So-net無料ブログ作成
本と雑誌 ブログトップ
前の20件 | -

増田俊也『北海タイムス物語』(新潮文庫、2019)【一部ネタバレ注意】 [本と雑誌]

20200205.jpg

「こんな終わり方ってあるのだろうか」と衝撃を受けた「七帝柔道記」を読んでから3年弱、続編を待望していたが、これは続編といっても北大柔道部の話ではなく、お仕事小説である。ただし作者は、この作品にも「先輩」として登場する。もっとも、柔道か新聞紙面の整理かの違いはあっても、とことんやりぬくことがテーマになっている点はまったく同じである。

従って、普通に読めば、お仕事を通じて成長していく主人公が必死で仕事を覚え、独り立ちを果たす618頁以下のシーンがクライマックスなのだろうけど、私が感動するのはむしろ、そこから離れたところで行われる、ベテラン編集者どうしのこのような会話だ。単なるお仕事小説はあまり好きでないのだけど、こういう描写には惹かれる。

(以下引用。pp.523-4)
----------
「まだほとんど来てません。間に合うでしょうか」
「大丈夫だ。リードは三倍、本文は二倍でグリッド二段で流す」
「わかりました」
「横凸版は天地二十九倍、横百六十六倍、白ゴチベタ」
「了解です」
 二人は数少ない言葉だけで通じ合い、互いのレイアウト用紙も見ないで一気に線を引いていく。そして凸版指定用紙にさらさらと見出しを書いた。(以下略)
----------
(以上引用終わり)

高度専門職がその全力を傾けて問題解決に挑む様子、もっと雑駁にいえば、なんだかよくわからないけど凄そうにみえるところに感動してしまうのだ。

似たような例で、印象に残っているのが、例えばアーサー・ヘイリーとジョン・キャッスルの共著『0-8滑走路』(清水政二訳、ハヤカワ文庫、1973)のこんな会話。
(以下引用。p.59)
----------------
二番目の男は彼の肩越しに首をのばして、タイプに打たれていく字句を読んだ。ベルで呼ばれた男は空港の管制官で、背が高く痩せていた。彼は一生を大空で過ごしてきた男で、自分の家の裏庭のように、北半球の飛行情況にくわしかった。いや、裏庭で育てる野菜には失敗しても、こと空となったら知らぬことはなかった。彼は通信の半ばですばやく数歩退って、振り向きもせず、部屋の向こう側にいる電話交換手にいきなり命じた。
「航空交通管制局をすぐ呼べ。それからウィニペッグのテレタイプ回線をあけておけ。優先通信だ」
--------------
(以上引用終わり。内容が古めかしいのは、1958年の作品であるため。)

書いているうちに、もう一つ思いだしたのがこんな会話。徳永進『臨床に吹く風』(岩波書店、1990)
から引用する。
(以下引用。pp.219-20)
---------------
「酸素二リットル吸わせて。胸部X線写真の正面と採血。レントゲン技師と検査技師を呼んで。酸素吸う前に血液ガスを。それから、カットダウンを右大腿でするから、その用意して。点滴の本体は五%ブドウ糖500mlで」次々に当直の看護婦さんに指示する。呼吸音を聞くと、両肺に喘鳴がある。血液ガスの採血をしようと両腕をみると、浮腫がすでにありあちこちで針のあとが内出血している。DIC(血管内凝固症候群)をおこしているのではないかと疑い、「プロトロンビン時間(PT)、ヘパプラスチン時間(HPT)、アンチトロンビン-Ⅲ(AT-Ⅲ)、FDPそれにフィブリノーゲンも採血して」と言う。
-------------
(以上引用終わり)

調子に乗って大引用大会になってしまったのだけど、しかし、何だかよくわからない表現に接して、よくわからないけど凄そうにみえることに感動してしまうのは、変といえば変な話で、これは自分に、権威らしきものに弱い面があるからなのかもしれない。くわばら、くわばら。

  
nice!(0)  コメント(0) 

三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』(中公文庫、2018) [本と雑誌]

20191203.jpg

いつものしをん節と少し違うような…と思いながら最後まで読んだが、あとがきで本書の成立事情を知って、ようやく得心がいく。あの古典的作品を下敷きにすると、こういう作品になるのですね…これは、モトをよく知っている人のほうが楽しめるかもしれない。
 
 
nice!(0)  コメント(0) 

尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新潮文庫、2018) [本と雑誌]

20191112.jpg

自分の年代で読書好きの人間なら、石井桃子さん(以下敬称略)の文章に影響を受けなかった者は皆無といっていいだろう。「てまみ」「いやんなる!」「クフロ」「ご解消」…例をあげればきりがないが、藪柑子の貧しい語彙のかなりの部分は石井桃子由来のことばで占められている(分母が小さいので、さらに比率が高くなる)。

多くの著作から単純に導かれがちな「こども好きな児童文学者」とはまったく異なる石井桃子像、キャザーやファージョンやミルンに惹かれ、デモーニッシュなものをかかえた創造者としての石井桃子像を提起したところに、この評伝の最大の価値があると思われる。それを提示した第7章「晩年のスタイル」のなかの「私というファンタジー」(pp.614-621)は必読。むろん、読者がそれに同意するかは別ではあるが、私はかなり説得的に感じた。

また、仕事に関して妥協を許さない石井桃子の徹底ぶりは、求道者のようにさえ感じられるほどで、たとえばこんなエピソードが。
(以下引用)
-------------------------
石井は一九九〇年代半ばからアメリカの詩人アーサー・ビナード、イギリス人の語学研究者アラン・ストークに、一つひとつの単語の背後に潜む思いもよらない意味合いをつかむため、真剣に「英語のレッスン」を受けてもいた。特にストークとは五年間にわたって石井からの質問とそれに対する氏の回答の往還を繰り返し、これも段ボール箱いっぱいの書類が残されているほどで、その熱意は『今からではーー』の巻末の訳注にも滴っている。(p.622)

九十代にさしかかったその頃の石井は、「私、ようやく英語が少し、わかるようになってきた!」と周囲に自慢してみせることもあったらしい。(p.623)

-----------------
(以上引用終わり)
他ならぬ石井桃子に目の前で「私、ようやく英語が少し、わかるようになってきた!」なんて言われたら、絶句するしかないのですが。

この評伝のもう一つの大きな意味は、石井桃子の「通史」が初めて描かれたという点にある。これは、本書でも紹介されていることだが、ある時代を深く共にした友人でさえ、その前後の時代をまったく知らないというような、不思議なことなことが多々あって、それが系統的な(というのかな)理解を困難にしてきたという事情に由来する。

いうまでもなく、石井桃子は著名な人物なので、これまでにも数多くの「石井桃子論」が世に問われたことと思うが、本書は石井桃子論である前に、まずこれだけ多くの一次史料にあたり、かつ、本人や友人へのインタビュー(現在では不可能なインタビュー)を長時間にわたって行っていることから、これを超える評伝を著すことはかなり困難と思われる。

また、本書を読んでの傍論となるが、一次史料の最たるものとしての「書簡」の重要性を痛感する。往復書簡が残されていなかったら、本書を編むことはできなかっただろう。世代の問題にしてはいけないが、これだけたくさんの書簡を残した文学者は、これが最後になるのではないだろうか。

付言すると、石井桃子の評伝であることは同時に、日本の児童文学を築き上げてきた人々の列伝でもある。吉野源三郎や小林勇はそもそも出版人として著名だけれど、松居直、瀬田貞二、いぬいとみこ、光石夏弥、松岡享子、渡辺茂男、中川李枝子、山脇百合子…さながら「石井山脈」とでも呼ぶべきこの壮観!

(11.25追記)
本書では、瀬田貞二との交友についても紙幅を割いて説明している。瀬田貞二の勧めで、石井桃子が俳句を詠んでいたなら、どんな句になっただろうか、とふと想像する。散文でもあれだけリズムに気をつかう名手だから、他にはないような句を詠んだことだろう。

 
 
nice!(0)  コメント(0) 

津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』(集英社文庫、2014) [本と雑誌]

20191105.jpg

津村作品としては珍しく、主な登場人物の片方が男性。
仕事に関しては「そうそう、そういうことってあるよね」という率直な出来事の連続になるのだけど、仕事以外に関しては、何かが起こりそうでいて起こらない。男性と女性の会話も、読み手を試しているかのような不思議な会話で、「この場面でそのセリフですか?」的なはぐらかされ方。出てくる小道具も想定外というか、鍵盤ハーモニカですか。

