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2022・第6回しおや100参加の記録 [ウォーキング]

まったく練習しないまま前日を迎え、雨の中、かつて正調駅前旅館であったと思われる矢板駅前の宿(現在はビジネスホテル)に投宿。

住吉屋旅館.png

21時間を超えてしまった第4回大会(2019年11月)のリベンジをしたいけど、その後の体力の低下は著しく、さらに昨年5月のぐんま100での敗退(リタイア)もあり、今回は控えめに、制限時間(26時間)以内の完歩を目標にする。とはいえ、完歩できるなら24時間以内に完歩したいところ。4月だと日が長いので、前回より5キロか6キロぐらい余計に風景を楽しめそう。

しおやは内陸にあるので、気温の日較差が大きい。この点を考慮して装備をえらぶと、昼の暑さ対策もさることながら、朝方の冷え込みにどう対応するかを考えなければならないところ。で、日本気象協会の2週間予報をモニターしていると、日曜日朝の最低気温が3度とか2度とか、尋常でない低温になる予報。100キロウォークは、あまり体が温まるスポーツではない(だからこそ長時間持続できる)ので、何よりもこの低温対策を考えなければならないが、防寒具を全部背負って歩くのはしんどい。化繊のダウンベストのように軽量かつコンパクトなものばかりならいいが、それだけでは足りないので。

さて当日。
矢板駅から黄色い送迎バスが出発するのが前回と同じ7時20分。玉生小学校の受付を簡単に済ませ、体育館に荷物を預けてフラスクに水を入れると、もうスタート時間である。

8時にスタート。今回は、膝が爆発して途中リタイアした昨年のぐんま100の教訓を踏まえ、
 ・前半はとにかくスローペース。1キロ12分より早く歩かない。
 ・歩行者用信号が点滅しようが気にせず、急ぎ足で渡ろうとしない。
の2点を徹底することが目標。
その上で、残り20キロぐらいの時点で1キロ12分のペースをおおむね維持できているようなら、そこからペースを上げて、ギリギリ20時間以内をめざすことにした。

列の後尾につき、午前8時01分ごろ静かにスタート。意図してゆっくり歩く。最初の1キロは12分05秒。さてこのペースでどこまで行けるか。感覚的にはものすごくゆっくり歩いているが、みな気持ちがはやっているので仕方がない。

前回のしおやは秋だったが、今回は晩春なので、沿道のどの家にもさまざまな花が咲き誇っている。桜はさすがにもう葉桜になっているが、まだ少し花が残っているのが山間部らしい。レンギョウ、花蘇芳、モクレン(白木蓮、紫木蓮)、水仙、黄水仙、芝桜、チューリップ、菜の花とまことに色彩ゆたかで、山間部では春が一斉にやってくると言われるがその通りだ。またこれらが、人工的に整備された公園ではなく、人間の住まう場所にめいめいに植えられているところがよく、横を歩いていて楽しい。

ペースを抑えているので、上り坂がとても楽に歩ける。最高地点(10.7キロ、海抜421m)も難なく通過。各エイドではもれなく食事をいただくことを目標にしていたが、お饅頭とかミニたい焼きとかバナナとか、さらに栄養補給ゼリーまで用意してくださっている。これはありがたい。しかし当然のことながら、ペースを抑えているのでどんどん抜かれてゆく。途中、メイド姿のコスプレをした女性にさくっと抜かれたのだけど、このメイドさんには去年もどこかで抜かれた記憶が。そしてこのかたは、緑番号のゼッケンをつけておられるので、持ちタイム20時間未満なのだ…おそるべし。

20キロすぎ、コースが西へ向いて、はるか遠くの山々が雪をいただいているのが見える。これは春の大会らしく、気持ちのいい風景。あの山はどこの山なのだろうか…男体山か…

男体山.png

少し迷ったが、23.6キロの道谷原エイドで豚汁もいただき、かなりの満腹感。続く26.8キロの道の駅エイドで袋入りの揚げ餅をいただき、さあ食べよう…ところが、両手両指の力が既に落ちていて、袋がうまく開けられない。早くも消耗していて、これは情けない。30.7キロの佐貫エイドを出てすぐに、ぐんま100の実行委員長を務めておられた宮本さんをお見掛けしたが、声をかける間もなく背中が遠ざかっていく。ここから39.5キロの上平エイドまでは、おおむね鬼怒川の流れに沿って緩やかに下る区間で道路も直線が多く、歩きやすいはずだが、前回もうまくペースが作れず苦戦した区間。今回も何度か集団につられてペースが上がってしまったが、そのつど脛が痙攣して減速することになり、結果的に、11分50秒ぐらいのペースをずっと続ける。

