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toss-up?(11/7) [雑感]

昼休みにアメリカ大統領選挙と連邦議会選挙等の開票速報(米ABC)をモニターするが,いつにも増して英語がまったく聞き取れない。
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ちょっとがっかりしてABCのウェブページ―ちゃんとスマホ版がある―にアクセスすると,開票状況は画面上で明瞭にわかるのだけど,いざ内容を読み込んでいくと,主要な単語が全然わからない。これでは聞き取れないのも道理で,そもそも単語かよ…と一層がっかりする。

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以下,意味がわからずに辞書をひいた単語(恥)

caucus (党員集会)
respondent ((出口調査の)回答者)
electoral college ((大統領選挙の)選挙人)
incumbent (現職者)
precinct (選挙区)
toss-up (五分五分…コイントスのイメージ?)
solid Democrat(Republican) (民主党(共和党)確実に優勢)
lean Democrat(Republican) (民主党(共和党)やや優勢)
concede (敗北を認める)

早く皿回し片付けて,ちゃんと英語の勉強しないと…orz

Geobarたべたい [雑感]

イギリスを歩いていて、ビレッジストアで買うお菓子といえば、歩きながら食べられて高カロリーのものということになるのだけど、中でも特に気に入ったのが「GEOBAR」というお菓子。いろいろな種類があるのだけど、チョコレート味(チョコレート&レーズン)が抜群においしい。
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現地で買ったものを少しずつ食べていたのだけど、とうとう全部食べ尽くしてしまった。
製造元のtraidcraft社のウェブサイトを見ると、24本で12ポンド(125円換算で1本60円強)で売っているのだけど、日本に送ってくれるのだろうか…と思いながら細かい注意書きをよく読むと、「申し訳ありませんが、イギリス以外には発送できません」と書かれている。食べ物なのでこれは致し方ない。

買えないとなると無性に食べたくなる(←アホですな)。
1本60円のお菓子を買いにイギリスまで行くわけにはいかないし。
日本で売っているところはないものだろうか…

祝・マメヒコPartⅢ 2周年(10/1) [雑感]

宇田川町の路地裏に“とんかつ喫茶”としてマメヒコPartⅢが開店してきょうで2年。

昨年12月には突貫工事の末「マメヒコ飯店」に模様替えして再オープンしたので,それ以前のことは遠い昔のような気がするのだけど,まだ2年しか経っていないことが不思議。開店当初の「とんかつ+パン焼き工房+カウンター喫茶」という風景を知る人も少しずつ減っていくのだろうが,あれも短いながらマメヒコのれっきとした一時代なので,そのまま忘れ去られるのはもったいない。
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秋メニューとともに定期券が復活するというのでさっそく審査を申し込む。お料理を食べに行ってみると,おなじみホエー豚を使ったメニューとして豚丼ならぬ豚飯(とんはん)が登場していて,お皿にどどんと積み上がった厚切り肉のボリュームに圧倒される。マメヒコ史上かつてないガッツリ系メニュー。その日のおばんざいをよそってくださるサービスはそのまま継続。
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(なんで「きれいなお姉さんへ」なんでしょう?)

God bless Mamehico (9/14・マメヒコ渋谷店5周年を祝う) [雑感]

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GOD BLESS MAME-HICO

God bless Mamehico,
Land that I love.
Stand beside her, and guide her
Through the night with a light from above.

From the mountains, to the prairies,
To the oceans, white with foam
God bless Mamehico, My home sweet home
God bless Mamehico, My home sweet home.