人によっては、それを物足りなく感じるかもしれないが、自分には、このようなヤマもオチもない(仕事以外に関する)記述こそが、かえって、働く人、それも特別でない人の日常の記述として不思議な納得感がある。



 
nice!(0)  コメント(0) 

津村記久子『この世にたやすい仕事はない』(新潮文庫、2018) [本と雑誌]

20190912.jpg

文句なしに面白い。小説ってこういうことができるのですね。
途中で「あれ?私はファンタジーを読んでいるのだろうか?」などと思わせておいて、最後にこんなふうに結末をつけるところは、小説の実作者でなくても感心せずにはいられない。

それ以上に面白かったのは、本書のあちこちに散りばめられているパワーワードで、能うかぎり紹介したいところだが、ネタバレを避け最小限にすると、
「一日に、A4の紙一枚以上の文章を読むと、虚脱感で使いものにならなくなる」(p.37)
「今のあなたには、仕事と愛憎関係に陥ることはおすすめしません」(p.187)
「疲れ果てている人のためのおかき」(p.195)←これ最高
「やんわりと私の仕事を乗っ取ろうとする人が現れたんですが」(p.227)
「人間の心の隙間にそっと忍び込んで、ぷすぷすと針で穴を開けていくような人々」(p.265)
「憎しみを不当に盛って投げつけてきている」(p.287)
これだけでも、この本を読みたくなりませんか?ならないか。

結末を書けないのが残念だが、ともかく『とにかくうちに帰ります』と併せて読むと、この作者の作品をもっと読みたくなることを保証する。

 

 
nice!(0)  コメント(0) 

藤岡陽子『波風』(光文社文庫,2019) [本と雑誌]

20190825.jpg

文庫になったら読みたいと思っていた本で、かつ吉田伸子さんが解説を書かれているので、即座に購入。

この作者の、「どんな人にもその人の居場所があり、役割がある。ただし、それは自分で見つけなければならない」という信念のようなものは、どの作品にも共通している。だから、これを「お仕事小説」というのともちょっと違う。

それはともかくとして、作品と無関係に考えたことは、「自分が人生の最終局面で(おそらく)病院にお世話になるときに、どんなスタッフとどんなやりとりをすることになるのだろうか」ということだった。その時点でやりとりできる状態であるかは措いて、それがどのようなものであるかによって、最終的な満足感というのかQOLというのか、それが全く違ったものになることは確実と思われ、自分では選ぶ余地があまりないだけに、気になるところ。かといって、予約しておくわけにもいかないし。

  

 
nice!(0)  コメント(0) 

津村記久子『とにかくうちに帰ります』(新潮文庫、2015) [本と雑誌]

20190826.jpg

オフィスを舞台にしたお仕事小説は山ほどあるけど、みんなで何かを成し遂げるようなスポ根物語ではなく(そういう小説には心底うんざりする)、また「オフィスあるある小話」とも違う(明確に違う)。そうではなく、いわば「オフィスで働いている人の心のありかたや仕事との向き合い方」を掘り下げる小説。

特に、標題作「とにかくうちに帰ります」を読むと、人は何を求めて生きているのか?などと考えはじめてしまう(ここで登場人物がめざす「うち」とは、家庭じゃなく「屋根」だったりするわけだが)。飄々とした風体のピッチャーが、スローカーブで油断させておいて剛速球を投げ込んでくる感じ…って全然説明になってませんね。この作者の他の作品も読んでみることに決めた。






nice!(0)  コメント(0) 

森本俊司「ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年」(2019、文春文庫) [本と雑誌]

20190729.jpg

ブルーナが「うさこちゃん」を描きはじめる以前、父親の会社でブックデザインを手掛けていたことはよく知られている(そうでもない?)が、さらにそれ以前の、生い立ちや経歴が紹介され(ドラ・ド・ヨングの「あらしの前」「あらしのあと」を連想する読者も多いだろう)、彼が作品の中で周到に暴力を遠ざけている理由の一端を知ることができる。また、父親とのあいだでさまざまな確執があったことを知る(他方で、彼とこどもたちとの関係は、とても良好だったようだが)。

