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田中真知『旅立つには最高の日』(三省堂、2020) [本と雑誌]

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「見えている風景が違う」という言葉があるように、同じ旅をしていても感じ方が違うなんてことはざらにあるけれど、この本を読むと、本当に見えている風景自体が違うのではないかと思わせるものがある。

 さらにいうと、仮に見えている風景や感じ方までは同じだったとしても、それを記述する力が全然違う(自分はもちろん遠く及ばないのだけど、上とか下とかではなく、この人のように記述することは難しいという意味)と感じる。田中真知さんと蔵前仁一さんが同じ旅をしたら、どちらも楽しい、しかし全然違った旅行記が二冊できるのではないだろうか。

 また、この本の隠れた主題である「親との関係」は、直截に「だから旅に出るのだ」などとは書かれていないけれども、親との関係が、その人が旅に出る理由や、その人の旅の様式や方法に影響する要素であることを改めて思い出させる。

 
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第163回深夜句会(12/9) [俳句]

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対面の句会は(自分は)これで年内最後。むかしながらの喫茶店のテーブルにひしめきあって短冊を書くのだけど、これもまた、第6波とやらで中断することになるのだろうか。

(選句用紙から)

聖夜飾る枯木を金に銀に塗り

季題「聖夜」で冬。とっさに連想したのは、デパートのショーウィンドウなどに、木の枝が白とか金銀に塗られている飾り付け。商品を売るための展示なので、木の枝自体はその手段にすぎないのだけど、そのために「枯木」がさまざまな色で塗られてしまうところに、いくぶん反感、とまではいかないが、軽い皮肉のようなものが感じられるところが、この句の味わいどころではないかと。

松の木も聖樹となりて住宅地

季題「聖樹」で冬。今出来の住宅地などで、隣近所が競うように庭に電飾を施すことがあると聞くが、そういう地域で、なりゆき上仕方なく、庭の松の木をクリスマスツリーに仕立てることになってしまったということか。「も」が余計だが、松の木をシンボルツリーにしている家、という時点で、それなりに年数の経っている家、ひょっとしたらそこが住宅地になる以前から住んでいる一家であることが示されている。

覆ひかむさりて其の儘蔦枯るる

季題「枯蔦」で冬。秋までに伸び放題伸びて家やビルに覆いかぶさった蔦が、そのままの形で枯れている。もっとも、春になればまたそこから葉が出てきて、いっそうびっしりと覆い尽くすことになるのだけど。「そのまま」に味わいがある。

(句帳から)

クリスマスリース掲げて集会所
駅前に駅前旅館寒灯
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砥上裕将『7.5グラムの奇跡』(講談社、2021) [本と雑誌]

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『羊と鋼の森』を連想させる、爽快感のある青春小説。ひんやりとした北国の小都市を連想させるところも似ている。兄貴分にあたる剛田さんはじめ、登場人物もキャラが立っていて、テレビドラマの脚本のようでもある。
少し出来過ぎかもしれないが、物語の初めに出てくる「倉田さん」と最後にふたたび交わす会話が、地味ながらいい。

 
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