開店5周年おめでとうございます!
"God bless America"のメロディーで歌ってみてください。
(すみません,替え歌は思いつきなので真に受けないでくださいね>マメGのみなさん)
(すみません,替え歌に何ら他意はないので怒らないでくださいね>米国崇拝者のみなさん)

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((左)開店から半年,2008年3月ごろの看板,(右)きょうの入口看板)

マメヒコ料理教室③中国茶(5/12) [雑感]

きょうも社長の独演会。マメヒコにお茶を卸している広尾「茶通」の山道さんのお店の話も出てくる。行ったことがないが,次々に試飲のお茶を出してくださるらしい。
また,紅茶同様中国茶もなかなか出ないので,次のメニュー替えで大幅削減の方針とかorz

それにしても,清涼飲料として売られている「烏龍茶」の澄み切った茶色(実際,「ピュアブラウン」と自称してるし!)は,普通に烏龍茶の茶葉を水やお湯で淹れたら絶対出せないという意見には同感。

マメヒコ料理教室②紅茶(4/28) [雑感]

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マメヒコでは,紅茶を頼むお客さんは少ないらしい…
そのため,夏のメニュー替えでは紅茶の数が大幅に減らされるとか(>_<)

最近突然言われるようになった「パンジェンシー」って何だという話。それまで日本でもイギリスでも一度も聞いたことのないことば。ダージリンの渋さ(苦さ)をそう呼ぶのかなあという話で,結論は出ず。いずれにしても,それが売り物ってなんだか変だねという点は激しく同意。

マメヒコ飯店新装開店 [雑感]

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晩ごはんの柱になっていたマメヒコ飯店が新装開店するというのでさっそく訪問。看板をよく見ると,これまでの「ウーダの谷の/マメヒコ飯店」が「ハタケ/マメヒコ飯店」になっているが,道行く人にはなんのことだかわからないだろうなあ。
これまでの「きょうの豆ごはんとおかず+メニューのおかず」という組み合わせから,ホエー豚のソテー定食2種類,夏野菜のおかず定食4種類の合計6種類から選ぶ定食式に。豆乳と出汁を合わせたスープ,週代わりの小鉢,千切りキャベツは共通。

金曜日は厚揚げとオクラとミョウガと大樹納豆のおかず(左),土曜日はホエー豚とズッキーニのバターソテー(右)を試してみた。

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いずれも滋味あふれる地味なおいしさ。お醤油のかわりに出てくる北海道産の魚醤がこれまたおかずの味を消してしまわない薄味でよい感じ。

これまでの飯店が「焼売大王」とか「ゆり根のグラタン」とか毎日がお祭りみたいな華やかさ(祝祭性)を前面に出していて,それはそれで楽しかったのに対して,健康によい野菜中心のおかずを毎晩遅くまで(これまでの20時ラストオーダーが22時に。この2時間は大きい)食べることのできる町の食堂に改まった感じで,持続性が祝祭性に取って代わったことは,むしろ歓迎したい。紅茶がだいぶ減ってしまったのが残念だが,全然出ない(注文がない)らしいので,致し方ないだろう。

一方,渋谷店もあわせて夏メニューに衣替え。クロテッドクリームとアンズジャム,夏みかんジャムをのせたマフィンにかぶりついてみる。

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うまい!
町の喫茶店やケーキ店で食べると脂が強くてつらいクロテッドクリームが,非常にあっさり処理されている(サワークリームと合わせてあるのかな)。ジャムとぐちゃぐちゃにミックスしてマフィンにぬりたくっても,ちっとも邪魔にならない。

マメヒコ料理教室①コーヒー(4/14) [雑感]

「料理を作らない料理教室」という触れ込みにひかれて参加してみれば,土曜の朝なのにマメヒコ飯店は満員。恐るべし。

・マメヒコの珈琲を焙煎する菊地良三さん…上島珈琲の札幌支店長だった。かつて珈琲卸の各支店長は焙煎の腕を競っていたが,ドトールがきっかけとなったコーヒー低価格化のあおりで,本部で一元的に焙煎して各地方に配送するようになる。焙煎から10日以内の新鮮なコーヒーが信条だった各支店のスタッフが独立し,各地で珈琲豆を焙煎するようになる。卸先の味を確かめるため函館や釧路まで出向く熱心さ。Part3立ち上げのときにサイフォン珈琲を勧めたのも菊地さん。