また、絵本づくり以外のさまざまな取り組みについても紹介されているが、特に惹かれたのは、福祉やこどもの健康のためのポスターなどのデザインにも進んで取り組んできたことが紹介されている中、島根大学医学部付属病院小児センターの壁やドアにブルーナの絵が描かれている(本の中では、ごく小さな写真しか見ることができないが)ことで、やむをえず入院することになったこどもにとって、これがどれほど心の支えになるかと考えると本当にありがたい。思いつくのは簡単でも実行に移すことがむずかしい中、実現に向けて努力された多くの方がおられたことと思われ、つくづくありがたいことだと感じる。

なお本書は、その少なからぬ部分が著者による取材メモからなるため、どうしても著者が前景化してしまうのだけど、読者の多くは、著者ではなくディック・ブルーナのファンであろうから、そこはもう少し書き方の工夫があってもよかったように思う。



nice!(2)  コメント(0) 

村上春樹「ヤクルト・スワローズ詩集」(「文學界」2019年8月号) [本と雑誌]

20190728.jpg

大久保孝治さんのブログ「フィールドノート」7月15日分を読んで、村上春樹がかつて同名の私家版を頒布していたものと勘違いし、「日本の古本屋」などで検索してしまった。そうではないのですね。勘違いに気づいて本屋に走り、まだ積んであった「文學界」8月号を入手する。

で、この小説(「ヤクルト・スワローズ詩集」というタイトルの小説です)なのだけど、あくまで小説の体裁をとりつつも、文藝春秋6月号「猫を棄てる」に続き、父親との確執に触れた部分がある。この部分は、もはや小説というより別の何かではないかと思わせるほどだ。

昨年7月11日の日経新聞夕刊に池田克彦さんが書かれていた「村上先生の思い出」と題するコラムで、甲陽学院の教師だった父親がどこかの予備校で、自分は入学の周旋等をしないことを説明し、「私には全く力はありません。現に、私の息子はこの学校の入試に落ちています。こんな私のところに挨拶に来られても何の意味もない」と言ったとあるので、これは随分ひどい話(そういう発言をする父親も、それを書いてしまう池田氏も、それを載せてしまう日経新聞も)だなあと思ったものだが、それから1年経って、これまで決して(記憶の限りでは)このことについて言及しなかった村上さんが立て続けに、父親との関係をとりあげた作品を発表したことに驚く。これは、村上さん自身が「自分の持ち時間」を意識されていることの現れなのかもしれず、すこし心配になる。

なお、もう1編の「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」も、村上さんらしい、胸がしめつけられるような、苦い余韻がのこる小説だった。こちらは小説らしい小説で、かつ、どこから読んでも村上さんの作品とわかる何かが充満している。
 
nice!(0)  コメント(0) 

二冊の『自省録』(神谷美恵子訳,岩波文庫,1947/鈴木照男訳,講談社学術文庫,2006) [本と雑誌]

自省録.jpg

Eテレ「100分de名著」4月のテキストは、マルクス・アウレリウス『自省録』!
『自省録」は、わがオールタイムベスト10に入る本なので、この地味な哲学書を「100分de名著」が取り上げてくださったことに感謝。

テキストを読むと、この本の成り立ちについて、今まで知らなかったことも含めて解説されていて、ほうほうと納得。しかし、公開を前提としていなかった個人的手記に写本があって、それが16世紀になってから印刷(活版?木版?)された経緯が今一つよくわからない(16世紀までに、写本の所蔵先で広く使われていたとか、写本の写本がたくさん出回っていたということだろうか)。この点は、岩波文庫版でも明らかにされていない。
また、講師の専門からしてしょうがないのだろうけど、「自省録」のいろいろな部分について、アドラーも同様のことを言っていると紹介するのはどうなのだろう。事実そうなのだろうけど、自省録ファンの多くは、洵に申し訳ないが、アドラーの話を聞きたいわけではないのです。それに、後世の人が同様のことを言っているというなら、徒然草だって「自省録」と同様のことを言っているわけで。たとえば59段や85段などは、「兼好法師は『自省録』を読んでいたのかな?」と思ってしまうほどだ。

