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第145回深夜句会(6/11) [俳句]

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先月同様、気分だけはカフェでの句会ふうに…

(選句用紙から)

 さみどりの中に生まれしトマトかな

 季題「トマト」で夏。トマトの赤い色を詠んだ句は数多くあるが、その赤が、緑色の壁ともいうべきトマト畑の中からぽつんぽつんと生まれてくる。赤い果実が緑の草木から生まれればみな同じことのように考えがちだが、露地にせよ温室にせよ、トマト畑は背丈を伴った緑色であって、ことによるとその蔭からあるじが出てきたりするぐらいのボリュームがある。その、上下左右どこまでも圧倒的な緑のあちこちに、ふと赤がきざして、トマトの実が「生まれて」くることの感興が詠われている。

つひの色深めて垂るる四葩かな

 季題「四葩」で夏。さまざまに色を変えて咲くあじさいの、そのいちばん最後の色がいっそう深まり、花全体が下をむいて垂れている。一句の眼目は「つひの色」にある。この句では、最後の色、つまり、青が強まったり赤が濃くなったりしたあげくの、その最後の色という意味で用いられており、ああなるほど、あじさいだからこそ「つひの色」があるのだと思わせる。
 他方、「ついの住処」とか「ついの別れ」などという言葉があるように、「つひ」は、人生の終わりを示すことばでもあり、そう読むと、さまざまに咲きついできたあじさいの花の終焉と読むこともできる、ただその場合、「垂るる」との距離が近すぎるかもしれない。

五月雨や二級河川といふ大河

 季題「五月雨」で夏。芭蕉の句や蕪村の句が「疑う余地のない大河」を詠んでいるのに対し、「二級河川という大河」なので、「河川法上は二級河川とされているが、しかしこの季節には増水して、二級河川という立派な大河なのだ」という句になる。比較的地元の生活に近い存在なのが二級河川でもあって、おらが村、おらが町の五月雨の様子として鑑賞することができる。

夏めくやキッチンマット洗ひたて

 夏めくは「夏らしくなる」。バスマット等と違って大きさがあるから、毎日洗うことが必ずしも想定されていないのがキッチンマットだが、きょうはそれを洗って干した。初夏の陽気でそれがきれいに乾き、その風合いを足の裏で(この季節なので、はだしで)楽しむことができる。季題が動かない。

(句帳から)

梔子の咲き疲れたる夜風かな
前線が通過してから青嵐

 
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第144回深夜句会(5/14) [俳句]

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気分だけは、カフェで句会をやってる風に…

(選句用紙から)

柿若葉けふも真新しき色に

季題「柿若葉」で夏。「若葉」も季題だが、特に柿の若葉は、ひとめでそれとわかるほど鮮やかな黄緑色をしていて、かつ、その色が何日も続く。きょうのような雨の日でさえ、そこだけ明るくなっているほどだ。通勤途上の公園あるいは生産緑地であろうか、思わず口をついて出た「けふも」という言葉が、柿若葉の柿若葉らしさを言い得ている。

レコードの音色のやうに霾れる

季題「霾」で春。黄砂の色や形について誰もがさまざまに詠むのだけど、これは意表をついた表現。アナログレコードをプレーヤーにかけたことのある人ならば、レコードにはジリとかパチといったノイズがつきまとうことをご存じだと思うが、避けがたいそのノイズの感じが、目に見えない黄砂のちりちりザラザラした違和感に通じるというのである。もちろん感覚なのだけど、そうだよね、という一句。

春雨の厚さの見ゆる街路灯

灯火が横からあたると、雨粒の大きさや密度がわかる。ここでは春雨に街路灯があたっているのだけど、大きさも密度も、それほど「厚い」わけではなかろう。さほどでもない厚さを、あえて「見ゆる」と表現したものと観賞した。

後れ毛の白髪きらめく薄暑かな

季題「薄暑」で夏。軽く汗ばむような暑さにあって、女性の後れ毛に光があたって白く輝いている。「銀髪」などという言葉もあるが、この句では、白髪も、そのあるじも、「きらめく」という少々通俗的な表現で肯定的に捉えられている。

(句帳から)

カメラから見えない位置にアイスティー


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