・コーヒー豆はもともとすっぱいもの。焙煎が深いほど苦く,浅いほど酸っぱい。いま日本のコーヒーの主流は深煎り(スタバの影響)。そこで三茶店立ち上げの際は「深煎りNo.1」「深煎りNo.2」のようなものを考えていたが,菊地さんが「豆は煎ったら味がなくなる。むしろ浅煎りを」といい,浅い理のサンプルだけを10種類ほども送ってきた。結局マメヒコは「浅煎り」「深煎り」の2種類ででスタートした。浅煎りはやはり酸っぱいが,菊地さんは「砂糖を適量入れなければ,コーヒーの味はわからない」という。確かに,酸味の強いコーヒーは,牛乳や砂糖との親和性がある。これを「砂糖効きのいいコーヒー」という。砂糖を入れていくと,ある時点で酸味が消えて「甘くも酸っぱくもない」凪のような状態になる。全く濃さを感じない,すっきりした状態。

・抽出温度は,限りなく低くしろといっている。低いほど苦くなりにくい。ただ,抽出温度を低くすると,サーブするときにはもっと温度が下ってしまうので,マメヒコでは95度ぐらいにしている。

500本記念・歴代アクセス数ベスト10 [雑感]

2006年8月1日に最初の記事「大試験」を書いてから,この記事がちょうど500本目になる。
毎日書いていれば2年たらずで到達するはずだが,書けるときに書くというグータラな方針ゆえ,5年半あまりでようやく500本に到達した次第。

なにかを「回顧」する趣味は全くないが,この機会に,アクセスの多かった記事について少しコメントすることで,読んでくださった方々に感謝したい。

【第1位】 とはいえ,主役は音楽(藤谷治『船に乗れ!2 独奏』) (2009年9月23日)
【第6位】 ミューズの神に仕えるということ(藤谷治『船に乗れ!3 合奏協奏曲』) (2010年1月1日)
【第7位】 主役は音楽,とはいえ(藤谷治『船に乗れ!1 合奏と協奏』) (2009年9月21日)
上位10記事のうち実に3記事が『船に乗れ!』関係。それだけ多くのファンが読後感を交換しあっているということだろう。
読後2年経った今でも,いい本だと思う。実際,それぞれの曲を聴いても,自分の記憶が小説の一節と分かちがたく結びついていることを感じる。
なお現在は文庫本(ポプラ文庫)が出て入手しやすくなっているほか,本作の周辺事情を含めた著者のエッセイとして『船上でチェロを弾く』(2011,マガジンハウス)が出版されている。

【第2位】 これで60平米ですか! (2008年8月23日)
スイスのヴェヴェイにあるコルビュジェの「小さな家」を訪ねる話なのだが,かなり興味深い住宅なので,住宅についてあれこれ思案されている方なら,面白く読んでいただけるかもしれない。モニュメントやホールのような巨大な建築物と違って,住宅は「自分(あるいはその家族)がそこに住んだなら」という視点でシミュレーションが可能なので,複数の読み手のあいだで「共通の言語」が成立しやすい建築物だと思う。

【第3位】 身体で聴こう音楽会(8/25) (2007年8月31日)
この記事を書いてから,すっかり忙しくて行けなくなってしまったのだけど,「身体で聴こう音楽界」はいまも毎月,川崎市国際交流センターや中目黒GTホールで開催されている。関心のある方は足を運んでみてほしい。

【第4位】 日盛会〔第36回=秋の蚊〕 (2006年8月18日)
日盛会の記事が数多くあるなかで,この記事へのアクセス数が断トツに多い。理由は謎である。何か特徴的なキーワードが入っているわけではないし,固有名詞もほとんどないのに,なぜだろう。

【第5位】 千代田区オーケストラフェスティバル(カザルスホール) (2006年11月4日)
5年後の2011年,震災直後に聴きに行った千代田フィルハーモニー管弦楽団の演奏についての記事も19位に入っているが,毎年秋に開かれていたこの行事が,長く続いてくれることを願う。
これとは別に,毎年春に紀尾井ホールで開かれる定期演奏会の記事も,多くのアクセスをいただいている。

