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第138回深夜句会(11/14) [俳句]

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(選句用紙から)

空白は雪原クリスマスカード

 雪も季題だが、この句の季題は「クリスマスカード」のほう。受け取ったのか書いているのか、クリスマスカードにサンタクロースとかトナカイのそりとかが印刷されているのだけど、その周囲は、文字を書き込むための余白(空白)になっている。何も印刷されていない空白は、あたかも雪原であるかのように見えるデザインになっている。
グリーティングカードによく用いられる、ザラザラした(=あまりつるつるしていない)厚手の紙のあたたかな質感が連想され、ひいては送られてきたクリスマスカードの温かさが感じられるような一句。

耳の皮膚うすらかなるや冬日影

 うすらか(薄らか)、ってあまり使わない表現だけど面白い。
 最初、冬の日影に入って耳が寒い、そういえば耳の皮膚は薄いので寒さを感じやすいから、という身体感覚が面白いと感じたのだけど、互選のあとの検討で、これは冬の光がさしていて耳がほの赤く透けて見える、という他の句でしょう、と指摘されて、なるほどそうかも、と納得。そうすると、冬の日ざし―低い角度で射しているので、この句のような状況になりやすいーに対する親しみをあらわした句ということになり、こちらの方が詩情としては豊かに思われる。

(句帳から)

湖に突き出た陸地冬桜

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尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新潮文庫、2018) [本と雑誌]

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自分の年代で読書好きの人間なら、石井桃子さん(以下敬称略)の文章に影響を受けなかった者は皆無といっていいだろう。「てまみ」「いやんなる!」「クフロ」「ご解消」…例をあげればきりがないが、藪柑子の貧しい語彙のかなりの部分は石井桃子由来のことばで占められている(分母が小さいので、さらに比率が高くなる)。

多くの著作から単純に導かれがちな「こども好きな児童文学者」とはまったく異なる石井桃子像、キャザーやファージョンやミルンに惹かれ、デモーニッシュなものをかかえた創造者としての石井桃子像を提起したところに、この評伝の最大の価値があると思われる。それを提示した第7章「晩年のスタイル」のなかの「私というファンタジー」(pp.614-621)は必読。むろん、読者がそれに同意するかは別ではあるが、私はかなり説得的に感じた。

また、仕事に関して妥協を許さない石井桃子の徹底ぶりは、求道者のようにさえ感じられるほどで、たとえばこんなエピソードが。
(以下引用)
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石井は一九九〇年代半ばからアメリカの詩人アーサー・ビナード、イギリス人の語学研究者アラン・ストークに、一つひとつの単語の背後に潜む思いもよらない意味合いをつかむため、真剣に「英語のレッスン」を受けてもいた。特にストークとは五年間にわたって石井からの質問とそれに対する氏の回答の往還を繰り返し、これも段ボール箱いっぱいの書類が残されているほどで、その熱意は『今からではーー』の巻末の訳注にも滴っている。(p.622)

九十代にさしかかったその頃の石井は、「私、ようやく英語が少し、わかるようになってきた!」と周囲に自慢してみせることもあったらしい。(p.623)

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(以上引用終わり)
他ならぬ石井桃子に目の前で「私、ようやく英語が少し、わかるようになってきた!」なんて言われたら、絶句するしかないのですが。

この評伝のもう一つの大きな意味は、石井桃子の「通史」が初めて描かれたという点にある。これは、本書でも紹介されていることだが、ある時代を深く共にした友人でさえ、その前後の時代をまったく知らないというような、不思議なことなことが多々あって、それが系統的な(というのかな)理解を困難にしてきたという事情に由来する。

いうまでもなく、石井桃子は著名な人物なので、これまでにも数多くの「石井桃子論」が世に問われたことと思うが、本書は石井桃子論である前に、まずこれだけ多くの一次史料にあたり、かつ、本人や友人へのインタビュー(現在では不可能なインタビュー)を長時間にわたって行っていることから、これを超える評伝を著すことはかなり困難と思われる。

また、本書を読んでの傍論となるが、一次史料の最たるものとしての「書簡」の重要性を痛感する。往復書簡が残されていなかったら、本書を編むことはできなかっただろう。世代の問題にしてはいけないが、これだけたくさんの書簡を残した文学者は、これが最後になるのではないだろうか。

付言すると、石井桃子の評伝であることは同時に、日本の児童文学を築き上げてきた人々の列伝でもある。吉野源三郎や小林勇はそもそも出版人として著名だけれど、松居直、瀬田貞二、いぬいとみこ、光石夏弥、松岡享子、渡辺茂男、中川李枝子、山脇百合子…さながら「石井山脈」とでも呼ぶべきこの壮観!

(11.25追記)
本書では、瀬田貞二との交友についても紙幅を割いて説明している。瀬田貞二の勧めで、石井桃子が俳句を詠んでいたなら、どんな句になっただろうか、とふと想像する。散文でもあれだけリズムに気をつかう名手だから、他にはないような句を詠んだことだろう。

 
 
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津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』(集英社文庫、2014) [本と雑誌]

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津村作品としては珍しく、主な登場人物の片方が男性。
仕事に関しては「そうそう、そういうことってあるよね」という率直な出来事の連続になるのだけど、仕事以外に関しては、何かが起こりそうでいて起こらない。男性と女性の会話も、読み手を試しているかのような不思議な会話で、「この場面でそのセリフですか?」的なはぐらかされ方。出てくる小道具も想定外というか、鍵盤ハーモニカですか。

人によっては、それを物足りなく感じるかもしれないが、自分には、このようなヤマもオチもない(仕事以外に関する)記述こそが、かえって、働く人、それも特別でない人の日常の記述として不思議な納得感がある。



 
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津村記久子『この世にたやすい仕事はない』(新潮文庫、2018) [本と雑誌]

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文句なしに面白い。小説ってこういうことができるのですね。
途中で「あれ?私はファンタジーを読んでいるのだろうか?」などと思わせておいて、最後にこんなふうに結末をつけるところは、小説の実作者でなくても感心せずにはいられない。

それ以上に面白かったのは、本書のあちこちに散りばめられているパワーワードで、能うかぎり紹介したいところだが、ネタバレを避け最小限にすると、
「一日に、A4の紙一枚以上の文章を読むと、虚脱感で使いものにならなくなる」(p.37)
「今のあなたには、仕事と愛憎関係に陥ることはおすすめしません」(p.187)
「疲れ果てている人のためのおかき」(p.195)←これ最高
「やんわりと私の仕事を乗っ取ろうとする人が現れたんですが」(p.227)
「人間の心の隙間にそっと忍び込んで、ぷすぷすと針で穴を開けていくような人々」(p.265)
「憎しみを不当に盛って投げつけてきている」(p.287)
これだけでも、この本を読みたくなりませんか?ならないか。

結末を書けないのが残念だが、ともかく『とにかくうちに帰ります』と併せて読むと、この作者の作品をもっと読みたくなることを保証する。

 

 
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