェに腰を据え,通りを行き来するロバ車を眺めながら絵はがきを書く。蝿がぶんぶん飛び回り,カフェというのもどうかという風情だが,カフェはカフェなのである。バックパッカーの格言?に「一日一事」(ワンデイ・ワンシング)という言葉があるが,こういうところへ来て効率性を求めても仕方がないので,これでいいのだ。

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町を3周ぐらい回り,女子高生6人組に英会話の練習台にされ,海岸で夕暮れを見物してもまだ時間がありあまっているので,さっきの食堂にもどって晩飯にする。もうごはんはないので,豆のスープでいいか?といわれるが,いいも悪いもない。ヒヨコ豆のトマトスープがまた,実においしい。

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キャップ・ジュビーへの旅 ③(2/16) [雑感]

1泊144DH(約1500円)の安宿は,夜の間じゅう風で揺れ続ける。
道を1車線ずつ渡り(この呼吸を思い出すのにしばらく時間がかかる),プチタクシーをつかまえてタルファヤへのグランタクシー乗り場へやってもらう。プチタクシーは町の中限定のタクシー,グランタクシーは町と町をつなぐ乗り合いタクシーというか,トルコのドルムシュみたいなもの(←かえって意味不明か)である。Lonely Planetのガイドに示された北行きグランタクシー乗り場の場所とはだいぶ違うが,すさまじくオンボロのメルセデスに5人詰め込まれて出発。助手席なので視界は良好。

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町を出ると,当然何もない。何もないといいつつ,一応国道1号線なので,ところどころに駐屯地だとかガソリンスタンドだとか廃屋(これが一番多い)だとかが現れる。
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タルファヤの町はずれ,あらかじめ調べておいた方角へ海岸べりに歩いていくと,遠くにそれらしき建物が見えてくる。強い西風が海岸の砂を巻き上げて,砂浜の濡れた砂の上を乾いた赤い砂が煙のようにうつろっていく中を歩いていると,口も鼻も靴の中も砂でざらざらになる。おまけに足元が定まらないのでどのくらい前に進んでいるのかわからず,距離感が狂う。20分ほども歩いたであろうか。めざす建物に近づく。

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慎重に石垣を乗り越えて正面とおぼしき方向へ回りこむと,この地域特有のピンクに塗られた壁はすっかり剥げているが,破風のすぐ下にかすかに「ラテコエール」の文字が紺色で描かれていることに気づく。やはりこれだ。まだ残っていたのだ。

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一回りしてみると,反対側はすでに砂の中に埋もれかけている。もっとびっくりしたのは近くの石垣を利用して小屋掛けをしている家族がいたこと(小さな船で漁をしている様子)。彼らにとってはこの廃虚が,あのラテコエール社の遺構であるなんてことは何の意味もないことであろう。

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だがこの建物こそが,1927年から1928年にかけてサン=テグジュペリが飛行場主任として駐在し,フランスとモロッコ・セネガル・南アメリカを結ぶ郵便航空路のパイロットを務めながら『南方郵便機』『人間の土地』など主要な作品が構想された場所なのである。

 不帰順族の領域が,砂漠に輪をかける。哨所キャップ・ジュビーの夜な夜なは,十五分おきに,時計が打鳴らす銅鑼の音で,細かく刻まれていた。歩哨は,つぎからつぎへと,所定の大きな叫び声で,おたがいに警戒しあった。キャップ・ジュビーのスペイン要塞が,不帰順領域の奥深く孤立していながらも,こうして自分を姿の見えない脅威から守っていた。そしてこの盲船の乗客のようなぼくらは,この叫び声がつぎからつぎへとひろがってゆき,ぼくらの上に海鳥の飛翔を描くのに聞き入るのであった。 そのくせぼくらは砂漠を愛したものだ。
(堀口大學訳『人間の土地』93〜94ページ(新潮社,77刷,2009年))

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 ところが,ただの操縦士でしかなく,キャップ・ジュビーを二,三カ月預かる空港主任でしかないぼくは,全財産として,スペイン要塞に背中合わせのバラック一つ,そしてこのバラックの中に洗面器一つ,塩水の入った水差し一つ,短すぎるベッド一つしか所有していない…
(同,118ページ)

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そのスペイン要塞から兵隊―モロッコの兵隊―が歩いてきて「あっちへ行け!」という仕草をする。うるさいな。こちとら日本からはるばるやって来てるんだから,案内ぐらいしてほしいところなのに(笑)。まあしかし,ここは一応飛行場の一部なんで,勝手に入ってはいけないらしい。どこからか現れた痩せた黒犬に従われながら,砂浜を歩いてタルファヤの町に戻る。西風に正面から対する形となり,前へ進んでいるのか後退しているのかよくわからない。海岸線という明瞭な指標がなかったら,きちんとしたコースをたどることは不可能だろう。