【第8位】 アンナ・ヴィニツカヤ ピアノリサイタル(2/7) (2009年2月8日)
すごいリサイタルでした。大型の飛行機または貨物列車が至近距離を通過していくような、スラブ的力感あふれる演奏。その後来日されているのだろうか。

【第9位】 キャップ・ジュビーへの旅③(2/16) (2010年3月3日)
おそらく「キャップ・ジュビー」で検索するとこの記事がヒットするのだと思うのだけど,念のために申し添えておくと,タルファヤやラユーンは,なんとなく行くにはちょっとかなりしんどい場所なので,自分の始末が自分でつけられる方以外は真似しないでくださいね。

【第10位】 アンダーステートメント (2008年9月26日)
自分で書いたものを読み返すことはあまりないのだが,この記事は気に入っている。この記事を読ませてやりたい大げさな物言いが,ビジネスにも文芸にも横行している昨今。

以下,第11位から第20位までタイトルのみを示す。
【第11位】 前北かおる句集「ラフマニノフ」を読む(2) (2011年6月9日)
【第12位】 前北かおる句集「ラフマニノフ」を読む(1) (2011年6月5日)
【第13位】 オールドマック (2007年2月2日)
【第14位】 全交響曲連続演奏会 (2011年1月1日)
【第15位】 プロジェクトN《全経過》 (2008年12月26日)
【第16位】 青のリギ救出作戦 (2007年3月2日)
【第17位】 アンドルー・マンゼ バロックヴァイオリンリサイタル (2008年6月11日)
【第18位】 受験生は五線譜の夢を見るか? (2007年8月10日)
【第19位】 千代田フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会(4/3) (2011年4月9日)
【第20位】 大試験(8/5) (2008年8月7日)

10人のその後 [雑感]

頼まれて昔の国会議事録を参照していたら,こういう質疑に気づいた。

1980年(昭和55年)3月26日の衆議院内閣委員会で,「在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第17号)」に関する質疑が行われているのだが,そのごく一部。

※用語の一部に,今日的にはちょっとどうかと思うものがあるが,そういう議事が行われているわけなので,そのまま引用する。

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(以下委員会議事録より引用)

○上原康助委員 
 それで、これまでもしばしばこの在外公館の問題については本委員会で取り上げられてきたわけですが、特に、国際的といいますか、紛争が不幸にして起きている地域の在外公館のセキュリティー問題あるいはその国、地域に駐在をしている邦人の安全確保の問題等は、これまでもたびたび議論もされてきたことですが、目下アフガニスタンあるいはイラン、パキスタン等の在外公館の職員の安全性、加えて邦人の安全性についてはどうなっているのか、そこらのところを少し御説明をいただきたいと思います。

○塚本政府委員(外務大臣官房領事移住部長)
 お答え申し上げます。
 わが方の大使館、公館員を含めまして在留邦人の保護及び安全確保は、わが方の大使館、総領事館、在外公館を挙げて重要任務の一つであることは申すまでもないことでございまして、わけてイラン、アフガンあるいはパキスタンのごとき情勢不安の地におきましては、在外公館といたしましてはっとに在留邦人の実態の把握を十分にきわめておりまして、これの連絡網を整備したり、あるいは緊急の場合における避難経路を策定する等、その安全確保に十全なる準備をしているわけでございます。
 特に、イランにつきましては御案内のとおりの情勢変化を踏まえまして、旧臘十二月二十七日に一応在留邦人の引き揚げ勧奨を行いました。引き続き事態の進展に伴いまして一月十六日、さらに強い勧奨を行いました結果、昨秋ピーク時には三千数百名の在留邦人がおりましたイランにおきましては、主として婦女子及び不要不急者の帰国に伴いまして、現段階では八百七十一名、同様な意味合いにおきましてアフガニスタンにつきましては、二月の二十八日に引き揚げ勧告を行いました結果、これはイランとは事態が違いまして、十九名程度の在留邦人しかおりません。
 パキスタンにつきましては格別なる措置はとっておりませんけれども、現在までのところ三百七十一名の在留邦人がおりまして、これら三公館地域とも事態の進展にもかかわらず、幸いにして在留邦人側に対する不慮の事故等も報告に接しておりません。したがいまして、全員無事であるということを御報告申し上げます。

