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第191回深夜句会(4/11) [俳句]

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(選句用紙から)

入学や小雨に濡れて式次第

 季題「入学」で春。式次第だけが濡れているというより、入学式全体が屋外で行われていることが想像される。体育館でなく屋外で行われているというと、公立の大きな小学校なのだろうか。朝礼台の上に校長先生や担任の先生が立って挨拶やお話しをしていて、そこに雨が降り注いでいる風景。


吹き降りのただ中にある初桜

初桜と吹き降り、どちらもあるといえばある風景なのかもしれないが、吹き降りの「ただ中に」すっくと立って咲いている初桜って、通俗的な、つまり華やかではかない初桜のイメージを離れて、実際に見ている人でないと詠めない初桜なんだと思う。


(句帳から)

春惜しみながら麓へ降る径
目の奥のしづかな痛み春愁
桃の花村の半分ほど廃家

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第190回深夜句会(3/14) [俳句]

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暑くなったり寒くなったりで、体力的にキツい。

(選句用紙から)

ささやけるやうに鶯まだ練習

季題「鶯」で春。幼い鶯が小さな声で啼いているのだけど、それがささやくようだ、と。
そこまではいくらもある句かもしれないが、眼目は、下五の「まだ練習」という意図的な字余り。あえてリズムを崩すことで、幼い鳥の鳴き声のたどたどしさを感じさせる。
人によってはその意図をやり過ぎと感じるかもしれないが、私は許容範囲だと思うし、十分楽しめた。

立子忌や和菓子の味の恋しくて

熱帯で立子忌を詠むのはなかなか難しいと思うが、ご本人を存じあげない世代が詠む句として考えるなら、このくらいベタな表現のほうが、かえってそれらしいように思う。ちょっと自信はないが。

髪切つて耳元にある春の風

やられたなーと思う。まず、季題が動かない。ちょっと松田聖子の歌を連想するが、そういう表現を躊躇わないのも経験ゆえか。だいたい「風が耳元にある」って、言われればその通りでありながら、言えそうでなかなか言えない表現。

(句帳から)

風強き夜はとりわけ春の星
青銅の皇帝像に囀れる  
橋桁の川面に近く水ぬるむ 
三月の輪中の村に雨しきり 

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中井久夫集4 「統合失調症の陥穽 1991-1994」(みすず書房、2017) [本と雑誌]

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目立たない論考だが、「危機と事故の管理」を読むと、管理者としての中井久夫さんの素顔が現れていて、精神科医による文章が世の中にたくさんある中で中井久夫さんがよく読まれる理由の一つに、管理者としてのセンスの良さ(をうんぬんする立場にないけれども)があるのだと思う。人命を相手にする仕事だけに、現場で起こるアクシデントにもシリアスなものが多いわけだが、それらに対する臨み方について語られていることは、医療以外の世界で管理者を務めている人々にとって、たいへん納得のいくものであり、また示唆に富むものではないかと思われる。

もう一つ、私が中井久夫さんの論考に共感を覚えるのは、「症例検討会では、住んでいる地域の地理的条件を私はよく問題にする。」(『治療文化論再考』p.285)姿勢だ。「入れ物の形に中身を合わせるように体験を加工しがち」(p.284)な者が多い中、自分はそうではないと明言しているので、この点については自信をお持ちだったのだと思う。この基準ないし座標の持ち方が、中井さんの著作に影響を与えていることは相違なく、それが読者を増やしているのではないかと想像する。

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