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映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」(2021年イギリス/ロジャー・ミッシェル監督) [映画]

映画について書くのは、何年ぶりだろう。

心躍る感動の物語を求めてこの映画を見ると、「?」になってしまうだろう。でも、少なからぬイギリスの住民が王室に対して抱いている、屈折した親近感のようなものが、この映画にはよく表現されていると思う。手放しの賛美でなく、かといって敵対でもない、微妙な感じの親愛の情。

映画の最後、握手する女王陛下が年齢と逆順に次々に現れる場面でジーンとくるのですね。このような仕事につくことを運命づけられ、それをきまじめに果たしてきた(そういうところは、お父さんにそっくり!)人であることがよくわかる。失礼ながらこの点、現王室の人びとのなかでは、むしろ少数派に属するのではないかと。そのきまじめさが、一筋縄ではいかぬあの国の住民たちから一定の支持を得ている最大の理由なのだと思う(だから、1997年のように「きまじめな女王陛下なら、こういう対応はしないのではないか」と思われると、一転して強い批判を受けることにもなるわけで)。

こういう映画って、本人に出てきてもらって撮影収録するわけにいかないから、どういう構成にするかで決まってしまうところがあると思うのだけど、一介のイギリスおたくとしては十分楽しめる作品だった。

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RBG 最強の85才(2018年アメリカ、ジェリー・コーエン&ベッツィ・ウェスト監督) [映画]

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ネタバレになるので主要な内容に触れられないのが残念だが、細かいところで一つだけ、「これは…」と考えさせられたこと。

1973年にRBGがはじめて連邦最高裁で口頭弁論を行ったときの実況録音を聞いていると、弁論の途中で、レンクイスト首席判事が、今日的にみれば実にしょうもない、法律家とも思えないような質問…というか茶々を入れるのですね(そもそも、当事者の弁論を遮って裁判官が質問をしてもいいのだろうか)。
綸言汗の如しという言葉があるけれども、責任ある立場の者が軽いつもりで発したことばが、後世の人々にどう受け止められるかというのは、避けようのないことだが大事な問題なのだと思う。まぁ本人は14年も前に亡くなっているわけだから、いまさら評判がどうなろうと関係ないのだろうが。

RBGと自分をくらべるのはおこがましいにも程があるが、自分も、自分の持ち場でできることを(かつ、50年後に正しいと思えることを)静かにやろうと思わせる映画だった。keep calm and carry on.




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トーベ・ヤンソンの世界旅行(1993年フィンランド/カネルヴァ・セーデルストロム監督) [映画]

jansson.JPGことしの北欧映画祭「北欧映画の1週間」では、トーベ・ヤンソン生誕100周年を記念して、ドキュメンタリー2本と劇場版アニメ1本が上演されているが、このドキュメンタリーは、1971年にフジテレビがトーベ・ヤンソンを招待した際に、同行したパートナーが8ミリカメラで撮影した映像に、1990年ごろ、当時を振り返って音声でコメントを入れた作品。映像から音声まで20年の時差、それを映画館で見るまでさらに20年の時差があるのが微妙に面白い。タイトルが「トーベ・ヤンソンの世界旅行」となっているのは、日本各地を周遊したあと、アメリカ、メキシコを回ってニューヨークから船でヨーロッパへ帰っているため。

上映後のトークショーに「ハル、孤独の島」のリーッカ・タンネル監督が出演して語ったところでは、最初にこの8ミリフィルムを二人に見せたら、ゲラゲラ笑うばかりで全然コメントが出てこず、「映像を見ながら当時を振り返る」ことにならなかったので、仕方なく著書「コニカとの旅」から抜粋した記述を柱にして、ようやく二人に話をしてもらったとのこと。また、音声とともに音楽や効果音を入れたが、その効果担当はその後フィンランド映画界有数の音響デザイナーになったこと、入れてはみたものの、日本の観衆が聴いて奇異に思わないかずっと心配していたことなども紹介された。

動くトーベ・ヤンソンを見るのも初めてだが、何気ない立ち位置のとりかたとか動作とか視線とかに、一人でものを作り上げていく人らしい孤独感が感じられた。

「ハンナ・アーレント」(2012年独・仏・ルクセンブルグ合作・マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)【ネタバレ注意】 [映画]