○上原委員 
 在外公館の職員はもとよりですが、そういう情勢不安といいますか紛争地域に駐在をしている邦人の安全確保の問題については、なお特段の御配慮を払うべきかと思います。
 そこで加えて、現在アフガニスタンの大使館といいますか在外公館の機能は停止をしているわけですね。どうなっているわけですか。そのあたりはたしか大使も帰還をしたのじゃないかと思うのです。そういう意味で後ほど少しお尋ねしたいと思うのですが、アフガニスタンの情勢の関係もあるのですが、今後どのように在外公館の機能回復あるいはいろんな情勢把握を政府としてはやっていかれようとするのか、そこら辺についてちょっとお聞かせをいただきたいと思います。

○藤井説明員(外務大臣官房人事課長)
 アフガニスタンの大使館につきまして現状を御報告申し上げます。
 前田大使は先般帰国いたしまして現在東京におります。残っておりますのが現在館員一等書記官をヘッドにいたしました五名、それから夫人が四名、計館員及び夫人九名が残留しております。
 今後の見通しにつきましては、アフガニスタンの情勢等を十分把握した上でどういうふうに館の構成等を考えていくかということを十分注意しておるところでございます。なお、館員の状況につきましては、現在物資等は一応不足なく、ぜいたくはできませんけれども入手できるという状況でございますし、安全につきましても十分注意はしておりますけれども、当面のところ、それほどの危険はないということでございます。

○上原委員 
 まだ一等書記官以下五名の方々がおられる、同時に家族も若干残っていらっしゃる、計九人ですか。その他の邦人はもう向こうにはいないわけですね。

○塚本政府委員 
 お答え申し上げます。
 先ほど申し上げました十九名の在留邦人中、館員は婦女子を含めましてたしか九名、残りの十名は現地人と結婚した商社員あるいは留学生で、もうそこに根づいたといいますか、そういうような方であります。

(以上引用終わり)
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 現在の私たちは,アフガニスタンでその後何が起こったかを知っている。
 で,私が考えたのは,「もうそこに根づいたといいますか、そういうような方」とされた「残りの10名」は,その後どうなったのだろうということだ。
 在アフガニスタン日本国大使館はその後もしばらく維持されていたが,1989年のソ連軍撤退後に閉鎖され,2002年に再開されるまで13年間,邦人の保護を行う体制はとれていない。現地人と結婚していようが,日本国民であることに変わりはないと思うのだが,「そういうような方」は保護に値しないのだろうか。それはともかく,もしその10名のなかに,その間をアフガニスタンで過ごし,今もアフガニスタンに住んでおられる方がおられて,話を聞くことができたら,それは大変貴重な話になると思うのだけど。

パーソナルカラー診断 [雑感]

友人の紹介で受ける機会を得た「パーソナルカラー診断」。

はじめに講師から,12色相環とか明度・彩度の意味などを示しながら「肌の色に合う・合わない」とはどういうことか,またそれをどういう基準で決めるかの尺度を教えてもらう(商売の邪魔になるといけないので,その内容は自粛)。
そのあと,床屋さんの椅子のように白い布をかけて鏡の前に座り,実際にいろいろな色(ん?)の大きな綿布を1枚ずつあててもらう。
するとあら不思議,ある色ではやたらと顔色が青く見え,別のある色では表情がけわしく見え,さらに別の色では髭がやたら濃く見え…と,一つずつ顔色の見え方が違うのであった。これは確かに,色ごとに「似合う」「似合わない」があって,全然違うということを実感。

