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普及の名作 [雑感]

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某アウトドアブランドのメールマガジンの配信登録をしているのだけど、某日配信されたタイトルを見てゲッとのけぞった。

普及の名作「〇〇〇〇」の新モデル

ふ、普及の名作??
それも本文ではなくタイトルですよ。
そして、もっと驚いたことに、一日経っても訂正のメールが来ない。

このメールマガジンの購読者が何千人あるいは何万人いるのかわからないけど、配信元の担当者は当然この誤変換に気づいたと思われ(これが正しい用字だと思い込んでいたら軽くホラーだ)、しかしこの程度の誤字なら訂正(さしかえ)をする必要がないと考えたと想像すると、何だか暗い気持になる。写真にかけるお金はあるけど、校正(というほどのことですらないが)にかけるお金はないということだろうか。せめて同僚どうしでチェックすればいいと思うのだけど。

まあそれ以前に、自社の製品を「不朽の名作」と形容するか、という問題があるのだけど。「不動のロングセラー」ぐらいにしておけばいいのに。


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惜別・201系 [雑感]

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偶然やってきた201系に乗る。およそ10年ぶり。
そういえばこの電車はこんな音で走っていたなぁと思う。通勤通学で201系を毎日利用していた期間はないのだけど、理由なく懐かしい。日本国有鉄道時代の生き残りだからだろうか。
あとでウェブで調べてみると、まもなく引退予定なのだそうで、久しぶりの機会が最後の機会になってしまった。

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説明するということ [雑感]

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誰かに何かを「説明する」ことが仕事の(少なくとも)一部である人は、相当多いだろう。自分もその一人。

いささか旧聞に属するが、メルケル独首相が3月18日におこなった、コロナウイルス対策への協力を求めるテレビ演説(一般的な対策でなく、移動の自由を制限する措置について、協力を求める演説)の日本語訳を読んで、単なる技術論を超えて、「説明する」ことの本質をついているなーと感心する点が多かったので備忘として。

なお、演説はYouTubeで視聴できるが、当然にドイツ語なので、ここでは、Mikako Hayashi-Huselさんのウェブサイト「Mikakoドイツ語サービス」に収録された、Mikakoさんによる試訳「コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文」から適宜引用させていただく。いうまでもなく、このような訳が迅速に提供されることも、本当にありがたいことだと感謝したい。

まず、自分がどのような立ち位置でこの演説を行っているのか、きちんとクレジットをつけているところ。具体的には、
(以下引用=青字(以降同様))
エピデミックについてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。
(以上引用終わり)
というところ。こういうときに、全知全能ぶったり主語が大きくなったりしないのは大事なことですね。

次に、これは多くの方が既に共感を表明されているところだけれども、医療従事者や流通関係者など、対策の最前線にあって人々の生命や生活の維持に大きく貢献している方々への謝意を明確に表明していること。たとえば、
(以下引用)
私は、この機会にまず、医師としてまたは介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。 そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。 (以上引用終わり)
とか
(以下引用)
ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。
(以上引用終わり)

というところ。この謝意があるからこそ、それ以外の人々にも向けた、新たな制限や制約への協力の呼びかけが、活きたものになってくるわけで。

3つ目に、ここが藪柑子的には最も感心したところなのだけれど、
(以下引用)
私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。 このため、国境検査の厳格化と重要な隣国数か国への入国制限令が今週初めから発効しています。
(以上引用終わり)

単に「このような制限を課すのは本意ではないが」と言ってみても、あるいは、形容詞や副詞を動員してみても、このニュアンスは伝わらないわけで、この下線部は説得的であり、「説明の本質」をついているように思う。この下線部が何のことやらという方には、アッシュの『ファイル』(みすず書房、2002)とか、須賀しのぶ『革命前夜』(文春文庫、2018)あたりがお勧め(考えてみれば、1989年に生まれた人がすでに30歳を超えているのですね)。