それはともかく、ここへきて「自省録」が本屋で平積みになっているのを見ると、少しでも多くの人がこの本を手に取ってくれたらと願わずにいられない。手元にある1冊目の『自省録』(写真左側)は、言わずと知れた岩波文庫版(神谷美恵子訳)であるが、これを本屋で入手してから、今月でちょうど40年になる(こう書くと、年齢が40歳以上であることがバレてしまうが、致し方ない)。この本を読む前と読んだ後で、自分の人生はすっかり変わってしまった(変わったわけではなく、もともとそういうメンタリティの持ち主だったから、この本に共感したとも考えられるが)。世界史の先生がタイトルを教えてくださった授業の様子とか、初めて手に取った本屋の棚とか、開いて読み始めた駅のホームとか、この本にまつわるさまざまな風景を、いまも鮮明に覚えている。また、就職して実家を出たとき荷物に加えた数少ない本の一冊でもある。

で、いい本だと言っておきながら、新訳が出ていることを知らなかったのも情けないのだけど、この機会に新訳(写真右側)も購入して、改めて両方に目を通してみる(本屋さん、なかなか商売上手です)。ひととおり最後まで読んでみたのだが、これは旧訳のほうが読みやすいといわざるを得ないのではないかなあ。例として、3章10節の冒頭と4章45節を挙げるとこんな感じ。以下引用。

(旧訳)
ほかのものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを。その他はすでに生きられてしまったか、もしくはまだ未知のものに属する。
(新訳)
されば、すべてを放下しただそれら僅かなことのみを堅持せよ。そしてなお合わせて銘記せよ――各人はただ束の間のこの現在のみを生きているのである。それ以外はすでに生き終えてしまったこと、ないしは、いまだ明らかならぬ不確定のことである。

(旧訳)
後に続いて来るものは前に来たものとつねに密接な関係を持っている。なぜならばこれは単にものを別々に取り上げて数えあげ、それがただ不可避的な順序を持っているにすぎないというような場合とは異り、そこには合理的な連絡があるのである。そしてあたかもすべての存在が調和をもって組み合わされているように、すべて生起する事柄は単なる継続ではなく或る驚くべき親和性を現わしているのである。
(新訳)
後続するものは先行するものに緊密に結びついて継起するのである。なぜなら、それはばらばらに分離したものの一種の枚挙、それも専ら外からがっちり強制された性格の枚挙といったものではなく、十分な根拠づけをもつ連結である。そして存在する諸物が一大調和をなしつつ配置されているごとく、生起するものもまた単なる継承でなく賛嘆すべきある種の近親性を顕示しているのである。

以上引用終わり。ことによると、新訳のほうが原語に忠実なのかもしれない(ギリシャ語を全く解さない自分には、それを検証することができない)が、少なくとも、読み物としては旧訳に軍配をあげざるを得ないと思う。

長いあいだ勘違いしていたことがひとつ。神谷美恵子さんは、英語訳から重訳したものとばかり思っていたのだけど、原典(古典ギリシャ語)から訳されていたのですね。神谷美恵子ファンとして、この勘違いはかなり恥ずかしいのだけど、戦中戦後のあの混乱のなかで、もっといえば、食べていくことや生きていくこと自体が大変だった時代にあって、これは途方もない偉業ではないですか。改めて尊敬する。

ところで、この本に全然関係ないことだけど、本のなかほどに、馬券のコピーがはさんであった。馬の名前が「アタラクシア」というのでこの本にはさんだのかもしれないが、全然記憶がない。「2000年5月28日、第67回日本ダービー」と書かれている。この馬のオーナーは、どういうつもりでこの名前をつけたのだろう。

 

nice!(0)  コメント(0) 

藤岡陽子『陽だまりのひと』(祥伝社文庫、2019) [本と雑誌]

20190707.jpg

『ホイッスル』(光文社文庫、2016)に登場する小さな法律事務所が、本作の舞台になっている。法律家の仕事をとりあげた小説はたくさんあるが、「説明」なしでわかる範囲には限界があるし、説明を始めると小説がつまらなくなってしまうし、書くのが難しいジャンルだと思う。でもこの作品は、じゃまにならない程度に理解することができ、楽しむことができる。
波乱万丈・驚天動地の物語とか、ストーリーが入り組んだミステリとかを望む読者にとっては、盛り上がりやオチに欠けるように思えるかもしれないが、むしろこのあっさり感が、何もかも詰め込みすぎの小説にへきえきした後では、すがすがしく感じる。続編希望。