都合2時間近く,百枚以上?の布をあてた末に選ばれた色は
・鶸(ひわ)色
・黄梔子(きくちなし)
・サーモンピンク
ということになった(この他に,ジャケットやパンツの色として推奨の「ベースカラー」もいくつか選んでくださった)。

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ということで,もしこの色のTシャツやポロシャツを着ていたらそれはコーディネートの成果です…と言いたいところだが,なにしろ物持ちがいいので,ワードローブが入れ替わるにはまだ数年から数十年かかるのでは…しかし,数少ないポロシャツのうち2枚が偶然にも,これに近い色だったりする不思議。

マメヒコの料理教室 [雑感]

パンフレットの標題は「マメヒコの料理教室 2012春から夏編 MAME-HICO BUTA-MAME CLASS」とある。4月14日開講・隔週土曜日朝の予定。場所はマメヒコ飯店。

料理教室といえば料理の作り方を教わる(私の場合は,包丁のにぎり方から…)のが相場だが,この料理教室は,「よいお客さんを育てる」ための教室だという。

何のことだかわからないので補足すると,「次の世代のマメヒコを担うスタッフを育てたい。よいスタッフを育てるためには,よいお客さんが周りにいなければならない。だから,よいお客さんを育てたい」というなんとも遠大な計画。毎回,その回のテーマになる食材について,スタッフとお客さんが合同でディスカッション…といっても社長の蘊蓄を拝聴することになるのであろうか。

全10回の第1回が「珈琲」,第2回が「紅茶」,第3回が「中国茶」,第4回が「小豆と大豆」…とくれば,お茶好きとしては参加しないわけにいかないでしょう。
しかしこの料理教室,参加するには書類審査と面談がある(苦笑)

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カフェ「S」惜別 [雑感]

自宅最寄駅の近くにあったカフェ「S」が明日の日曜日でいったん休業するという。
俳小屋が建ち始めたころに知り,とてもありがたい存在だっただけに残念。
店主の挨拶文によれば,お客さんが開店当時の5倍にもなり,他の仕事を兼ねながらの仕込みが大変すぎてお疲れになったとのこと。繁盛しすぎて休業というのもなんだか残念。
最後の1週間は「春を待つ森のリース展」で,壁面にはいろいろなリースが吊られている。

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朝は11時から夜は11時まで,ショーケースにおかずが何品も並んで,イートインでもテイクアウエイでもいただけるだけでなく,お茶やお菓子も充実していた。いちばん利用したのは@90円のオートミールクッキーで,夜遅く,会社帰りにお茶をいただきながらちょっと歯ごたえのあるこのクッキーをかじっていると,ささやかなストレス解消になるのだった。
さらに,佐久のおいしいお米を白米でも玄米でも1キロ単位で売ってくれるという夢のような補給施設だったので,これができなくなるだけでも痛い。

そのうちまた再開することを願い,お店の名前にちなんだポストカードをいただいて帰る。

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マメヒコ飯店「おめでたい餃子の日」(1/5) [雑感]

マメヒコで餃子をいただく日が来ることになろうとは…
いや,渋谷店でレアチーズだとかクロカンだとかビスケットだとかをつまんでいたころ,ほんの数年後にこういう風景が実現するとは全く思っていなかった。

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例によって皮から全部手作りなので,この3日間のイベントのために,スタッフが総出で終電までかかって準備をした(営業時間中もしている)のではないかと想像される…って,この「スタッフが総出で」というのは昔も今も,マメヒコのキーワードになっているのだけど。

それにしても,こんなにおいしいものを毎日いただいてたら,いくら体にいいといっても豚になってしまいそう。

年の瀬の焼売大王(12/29)・カフエ「マメヒコ」へのトリビュートその⑤ [雑感]

いつもお世話になっているマメヒコ飯店(「ウーダの谷のマメヒコ飯店」)のメニューには「焼売大王」という料理が載っているのだけど,ふだんは提供されないこの料理が年末の2日間だけ食べられるというので,ラストオーダーの20時ぎりぎりに駆け込む。