なお、引用した「Mikakoドイツ語サービス」の別の記事「メルケル首相のコロナウイルス対策TV演説全文の文法解説」によれば、
(以下引用)
メルケル首相はおそらくドイツ国内に多いドイツ語に不自由な移民・難民を意識してスピーチをしたと考えられ、非常に平易な言葉づかいで、複雑な構造もほとんどないため、解説を要するところが実はかなり少ないです。
(以上引用終わり)
とのことで、デリバリーについてもきちんと考えられているのですね。

(4.15追記)
このテレビ演説について、ベルリン在住の作家多和田葉子さんが書かれた記事「理性へ 彼女は静かに訴える」に、こういう一節があった。
(以下引用)
「テレビを通して視聴者に語りかけるメルケル首相には、国民を駆り立てるカリスマ性のようなものはほとんど感じられない。世界の政治家にナルシストが増え続ける中、貴重な存在だと思う。新たに生じた重い課題を背負い、深い疲れを感じさせる顔で、残力をふりしぼり、理性の最大公約数を静かに語りかけていた。」
(以上引用終わり。朝日新聞4月14日朝刊22面)

そうそう。恐怖心を煽ったりカリスマ的な何かで人を従わせようとするのでなく、聴き手の内にある「考える力」を信用してボールを投げてくれるので、こちらも腑に落ちるし、得心がいくということだ。

 
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恩師を見送る(2) [雑感]

葬儀の場で繰り返し演奏されていたのは、「第九」の第3楽章だった。

前の記事で「先生と自分の共通の趣味」と書いたが、それは、音楽と汽車旅が好きという二点だった。研究室のお茶の時間に、自分の旅行計画―シベリア鉄道から東欧、西欧と列車を乗り継いでリスボンまで行く計画―を説明したときにも、国鉄(当時)の全線完乗を報告したときにも、研究室の先輩方がみな「?」となる中、先生がたいへん面白がってくれたことを覚えている。また、電話帳のように分厚い2分冊のABC航空時刻表を初めて使わせてくださったのも先生だった。当時は、先生が話を合わせてくださっているのだと思っていたが、先生はその後、汽車旅やクラシック音楽に関する本まで著されていて、趣味人としての凄さも思い知らされたことだった。

そこで「第九」の第3楽章だが、つい数か月前、先生は、執筆中の「自伝」のこぼれ話として、1945年8月15日の玉音放送を伯父さんと聴き終えたあと、その伯父さんに「何か(音楽を)かけてくれよ」と求められて、こういう時にはこれだ、という確信をもって「田園」をかけた、という話をされた(このエピソードは、公益産業研究調査会「公研」647号24頁(2017)にも収録されており、折に触れて語られていたものと思う)。
それを聞いて、「私も、年齢とともに、「田園」の第5楽章や「第九」の第3楽章に惹かれるようになってきたので、8月15日の極限状況の中で、「田園」を選ばれた先生や、聴いていた方々の思いは、それだけでも一冊の本になりそうに思いました」と申し上げたところ、
「「第九」の第3楽章は、小生のお葬式の時にと思っているのですが、実はモーツァルトのクラリネット五重奏と競合していて、007のように「2度死ぬ」ことが必要なのかも。」と返されてしまった。
このように、先生には、どのような場面でもユーモアを忘れないーというか、思考回路にユーモアが組み込まれていて、縁起でもないと思われそうな話でも笑って聞けてしまうところがあった。その「第九」の第3楽章が、その会話の通りにかかっていたので、本当にそういう指定をされていたのか、とつくづく感心したことだった。

「自伝」に関連して先生から時々お預かりしていた宿題のうち、最後にお預かりした1件は、調べものに手間取ってしまってとうとうご報告できなかった。これが今となっては残念でならない。近い将来なのか遠い先なのかはわからないが、遠くでまたお目にかかる機会があったら、その際に遅ればせながらお答えし、あわせて、最後の最後にモーツァルトでなくベートーヴェンを選ばれた理由をお尋ねしてみたい。

蛇足だが、自分の葬式にどんな曲をかけるか考えると結構楽しめる。そういうことが可能であれば、無伴奏チェロ組曲第6番(BWV1012)のサラバンドとガヴォットを挙げておきたい。