鬼怒川.png

39.5キロの上平エイドに15時58分着。ほぼ12分ペースでここまで来た。足首と脛が痛いが、さいわい膝はまだ何の痛みもない。暗くなるまであと2時間半。どこまで行けるだろうか。

集落の中の道を歩いているときには、さまざまなものが目を楽しませてくれるのだけど、田畑の中の道、特に、整然と区画整理された農道を歩いていると、距離の感覚がおかしくなってくるし、何より、退屈で仕方がない。きょうは頭の中で、栗コーダーカルテットの「カントリーマーチ」がぐるぐる回っているのだけど、脳内音楽とスポーツウォッチのキロ数表示だけを楽しみに歩くのは、なかなかに倒錯した趣味である(自嘲)。コースの東の端、東北自動車道に沿った殺風景な一帯をくぐるとすぐに46.0キロの杉山農場エイド。うどんの汁の量をわざわざ尋ねて加減してくださる細やかな配慮に感激する。まだ道のりの半分(50キロ)に達していない事実に気が重くなるが、こんなとき不思議と、ここまで歩いてきた道をスタート地点に戻るよりも、この先の道をゴールまで歩くほうがずっと楽であるように感じられる(いつもそう感じる)。理由はわからない。
宇都宮の日没(太陽上辺)が18時15分、常用薄明が18時42分のところ、ここでは17時55分ごろ山の端に沈む。さえぎるもののない田園の夕暮れ。だれかイングリッシュホルンで「新世界より」第2楽章のテーマを吹いてほしい。

50k.png

50キロ通過が18時10分、まだまだ明るい。

日没.png

ヘッドランプをつけたのは52.1キロのたておか商店エイド。ここまでくると、既に食べ物をとるのがつらくなっていて、お湯だけいただくことにする。急に暗くなり、ヘッドランプと懐中電灯を取り出すが、太陽と入れ替わるように大きな月が出てきて(きょうの月齢は14.9)、その後朝まで照らし続けてくれた。月は驚くほど明るく、これが今回の最大の幸運。ついでにダウンベストとウインドブレーカーを羽織り、夜の寒さに備える。

57.1キロのセブンイレブンにふらっと立ち寄り、食欲はないがゼリーを1個購入して歩きながらいただく。58キロの私設エイドである「さいかち」さんは、今年も各種おにぎりを用意して待ってくださっていた。食欲は全然ないが、炭水化物を補給しないと完歩できないので、おかかのおにぎりをいただきながら夜道を歩く。ヤイタ工業に通じる森の中の道は、前回も感じたことだけど、深い森のように見えて途中からふと住宅地に出てしまったり、なんだか不思議な雰囲気の場所。

暗闇を68.0キロの玉生小学校まで戻ってきたが、すでに22時半を回っている。

玉生小学校.png

なぜか誰もいないベンチで、ポットからお湯をそそいで粉末のラテをいただきながら、回らない頭で、ここでリタイアすべきか少し悩む。しかし、リタイア者の待機場所である体育館には暖房がない(=極寒)と聞いていたので、それなら歩き続けたほうが楽かもしれないと考え、ゆっくり歩き続けることにする。玉生から船生への長い単調な上り坂がつらい。少しでもスピードを上げようとすると脛の前側が痙攣をおこすので、ゆっくり歩かざるをえない。左側遠くの小道(85キロ地点)には、反対向きにすごい勢いで歩いている出場者のランプが連なって見える。こちらとスピード感が全然違う…

このあたりから、無性に座りたくなる。72.8キロのファミリーマートにベンチがあるのを見つけて休憩。しかし気温が下がっているので、休むと体が冷えてしまう。座れないのもつらいし、座って寒いのもつらい。ここから79キロの道の駅まで、集落の中の細く暗い道が、果てしなく長く感じる。私設エイドでいただいたキャンディやミルキーを舐めながらトボトボと歩く。

午前1時すぎ、やっと道の駅にたどり着く。もうスープ餃子をいただく力は残っていないが、お湯をいただいて持参のオニオンスープを飲む。靴を脱いでしばらく放心。仮眠場所も用意されていて、1時間ぐらい眠ろうかと真剣に考えるが、一度寝たら最後、起きられないだろうと考え、やはりゆっくり歩くことにする。

ここから先、前回強く印象に残っていた「森の中の暗い道」を今回も歩いたのだけど、月明かりの威力は絶大で、ごく普通の村はずれであることがよくわかる。それでもどこかに座りたくてたまらず、84キロの道路わきに並んでいたコンクリートブロックに腰かけてしばらく休憩。暗闇で道端に座っていると、ヘッドランプをつけていても後続の歩行者に心配されてしまうので、それらしい場所(座っていてもおかしくない場所)を選ばないといけない。