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なんでも,開店直前に考案されたのだそうだが,かなり大きなサイズの焼売に仕立てているのに豚ひき肉にまったく脂臭さがなく,大げさにいえば鶏ササミのひき肉のよう。ホエー豚恐るべし。ジューシーで生姜もよく効いている。ふだん焼売をいただくときは醤油と辛子をどっぷり付けてしまったりするのだけど,この焼売なら薄口醤油やぽん酢をちょっと垂らすだけでもいけそうな,そのぐらい一つ一つのパーツが上品でおいしい焼売だった。鶏鍋から鶏肉の団子と生姜とワンタンと白菜を取り出したような感じ…ちょっと違うか。

ほんの4ヶ月前には想像もできなかった状態で年末を迎えようとしている,この実験精神あふれるカフエが,スタッフの懸命な努力によって成り立っていることはもう何度も書いているけれども,先日,カウンターをはさんで話していて聞いたこんな言葉。

「朝早くから夜遅くまで店をあけるのは無論大変だけど,臨時休業とかで明かりが入っていない店を外から見ると,お店が息をしていないように感じる。特に,お正月のような長い休み明けになると,”すぐに明かりつけて,開けてあげるからね”とお店に言ってやりたくなる。」

経営者とか,この道一筋七十年みたいな料理人がそう言うならまだわかるのだけど,私よりずっと若いスタッフが,特に気負うでもなくそういう言葉をさらっとおっしゃるので,しびれてしまう。
これは愛社精神でもなく,職業を通じた自己実現とかでもなく,「場」に対する真摯な姿勢−役者が舞台に臨むような−とでもいうべきものだと思うが,それを普通のこととして言えるスタッフも凄いし,そういう人材を選抜し鍛えていく経営者や組織風土もまた敬意措くあたわず,である。

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そのマメヒコ飯店の理念について経営者のIさんは,「渋谷・宇田川町あたりで働いたり、暮らしたりしているみんなの,体を気遣う食堂です。」と話されている。

だいぶ以前から,コンビニやファストフードが日本の家庭の食生活をぐちゃぐちゃにしていることへの危機意識についてくり返し発言されており,自分の店のスタッフが多忙のあまりそうした店に依存せざるをえないことを嘆いて夕方の「スタッフ食事時間」を設けたりもしてきた。おそらく岩村暢子さんの『変わる家族 変わる食卓』(勁草書房)や『普通の家族がいちばん怖い』(新潮社)などを読んでおられるのだと思う。あれは実際,本当にぞっとするので,こういう店が増えてほしい。

考えてみれば,一昔前には「町の定食屋さん」っていっぱいあったと思うのだけど。このマメヒコ飯店の近くにも数年前まで「せきや食堂」というご飯やさんがあって,シラスおろしとか野菜炒めとか,おかずを単品で(組み合わせて)頼める食堂としてとても便利だった。そういう店がなくなってしまうというのは,むしろ文明が退化しているような。

そんなこんなで,スタッフの苦労はまだまだ続くのだろうけど,来年も体を壊さない程度にみなさん頑張って,次々に飛び出すアイデアで客を翻弄してほしい。

sweets & sweets [雑感]

マメヒコ飯店(檸檬ケーキ)→三軒茶屋店(イチゴのショートケーキ)とスイーツのはしご。この際なのでカロリーのことはきれいに忘れよう。

カウンターの内側でつくってくださる檸檬ケーキのしみじみと懐かしい甘さと,驚くほど丈が高くて途中で倒れてしまいそうな(実際倒れてしまう)イチゴショートケーキの細かいところまで作り込まれたおいしさとを存分に味わう。檸檬ケーキの檸檬は,ことしも大三島(あとでホームページを見たら,生口島と書いてありました,すみません)から到来したという。
すっかり満腹し,日が暮れた家路を急いでいると,ちらほら白いものが…ホワイトクリスマス!

