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村井理子『兄の終い』(CCCメディアハウス、2020) [本と雑誌]

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人がどんな人であるか(あったか)は、体重計の数値のように客観的に計測することはできないので、周囲の人との間に何が起こり、周囲の人がどう感じたかから導くしかないのだろうけど(三浦しをん「私が語りはじめた彼は」)、それが一人の人のなかで、さまざまな事実に触発されて起こるところにこの本の味わいがある。多くの読者が、自分だったらどうだろうと考えながら読むのではないだろうか。


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第155回深夜句会(4/8) [俳句]

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(選句用紙から)

自習室の橙色の春灯
 季題「春灯」。自習室があるのは予備校のビルの一角なのか、学校なのか、そこに青白い蛍光灯ではなく、電球色のあかりが灯っている。むろん一年中電灯はついているのだけど、この季節になると、柔らかく暖かみのあるあかりの色に、真冬には感じられなかった興趣が感じられるようになってきた。

小田急の鉄橋遠く春の水
 小田急の「鉄橋の下」なら目の前に春の水があるのだけれども、「鉄橋遠く」なので、春の水も、小田急の鉄橋も遠くにあって、さらに(小田急だからして)そのむこうには丹沢や富士山なども見えているのだろう。その山々の姿も、冬から春のようになってきている。

花屑や暗渠はどこまでもたひら
 季題「花屑」。暗渠をただよう花屑は見えないはずだが、部分的な開渠があって見えているのか、それとも見えていないものを詠んでいるのか。「どこまでもたひら」で、暗渠の上は道路や遊歩道になっていることが想像され、実際にはわずかな傾斜に沿ってゆっくり流れているのだとしても、詠み手の脳裏には、花屑が暗渠の同じ場所にずっと漂っているように思われ、それがある種の季節感と詩情をもたらしている。

引継を終へて仰げる桜かな
 仰ぐというからには、オフィスの窓から見上げる角度に咲いているのだろう。きのうきょう植えられた桜ではなく、ことによると新入社員だった時代からそこにあるのかもしれない。あとはよろしく、と桜にも挨拶をして立ち去りたい気分。

(句帳から)


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松本創『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』(新潮文庫、2021) [本と雑誌]

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敵味方とか、悪者対正義の味方とか、善悪二元論でしか世の中を見られない人は少なからず見かけるのだけど、そういう人にとって、この本はつまらないことだろう。
しかし、そういう構図を使わずに話をつめていこうとすると、敵味方じゃないだけに話は一直線には進まず、三歩進んで二歩後退するみたいな経過をたどるし、メデタシメデタシにはならないし、同一人物の発言のなかにもさまざまな矛盾が現れたりするので、読み手にもそれなりの我慢が要求される。そこに本書の価値があるように思う。

また本書では、何人かの重要人物について聞き書きをしており、この聞き書きが重要だと思う。特に、この会社の「天皇」とも評される人物の談話は、他に2人の記者が同席している場での話なので信憑性が高く、従って資料的価値という点でも本書には意味があると思う。


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日下三蔵編『狂った機関車 鮎川哲也の選んだベスト鉄道ミステリ』(中公文庫、2021) [本と雑誌]

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うーんこの。読む前には想定していなかった感想が。

コナン・ドイルの「シャーロックホームズの冒険」シリーズに描かれているイギリスは、ヴィクトリア時代のイギリスだと思うのだけど、ヴィクトリア時代について何も知らなくても、十分楽しむことができる。

他方、この本で紹介されているミステリは、いずれも戦前から戦後まもなく書かれたものなのだけど、いま読んでみると、ひどく古めかしいというか、すっと入り込めないものを感じてしまう。特に、ホワイダニット(犯行の動機)の部分がよくわからない。
またどの作品も、発表された当時は随所に最新の習俗を取り入れたものだったと思うのだけど、それが仇になったというか、最新式であることが価値の中心を占めた結果、最新式でなくなった瞬間に価値が暴落したというか。

この本で一番関心を惹かれたのは、編集者には申し訳ないことだが、表紙の写真だ。薄暮のころ、雨に濡れた島式ホームの片側に101系だか103系だかの電車が入ってきて、もう片側には2軸貨車を連ねた貨物列車が止まっている。隣のホーム(たぶん)には、2扉と3扉の旧型国電が止まっているという風景。けっこう珍しい組み合わせと思うのだけど、これはいつ、どこの駅で撮影された写真なのだろう。

 
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