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第170回深夜句会(7/14) [俳句]

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回を重ねて170回。計算上はあと2年半で200回になるが、ここへきてコロナがまたまた増加基調に転じてしまい、来月はどうなることやら。

(選句用紙から)

草刈機の一斉に止む正午かな

「一斉に」というからには、複数台なのですね。とすると、広い場所なのだろう。で、その複数台の草刈り機の音が、正午になって、それぞれキリのいいところで止まるのではなく、タイマーで電源が落ちるかのように、ピタッと揃って止まる。そこに詠み手の興趣がある。視覚ではなく、あくまでも聴覚。その実態が、統制がとれた部隊なのか、それとも、一秒でも早く離脱したい人たちなのか、そのあたりはわからないが、午後になったらまた、「一斉に」音を立て始めるのだろう。


黒南風や泣く子を更に叱りつけ

季題「黒南風」で夏。雨と雲を伴ってやってくる暗い南風と中七下五があまりに合致していて、しばらく身動きができなくなるような一句。自分で自分のブレーキが壊れてしまう感覚と、梅雨末期の壊れたようなひどい雨の降りかたの符合もまたこの句の眼目。自分のなかの、ふだん抑えつけている不穏なものを召喚されたようで、もやもやした読後感が長く続く一句。


水面をチクチク進む目高かな

季題「目高」で夏。「チクチク」の発見がこの句のすべてといったら大げさになるが、新しく作られたことばでなく、従来「背中がチクチクする」とか「チクチクと縫う」のように使われていたことばを目高の動く様子に転用して間然とするところがないのがいい。そういう句に接すると、「そう言われればそんな気がするのだけど、どうして今まで思いつかなかったのだろう。」と思うのだけど、今回もそのとおり。


(句帳から)

街灯にかぶさりなほも繁りたる
七月の日没あとの空の色


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高橋秀実『はい、泳げません』(新潮文庫、2007) [本と雑誌]

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仙台の町を歩いていたら、アーケードに面した本屋の様子に見覚えがある。見覚えがあるのみならず、学生のころ、この本屋に入って本を買ったことがあるような気がする。仙台にはこれまで両手の指ぐらいの回数しか行ったことがなく、そのときもなぜ仙台の町を歩いていたのか思い出せないのだけど、この本屋でハードカバーの本を買って、春先のみぞれ降る中を仙台駅まで歩いたような、奇妙に具体的な記憶が残っている。

記憶の混線がもたらす既視感(←よくある)なのかもしれないが、大昔のことゆえその場で真偽を確かめようがないし、自分の記憶があてにならないこともよくわかっているので、文庫本を一冊買い、カバーをかけてもらい、帰宅してから古い記録と照らし合わせることにした。ーーー

この本、東京行きの新幹線に乗っているあいだに読めてしまうページ数なのだけど、「たいていの人が体を動かしながら、よくわからないままになんとなくそんなものかと考えて済ませてしまうこと」を、どこまでも言語化しようとする凄まじい努力が逆に笑いを誘うというか、おかしくてたまらない。どこまでが計算してズラしているのか、またはどこからナチュラルにズレているのかよくわからないぐらい変てこりんな記述なのだけど。いまだに泳ぎの苦手な自分が強く同意したのは「溺れかけたときの記憶が細部まで鮮明である」という箇所。あれはどういう理屈なのだろう。

文庫版のためのあとがきを読んでさらに驚いたのは、これがどこかの自治体の市民プールみたいな場所で、著者が何者であるか知られずに行われた講習ではなく、青山の高級スポーツクラブ(高級かどうか調べてないけど、場所柄そうなんだろう)で実際に行われたレッスンに基づく作品だったという点。いやむろん、そのことはこの作品の価値を損なうものではないのだけど、生徒が誰だかわかっていてレッスンするとなったら、コーチとしても言葉を選ばざるを得ないというか、自分のレッスンがどう記述されるか意識するわけだから、言語化のための特別な取り計らいが生まれやすいのでは。

さて冒頭の既視感問題に戻り、帰宅して古いノートを引っ張りだしてみる。ノートには1979年1月1日以降、新たに買い求めた本のタイトル・著者・購入した書店の名前・日付・金額が書かれている(2000年1月以降はExcelで作成しているので、ノートの最後は1999年12月になっている)。それによると、

1982年(昭和57年)

50 こころの旅 付 本との出会い 神谷美恵子 みすず書房 7.27 仙台・金港堂

となっている。「50」はその年50番目に買い求めたことを示す。

既視感は幻覚ではなかったのですね。ただし記憶と実際が違うところが2つ。1つは、春先でなく夏だったこと。もう1つは、記憶の中のこの本屋は東を向いて(つまり、南北のアーケードの西側に)建っていたが、実際は西を向いて(アーケードの東側に)建っていたことだ。みぞれの中を歩いたのは、おそらく、次に仙台を訪ねた1984年3月だろう。

いろいろなことが急に思い出されてきた。当時、みすず書房から数か月ごとに出ていた「神谷美恵子全集」を楽しみにしていたのだった。今なら、重い本は地元の本屋で買うのだろうけど、わざわざ旅先で買って読んでいるので、旅行中ずっと持って歩いたのだろうか。
ついでにいえば、神谷美恵子の存在を教えてくれたのは、そのさらに3年前、世界史の教育実習生としておいでになった文学部の学生さんだった。なんで世界史で神谷美恵子なのかというと、「自省録」の翻訳者として教えてくださったのだけど、先生ご本人がお元気だったとして、そんな授業をなさったことは覚えておられるだろうか。

しかし一番肝心なことが思い出せない。1982年7月27日に、自分がなぜ仙台の町を歩いていたのか。本屋に入るぐらいだから一人で歩いていたのだろうが、何をしに行ったのだろう。

それはそうと、この「こころの旅」、実家に置いてきたのだろうか?ひょっとして、今も持っているのではないだろうか?と本棚を探してみると、あった。左は今年のカバー、右が1982年のカバー。

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