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津村記久子『ディス・イズ・ザ・デイ』(朝日文庫、2021) [本と雑誌]

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「この世にたやすい仕事はない」(2018)に出てきたフットボールチーム「カングレーホ大林」が現れてちょっと驚く。名前の由来がわからないが、なんで「大林」だけ架空の地名なんだろう。また、地名の単位が小さければ小さいほど、そこから想起されるイメージが具体的になるので、ストーリーもリアルになりやすいような気がする。たとえば、旧国名でもある「土佐」「出雲」と、「川越」「遠野」「白馬」などのスコープの違いは明らかで、どちらがいいという話ではなく、読み手が受ける印象が異なったものになってくる。

第10話「唱和する芝生」が最も楽しく読めた。ここに出てくる曲のほとんどを知らないが、それでも楽しく読める。この第10話の主人公は、それほど重い屈託を抱えているわけではなく、この点が津村作品のコアなファンには物足りないと感じられるかもしれないが、シンプルなストーリーのなかに、人がなぜ生きていけるかの示唆があるように思われる。

また、私はフットボールを全然知らないが、だからこの本が楽しめないということは一切なかった(知っていたらもっと楽しめる点があるのかもしれないが)。だから、フットボールを題材にしているとはいえ、これを「サッカー本」と呼ぶことにはちょっとためらうものがある。それは、「この世にたやすい仕事はない」を「お仕事小説」と呼ぶことがためらわれるのと同じだ。
 

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第167回深夜句会(4/21) [俳句]

句会場にしていた某喫茶店の営業時間がコロナ禍で20時までに短縮されていたところ、今月から21時までに。なので、20時集合で1時間限定ながら、長テーブルで楽しく句会。

(選句用紙から)

ストックの足腰丈夫さうなるよ

南房総でストックが咲いたニュースは、春先の定番ともいえるのだけど、まだ風が強い早春の冷気に抗して揺れているストックは、確かに茎がぶっとくて、「足腰が丈夫」そうだ。なので、花の姿かたちそのものでなく、その踏ん張っているさまを「足腰丈夫さう」と叙したところに、眼前の事実でありながら詩情があるといえそう。さらに言うと、その花の名前が「ストック」であるというところが、名前の由来は知らないのが、スキーやウォーキングに使う「ストック」を連想させ、これまた「足腰丈夫さうなるよ」に回収されるところが、作者として意図したのであればたいへん周到に感じられる。

中庭の人工芝に桜散る

「中庭」に「人工芝」が敷かれている場所って、どんな場所なのだろうか。いまでは個人の住宅にも中庭があったりするが、それだと人工芝に桜が散ることへの興趣は感じにくそうだ。それよりは、学校とか官庁とか、複数の建物が並んだある程度規模の大きな施設を想像するのだろう。桜が散りかかっているわけだから出来たての施設でなく、それなりの年数を経たところなのだろうが、それ以上の鑑賞がちょっと難しい。

やはらかに風吹く日なり桜餅

季題「桜餅」で春。屋外または屋外につらなる室内で桜餅をいただいているのだろう。吹いている風が、もう冬の風でなく、春のやわらかい風だ、という一句。類想ありそうだが、「風吹いてをり」でなく「風吹く日なり」としたことで、自分と、自分が過ごしている時間を、斜め後ろから見ているような、やや引いた視点を提供しているところが一句の手柄か。


(句帳から)

つないだ手を放し入学式の列
さつきまで降つてゐた雨鳥帰る
植木屋の軽トラが来て麗かに

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