 

nice!(0)  コメント(0) 

津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』(ハヤカワ文庫、2019) [本と雑誌]

20190708.jpg

話がどんどん飛んでいく。省略されている部分が多く、想像で補って読むので、映画を見ているような感じ。ついていくのが大変だが、登場人物の描き方に作者の愛情が感じられて(それぞれの居場所を用意しているところや、必要以上に持ち上げたり落としたりしないところなど。そういう場面では、不意にゆっくりになる)、この人最後はどうなるのだろう?という興味で最後まで読ませる。

 
nice!(0)  コメント(0) 

おおうちそのよ「歩くはやさで旅したい」(旅行人、2018) [本と雑誌]

20190329.jpg

これが「どのような旅の本なのか」と問われると、説明が難しい。
同じ場所に同じカメラを構えれば同じ写真が撮れるとは限らないのと同様、同じ風景を見ても、この作者の目には、このように映るのですね。俳句という文芸は、感じ取る力と言葉に置き換える力の両方が必要なわけだけど、このように感じ取る目を持っていること自体が、稀有な感じ。

本書は、旅の具体的な情報を求めて読む本でもなく、紀行文やエッセイとも違う。しいて言えば、旅とは何か、について、直接論じることなく示唆している本というべきだろうか。蔵前仁一さんの「ホテルアジアの眠れない夜」とか田中真知さんの「孤独な鳥はやさしく歌う」とはまた違った、旅することが人間にもたらす何かを考える上で重要な気づきが得られる名著。「旅行人」連載時に楽しみにしていたコーナーでもあり、腰巻きで蔵前さんが「どうしてもこの本を出したかった」と書いていることに深く共感する。



nice!(0)  コメント(0) 

スコット・ジュレク『NORTH 北へーアパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道』(栗木さつき訳、NHK出版、2018) [本と雑誌]

20190417.jpg

アパラチアン・トレイル(AT)を南から北へ走って、最速(最短時間)踏破記録をめざす話、と要約してしまうと身も蓋もないのだけど。
時間との戦い。自分との戦い。サポートする配偶者の視点と本人の視点が交互に語られることで、ものの受け止め方の違いみたいなものを描き出すことに成功している。

また、ストーリー的にも面白い。気楽にスタートしたものの、すぐにケガをしてしまってそこからのリカバリーに苦労するとか、著名なランナーなのでしだいにファンが増えてきて、楽しかったり鬱陶しかったりするとか、アンチが湧いてくるとか。最後は専門家集団?がサポートチームとなって記録達成に向けて全力で支援する。このあたり、最初から最後まで1人で歩いていたら、周囲との相互作用が描かれないことになるので、こういう物語にはならない。

それらを楽しく読んだ上で、ちょっとはみ出すとすると、ロングトレイルは来る者を拒まないので、最速踏破記録をめざすことも一興だと思う。だからといって(そのような誤解はないと思うが)トレイルは競技のためのトラックだと思われても困る。そのあたりは、むしろ読む側の課題なのかもしれない。同じトレイルを歩いても、以前にこのブログでも紹介した加藤則芳『メインの森をめざして―アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』とはだいぶ趣が違う。どちらがいいとか悪いとかではないが。




 
nice!(0)  コメント(0) 

マーク・ヴァンホーナッカー『グッド・フライト、グッド・ナイト』(岡本由香子訳、ハヤカワ文庫、2018) [本と雑誌]

20190328.jpg

山ほどある「航空関係者が語るエアラインこぼれ話」とか「パイロットが語る飛行機物語」の類とは一線を画し、独自の詩情をたたえた(しかし、下手に文学づいていない)エッセイ集。従って、そのようなこぼれ話や雑記を探す向きには物足りないかもしれない。多少おおげさにいえば、「人間の大地」や「夜間飛行」に通じるような詩情(直截なものではないが、通底するものとしての詩情)が感じられる。他方で、実用書としての価値がないかというとそんなことはなくて、気象や天文についての知識を大幅に増強してくれる一冊でもある。