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ニューヨーカー誌の記事が巻き起こした激しい論争の背景に戦後まだ15年という時代状況があることは再三説明されるが、どんなことにでも悪者を求めないではいられない当節においても「巨大な悪事が、凡庸で小心な組織人によって引き起こされた」という問題提起は、「悪者」にゲタを預けて安心していた自分にお鉢が回ってくる気分の悪さから、やはり激しい反発を招くことになろう。アーレントの指摘は普遍性をもち、重い。また、ミルグラムの電気ショック実験にも通じるものがあるなぁと思いながら帰宅後にWikipediaで「ミルグラム実験」の項目を見たら、この実験自体が、アイヒマン裁判から派生して(まさにこの疑問に答えるために)行われた実験だったのだね。なるほど。

みすず書房ファンといいながら、大著「全体主義の起原」を読まずにいままで過ごしてきたが、せっかくの機会だから挑戦してみようと思うが、さて歯が立つものか立たないものか。

余談だが、ハンナ・アーレントを演じるバルバラ・スコヴァの立居振る舞いが、同じニューヨークに住む女性を描いた映画「チャリング・クロス街84番地」(1986年米・デビッド・ジョーンズ監督)でヘレーヌ・ハンフ役を演じたアン・バンクロフトと重なって見える。

映画「しあわせのパン」(2012年日本,三島有紀子監督) [映画]

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『かもめ食堂』『つむじ風食堂の夜』『食堂かたつむり』の三作をたわむれに「食堂三部作」などと(私が)呼んだことがあったが,本作はカフェが舞台でありながら,それらとは少し傾向を異にする作品。

見ているうちにわかってくるのは,人と人との相互作用というか,Aの気持ちがBに影響し,そのBの気持がAに影響し…ということが,実はAにとってもBにとっても自らの成り立ちになっている,というようなこと。あるいは,それぞれに事情をかかえる一人ひとりが,やはり事情をかかえる別の一人から,少しゆらぎのある光を受けることではじめて,自分の形がわかる―その事情自体は解決されないにしても―というような。ちょっと三浦しをんの世界につながるところがあるかも。

これらはむろん,殊更だてて説教くさく示されるのではなく,見ている側が自分で考えるようにできているのだが,少なくとも「おいしいパンとコーヒーが出てくるだけの,広告代理店風のふわふわした話」ではないということ。

というような講釈はさておき,主題歌に使われている矢野顕子の「ひとつだけ」(藪柑子的には「自転車でおいで」と並ぶ名曲!)とも相まって,力強く温くかつ爽快な読後感(ってどんな読後感なんだか意味不明)を保証してくれるすばらしい作品。推奨★★★。

四つのいのち(2010年イタリア=ドイツ=スイス合作,ミケランジェロ・フランマルティーノ監督) [映画]

このところ訳あって「人間と自然が水平の関係」というフレーズを考えつづけることが多いのだけど,それを地で行くような映画。

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イタリア南部,カラブリア地方の山深い村で山羊を飼う年老いた牧夫がやがて死の床について…からはじまる命のバトンの物語なのだけど,日本に住む私(たち)はさまざまな理由から「人間と人間以外」をことさらに区別しない傾向があるので,さしたるショックもなくこの話を受け入れることができる。また,季節感が明確に描き出されていることもこの映画をなじみやすいものにしている。

引いた位置からのショットが多く,画面に目を凝らさないとどこで何が起こっているのか見落としてしまう。また不思議なほどの長回しで,一体何回撮り直したたのだろう…と心配になる。プログラムを読むと,一番長いシーンは9分で,22テイク撮ったうちの17番目のテイクを使ったと書いてある。88分の映画の中の9分ですよ!

こうしたこと全ては措くとして,セリフも音楽も(劇中で奏でられる音楽は別として)全くないこの映画は,見終わって「ああ面白かった」と言って忘れてしまうような映画ではなく,あとからじわーっと効いてくる映画であって,かつ俳句的でもある。

あと,映画を見るとその舞台やロケ地に行ってみたくなる癖があるが,これもかなり行きたくなる映画…でもこの村には,宿屋はなさそうだけど。

(2011.7.9 名古屋シネマテーク)

どこかで見たことが [映画]

Jamie: Boa noite, Aurelia.

Aurelia: Boa noite, Jamie.