85.7キロから廃線跡に入ると、これが流石というか、やはり鉄道線路の跡だけに傾斜もカーブもゆるやかで、とても歩きやすい。歩きやすすぎて眠くなるのだけど、本当に歩きながら眠ってしまう前に88.2キロの芦場新田エイドに到着。前回より少し手前に移設されていて、焚火はないのですね(あの焚火は、意識の低下とあいまって幻想的だった)。でも腰かけて休むことができた。相当気温が下がっているのを実感するが、重ね着の効果と風がないので思ったほど寒さを感じない。また、微気候とでもいうのだろうか、場所によって暖かい空気と冷たい空気がはっきり分かれているような気がする。いま何度ぐらいなのだろう。吐く息が白いのだが。

芦場新田エイドを出て20分ほどで、東の空が明るくなってくる。周囲や路面がよく見えるので歩きやすくなるのだけど、反面、折り返し地点と思われる集落がはるか遠くに見えていて、あそこまで歩くのか…と気分が暗くなったりもする。

94.7キロの大宮エイド。もうオニオンスープも入らないので、白湯をいただく。トイレがあるが、そのトイレに行く気力もなく、10分ほど休んで出発。あと5キロだが足が前に出ない。なんとか14分台で歩行を続け、午前6時48分にゴール。タイムは22時間48分。密かに狙っていた20時間から遅れること2時間48分…って全然ダメですね。
ゴール横におられた男性から、完歩賞です、とニラを一把いただく。塩谷町の特産なのだそうだ。

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荷物をとりに体育館に入ってみると、石油ストーブが何台か焚かれている。それならリタイアして寝ていたほうがよかったかな?でもまあいいや。
当日の塩谷の気象データを後日検索してみると、16日は日照時間8.5時間で最高気温は16.9度、17日の最低気温は0.7度…0.7度って、これで強風だったら、低体温症で倒れるところだった。くわばら、くわばら。

帰宅後2週間ぐらい、両足首が串団子のように膨れ上がってしまって大変。次回20時間を切るタイムが狙えるかと問われると…全然無理そう。

(6.4追記)
立派な「完歩証」を郵送していただく。記憶よりもう少し短い時間でゴールしたようだが、22時間台後半であることに変わりはない。それでも、残雪の山々や色とりどりの花、新緑を楽しみに来年も参加しようと思う。




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ベン・モンゴメリ『グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル』(浜本マヤ訳、山と渓谷社、2021) [本と雑誌]

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これは読まないと。
スルーハイカーがほとんどいなかった時代に、「なぜ」彼女が歩こうと思ったのか。本書はこの点を考えようとしていて、確かにこれは大きなテーマになるのだけど、今となっては確かめようがない。さまざまに込み入った事情をかかえた彼女の人生も、理由になりそうではあるが、理由と断定できるようなものではない。

それよりも、唯一確実なことは、彼女が歩くことをいかに愛していたかということで、それがスルーハイク完遂後の思わぬ展開(正直、こういう展開は予想していなかった)から読み取ることができる。だから、本書を「歩くことの理由探し」の本として読むと、物足りなさを感じるかもしれないが、歩くことの楽しさに気づいた女性の物語として読めば、ソローやエマーソンを連想したりもして、とても楽しめるのではないだろうか。


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第166回深夜句会(3/17) [俳句]

あと数日で防止措置解除の見込みだが…

(選句用紙から)

上水に野梅たどれば雨となり

 季題「梅」で春。水利のために川や湖から水を引いてくるのが上水なので、ここはもともと水の乏しい畑作地帯で、江戸時代に水を引くために上水が引かれた場所なのだろう。
 で、その上水に沿って点々と梅が植えられていて、それが咲いているという。「たどれば」が心の弾みをよく表しているというか、単なる観梅というより、晩冬の季題である「探梅」にちょっと通じるものがあるかもしれない。春となった今では、雨もそれほど困ったものではないのだろう。

卒園や一人ひとりの植木鉢

 季題「卒園(卒業)」で春。幼稚園か保育園か、そこから帰るこどもたちが、一人ずつ、何かが植わった植木鉢を持っている。去年の秋か冬に、春に向けて植えられた球根であろうか。その花が咲く頃となって、卒園の時期がやってきた。卒園式当日というより、明日か明後日の卒園式に備えて、道具や荷物やいろいろなものを持って帰る日、と感じた。

蕗の薹の香や刻んでは炒めては

 季題「蕗の薹」で春。「刻んでは」「炒めては」のたたみかけ方が周到。

(句帳から)

紅梅と門と塀とが残りたる

 

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