上記のような詩情を感じられる理由は二つあって、ひとつには、文化の多様性に対する著者のゆるぎない支持や信頼があること、もうひとつには、さまざまな古典を適切に引用しながら、自分の言葉を選んで表現を練り上げているところだと思う。

さまざまに変化する空や水や人の描写は、時として俳句の写生を思わせるところもあり、また、飛行機を飛ばすために働いているさまざまな人々の強い仲間意識がほほえましく感じられる。この本を読んだあとでは、空港や機内、窓から見える地上や空の上の景色も少し違って感じられることだろう。





nice!(0)  コメント(0) 

深緑野分『戦場のコックたち』(東京創元社、2015) [本と雑誌]

20190115.png

文庫になるまで待つとか言ってないで、もっと早く読むべきだった。
一応謎解きの形式になっているのだけど、そういうジャンル分けが無意味に感じられる力作。これが長編デビューとは、にわかには信じられないほど。
2018年の個人的第2位が、最後の最後にやってきた(ちなみに1位は吉田裕『日本軍兵士』(中公新書、2017))。

エピローグを読みはじめて、最初「なんでこんな余計なものを?」と感じたが、そうではなかったのですね。このエピローグこそが、この本のコアなのでしょう。

 


nice!(0)  コメント(0) 

松家仁之『火山のふもとで』(新潮社、2012)【一部ネタバレ注意】 [本と雑誌]

20190114.png

文庫になるのを待たずに、すぐに読めばよかった本シリーズ第2弾。
ことし最初に読んだこの1冊が、今年のベストワンになるはず。大げさにいえば、小説という形式に、まだこのような可能性が残っていたことがとても嬉しい(しかも、何かすごく新しいことが試みられているわけではないのに)。

一つ一つの場面が、すみずみまでピントが合った風景写真のように、色彩、音、におい、温度などこちらの五感を総動員してくれるのに、それがちっともうるさく感じられないことに感心する。よくよく慎重に考えて正確に選び抜かれたことばで綴られた物語だからなのだろう。

また、結末のつけ方に感服する。この物語はどのように終わるのだろうと心配させておいて、こういう着地をしてくれるのですね。終わってしまうのがもったいなくて、最後の2章ぐらいを1週間かけてなめるように?読んだ。

個別に立ち入って感想を述べると、麻里子の造形と雪子の造形が周到であること。ひとことで言い表している部分もあって、たとえば

(以下引用)
麻里子の笑顔は、向けられる先が誰なのかいつでもはっきりとしている。ところが雪子の笑顔はただそこににじみ出て、誰が受けとろうが受けとるまいがかまわないといった風情に見える。それは雪子の不思議なおだやかさがどこからやってくるのかわからないのと似ていた。(p.147)
(以上引用終わり)

のようなところは、それ以外の表現に置き換えるのが難しいほどの説得性がある。その雪子が最後の1ページで(p.377)徹に向けるひとことは、これはもう参りましたとしか言いようがない。引用するのがもったいないので、ぜひ本屋さんでこの本を買って読んでほしい。

また細部に立ち入ると、例えば、徹と麻里子の大事な場面(pp.78-9)で棚から取り出すLPがブラームスのピアノ協奏曲第2番で、しかも徹はB面をかけるのですね。つまり、意図して第3楽章から聴いているわけです。できすぎというか…しびれる。もっともこの場面に限らず、ここに出てくる人たち全員の文化資本の蓄積ぶりってすごすぎませんか、と(感心しつつも)僻みたくなることも事実。

さらに、長い時間の経過とともに、徹のものの考え方が変化していくことも見逃せない要素で、かつてあれほど違和感を感じていた船山圭一の設計が、「当初の計画どおり、あるいはそれ以上の広がりをもって着実に機能してい」ることを肯ったり、「初めての夏に、毎日のように聴いた声。しかし、どうしてもその鳥の名前が出てこな」かったりする。こういうところも、この小説の説得性に寄与しているのだと思う。

  




nice!(0)  コメント(0) 

北村薫『中野のお父さん』(文春文庫、2018) [本と雑誌]