Jamie: Bonita Aurelia, eu “vir” aqui para te pedir para casar comigo. “Yo” sei que ser louco porque mal te conheço, mas, às vezes, as coisas são muito claras para mim… Não preciso de provas. “Yo” vive aqui ou tu vive na Inglaterra comigo…

Aurelia’s Sister: Vá para a Inglaterra, rapariga, pode ser que conheças o Princípe William e casa-se você com ele.

Jamie: É claro que “eu saber” que tu não eres tão louca como eu. É claro que “yo” pensar que tu dizes “não”, mas é natal e… Eu só queria saber.

Aurelia’s sister: Oh, pelo amor de Deus! Diz que “sim”!

Aurelia: Thank you. That will be nice. Yes is being my answer......easy question.

Aurelia’s Father: Que que tu dissestes?

Aurelia: Que sim, é claro.


アカデミー賞受賞作品「英国王のスピーチ」を見ていて,この感じってどこかで見たことがあるような気がするぞ…と思い出したのが,「ラブ・アクチュアリー」(2003年イギリス・アメリカ,リチャード・カーティス監督)の1シーン。【以下ネタバレ注意】

終盤,コリン・ファース演じるJamieがクリスマスにマルセイユの下町のポルトガル人街(本当にそういう地区があるか知らないが)にかけつけて,レストランのお客さんたちがかたずをのんで見守る前で,覚えたばかりのたどたどしいポルトガル語でAureliaにプロポーズする場面

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たどたどしくも決然としていて,でもちょっとためらいがちな感じがなんとも真に迫っていて,あらためてDVDで何度見てもしびれてしまう…ってポルトガル語わからないのだけど,英語字幕が出るので(汗)。

よく聞くとAureliaはいつの間にか英語を勉強していて,英語で返事しているのだけど,親父さんはその英語がわからずに("Yes"ぐらいわかりそうな気もするが,そこはまあ映画なんで),「今何て言った?」とAureliaに尋ね,それを聞いて初めて店じゅうがブラボーの嵐になるところも面白い。

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リチャード・カーティス監督の映画って,こういうラブコメでもいかにもイギリス風味で微妙に陰影があるのでいいなあ。

狩人と犬、最後の旅(ニコラス・ヴァニエ監督 2004年仏・独・瑞・加・伊合作) [映画]

邦題疑問。せいぜい「最後の罠猟師,その犬たち」ぐらいか。

俳句を詠む人間から見ると、この生活は人事以外のあらゆる季題の宝庫に見える。季節感がありあまっているところに暮らしたとき,それを表出する意欲が増進するか減退するかは不明だが。水まわりの季題だけでも
・春 雪解,残雪,薄氷
・夏 泉,滝,ボート(もっとも,ここではボートは季題とはいえないが)
・秋 秋出水,野分,水澄む
・冬 雪嵐,氷,橇
とか。

西部劇の世界そのままの「都会」(ドーソン)にも実は,罠猟師を応援してくれる商店主がいるというあたりが面白い。ちなみにドーソンは都会とはいいながら人口1,251人,世帯数は540世帯しかないという(2001年国勢調査。Wikipediaによる)。

また,トリビアルな関心としては
・水上飛行機
・ハスキーの青い瞳の起源
・日ごろ見かけるハスキーより脚が細く長い(=背が高い)
・振り分け荷物を胴にくくりつけて歩くハスキー
・罠道ということばの意味
など,もう少し考えてみたい。

もうひとつの関心事としては,映画に出てくる先住民の役割がある。
まずネブラスカ。彼女のノーマンとのかかわり方は,詳しく説明されていないが,どのようなものか。また「お酒はだめよ」のせりふの意図は?リアルワールドでは,アルコール依存の先住民がよく登場するが,それとの関係は?
最後に出てくる毛皮仲買人の青年。毛皮の値段は高くなっているかという話が繰り返し出てくるが,ストーリー全体のなかでこの話がどういう役割を果たしているのか,よくわからない(文明不信?)。また,飲み屋でノーマンとともに酒を飲む彼の役割も。

ノーマンがどういう経緯で罠猟師になったかは明らかにされていないが,まったく無関係に連想したのは,いまもアメリカ西海岸の山中にひとりで住むという多数のベトナム帰還兵のこと。

全編を通じて最も印象に残ったのは,酷寒の大地にともるちいさな灯のオレンジ色の暖かさだった。

 モノクロの凍土のはての寒燈 薮柑子
 山脈の深く深くに寒燈      薮柑子