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クルミ餅の夕べ(12/12) [雑感]

Webでの告知はなく,金曜日にお店で聞いて月曜日にはもう本番…っていかにもマメヒコ。

今回もまた「マメヒコ飯店」開店イベントということで,西国分寺の「クルミドコーヒー」の社長(店主)である影山さんをお招きして井川さんと対談…といっても95%ぐらい井川さんがしゃべっているのだが。いつもの井川節全開。
クルミドコーヒーのスタッフは,開業前に渋谷店へ研修に来られていた。顔もお名前もおぼろげにしか記憶していないが,みな元気にしておられるのだろうか。そういえば,いまだに一度もクルミドコーヒーに行っていない。

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井川さんの話を聞いていると,カフェのお客にはいろいろな人がいるのだな〜と改めて驚くやら笑うやら。また,それに対するスタッフの情報伝播力&共有力のすごさにも感心する。そういう自分も,どんなあだ名を奉られてどのように扱われているやら…(汗)

肝心のクルミのおやつだが,クルミのヌガーやクルミのタルトもおいしいのだけど,くるみだれのくるみ餅がもう絶品すぎ。これが(期間限定なので)一年後まで食べられないと考えると苦しくなるほど。

それはともかく,麻婆豆腐に甜麺醤ないとだめかなあ?私はいつも豆板醤なんだが(笑)

マメと豚の夜話(12/5) [雑感]

マメヒコ飯店の開店を記念するイベント。

北海道で,ホエー豚を飼育して生ハムを生産している大美浪源(おおみなみ・はじめ)さんと井川社長のトークで,大美浪さんがなぜ生ハムづくりに取り組むことになったか,といった話を伺う。
震災以来,なぜか注文が急増したが,増産してもすぐに供給できるわけではないので,どうしても品薄になってしまうのだそうだ。
きょうのイベントのために持参してくださった生ハム(3年熟成!)をスライスしてふるまってくださる。塩味がきいておいしいのは当然として,脂身にまったく臭みがなく,舌の上でとろけるような感じなのがすばらしい。

また,その生ハムに合せてお店が次々に出してくださるおかずやスープがまた絶妙で,このあとに用事が控えてなければ,ビールが何杯でもいけるところなのだけど。
(そうそう,長らく申し訳程度にしか出てこなかったアルコールが,このたびついに本格的に解禁になり,青島麦酒はじめ何種類かのビールがメニューに並ぶようになった。これもニュースといってよかろう。)

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若いころは「町内の三バカ」と呼ばれたというエピソードを苦笑しながら語っておられた大美浪さんだが,誰もやっていない新しいことにリスクをとって挑戦しようとする気迫はすばらしく,そういうところがマメヒコと共感しあうのであろう。

祝・マメヒコ飯店開店(12/1) [雑感]

ちゃんと予定通りに開店したので驚いて…はいけない。

朝9時に雨の中を行ってみると,ビルの3階に,香港の中環の路地裏にありそうな感じの,お粥屋と珈琲舗を足して2で割ったようなお店が…といっても,微妙に「西洋人の考えた東洋」というテイストに(わざと)なっているのだが。
「ナイチャー」(甘いミルクティー)がメニューのトップに載っているのが意表をつくが,どうせなら「鴛鴦茶」(コーヒーと紅茶のミックス)も出してほしい(誰も頼まないか)。
あとタンタとタントン(どちらも甘いエッグタルトのようなもの)があれば完璧なんだけど。

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それにしても,家族に出すごはんというコンセプトにしては選択の余地がありすぎて,迷ってしまう。嬉しいことではあるのだけど,朝食1種類,夕食2種類ぐらいでいいような気もする。
スタッフの皆さんは不眠不休で最後の準備をされたに相違なく,新しいデザインの豆シャツとともに「頑張ってます」感がひしひしと伝わってくる。祝你一路平安!

頼むから [雑感]

欧州の足を引っ張らないでくれ…スロバキア

(いゃまぁその,「自分たちより豊かなギリシャの支援をしたくない」っていう気持ちはわからんでもないけど,通貨制度が崩壊したら,貧乏な国ほどひどい目に遭うと思うんですけどね)