面白くてスイスイ読めるし、なるほどと思わせるところも多いのだけど、息詰まるような展開とか、読後に残る余韻や重い感じとかがもう少しあってもいいような…

20181211.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

北村薫『八月の六日間』(角川文庫、2016) [本と雑誌]

hachigatsu.jpg

ふだんアマゾンの読者レビューを読まないのだけど、何かのはずみで本書のレビューを見たら、主として高齢の登山者と思われるレビュワーから「実際の○○山はこうではない」とか「山と関係ないことが書かれていて余計」とか書き込まれていて、笑ってしまう。山のガイドブックではないのだから、お門違いとしかいいようがない。だいいち、それを言い出したら、主人公は忙しくてたまにしか山に行けない割にはずいぶん健脚なんですね、などと無限に突っ込むはめになってしまって、全然面白くない。

こういうお門違いが生じる理由は、山を舞台にするとどうしても実在の山や山小屋を持ち出さざるを得ないからで(まったく架空の山でも小説は書けそうだが、あまり面白くなさそう)、これが例えば野球やサッカーを題材にした小説だったら、ボールが消えようが、弱小チームが甲子園に出ようが、要するにどれほど現実離れしていても「設定が安易すぎる」とか言う人は少ないと思うのだけど、「槍ヶ岳」とか「大天荘」とか固有名詞が出てくるので、ぐだぐだ言いたくなってしまうのも無理ない面もある。

また、昨今のご時勢では、ここに書いてあること(だけ)を全部そのまま真に受けて、暗くなってから山小屋に着いて平気とか、ザックの中はお菓子ばっかりとか、本当にそういう登山者が現れないとも限らないので、本文と解説(瀧井朝世さん)のあとにわざわざ、

(以下引用)
---------------
「この作品はフィクションであり、(中略)作品中で描かれている登山時間や必要な道具類などはあくまで「主人公の場合であり」、季節や天候、コース状況、各人の体調や経験などによって大きく異なります実際の登山の際は、山小屋や登山用品店のスタッフなどプロの助言のもと、万全の装備で無計画な登山は避け、無理をせず自分のペースを守って登るようにしてください。(以下略)(p.323)
---------------
(以上引用終わり)

と書かれている。だから本当に、山のガイドブックではないんだってば。それにしても、地図も登山ガイドも読まず、この本に依拠して山行計画を立てる人がいるのだろうか…豆腐の角に(以下自粛)

この数年でたまたま、山を舞台にした小説として『春を背負って』『山女日記』そして本書『八月の六日間』を読んだが、それぞれに違った特色をもつ作品で、登山経験があろうとなかろうと、楽しめるのではないか。

 


nice!(0)  コメント(0) 

藤岡陽子『手のひらの音符』(新潮文庫、2018) [本と雑誌]

20180822.jpg

以前に友人から勧められてから、気になりつつ手にとる機会がなかった本が地元の書店の文庫平台に積まれている。腰巻きの惹句に「良い小説」とあるのはちょっと引っかかるところで、小説に「良い」「悪い」のモノサシを持ち出すのは違うと思うが、そう表現したくなる気持ちは、読んでみてよくわかった。

この小説には明確に「いい人」とか明確に「悪い人」というような人物は登場しない。それぞれが弱いところを持ちながら、なんとか道を模索していく過程で、助け合ったり傷つけあったりする、そういうストーリーが、読者の共感を得ているのだと思う。

また、俳人(のはしくれ)としては、季節の描写がよくできていて、それがストーリーに立体感をもたらしているところも見逃せない。例えば、
(以下引用)
窓の向こう側の新緑を、水樹は眺める。目に染みるような田んぼの緑が息をのむくらいに美しい。新幹線は滋賀を通過したところだ。東京を出てからまだ二時間も経っていないのに、光を帯びた瑞々しい田や畑が
果てしなく続いていて、それをぼんやり眺めているだけで固く張っていた心が緩んでいく。(p.64)
(以上引用終わり)

というようなところ。

あとがきを読んでみて、この作家には既に何冊も著作があることがわかったので、さっそくもう1作品、『いつまでも白い羽根』を読んでみることにする。

 

nice!(0)  コメント(0) 
前の20件 | - 本と雑誌 ブログトップ