山門にはた講堂に冬日濃し

 

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恩師を見送る(1) [雑感]

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これからどうやって生きていけばいいのか―――恩師の葬儀が終わって寺を辞去し、駅まで歩きながら唐突に思った。同時に、そう思ったことに驚いた。なぜなら、自分は研究者でもなく、親しく指導を仰いでいたわけでもない。はるか数十年前、この恩師の研究会(ゼミ)に2年間所属して卒論を提出したにすぎないのだから。いったいなぜ。

初めて恩師(以下、単に「先生」という)に出会ったのは、プレゼミ的な大学2年生向けの選択科目の授業で、当時先生は50代なかばだったはずだ。それから卒業までほぼ2年半、先生の研究室が生活の中心になり、明けても暮れても卒論のための統計資料づくりに追われたのだった。この間に教わったことはたくさんあるが、ざっくり言えば、歴史上の「事実」について何か言おうとするためには、一次資料を探し、その資料について史料批判を行い、丹念に読み込んで集計し、最後にいくつかの条件をつけた上で、ようやく言える、といった順番が必要であること、またその「事実」にもとづいて何かを評価したり主張するなどというのは、ずっと先の話だということだ。特に「丹念に読み込んで集計し」の部分が、文字にするとわずか11文字なのだが、気が遠くなるほど手間ひまがかかることを思い知った。そういう指導を受けると、評価にあわせて事実をいいかげんに拾ってきましたみたいな話が町にあふれていることに慄(以下自粛)。

そのように厳しく指導を受けながら、研究者をめざすことなく就職してしまったことについて「それでよかったのか」という思いもあるし、修論も書かずに学恩などという言葉を安易に持ち出す資格があるとも思わない。しかし、あの研究室で教わったお作法というか「事実をめざして努力する態度」は、疑いなくその後、自分の職業生活の屋台骨を支えているので、その恩義ははかりしれない。また、こじつけを承知でいえば、この「あくまでも眼前の事実にもとづいてものを言おうとする態度」というのは、俳句の詠みかた(藪柑子が思う、俳句の詠みかた)に通じるものがある。

先生は、大学を辞められた後も、大学近くの貸事務所に研究室を構えて研究を続けておられた。80歳をすぎて通勤が困難になると自宅近くに事務所を移し、そこへ通うのも難しくなると、自宅で執筆を続けられた。むろん、研究に関して私がお手伝いできることは何もなかったのだけど、85歳をすぎて執筆を始められた「自伝」について、先生と自分の共通の趣味(後述)にもとづいて、むかしのさまざまな出来事についてのご質問をいただくようになった。どこから調べればよいのか見当もつかないような質問もあり、その都度考えこんでしまったのだが、なにしろ在学中には何の役にも立たなかったゼミ生が、少しでも役に立てただけで、たいへん嬉しく感じられたものだった。

そこで冒頭の「なぜ」に戻ると、現在進行形で指導を受けたり相談をしたりする間柄でなくても、もっと根本的な「座標」あるいは「北極星」のような存在として、先生を認識していたのだと思う。緯度や経度、緯線や経線は自然界に有形物として存在するわけではないし、日常的に意識するものでもないが、地球上で場所を特定するためには欠かせない存在であり、それが突然失われてしまったら大混乱するだろう。自分が受けた感じは、これに近い。なにか本当に深い疑問を感じたときに相談できたり、基本的なものの考え方を示してくれる指導者がいないということが、これほど自分を不安にさせるのだということを思い知った。

 冬晴れの青のうつろふ薄暮かな
 冬夕焼ずつと遠くへ行く列車

 

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シャイニング丸の内氏はなぜ誤ったか [雑感]

(いきなり引用)
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(引用終わり)

いささか旧聞に属する論争のきっかけは、このツィートだった。
ギャグでも炎上芸でもなく、大まじめと受け取れる投稿ぶりだったので、多くの反響があった。
反響の一例として、以下のものを引用して紹介する。

〔勉強したい人が選択すればいいんじゃないの、という賛同(高橋雄一郎氏)〕
(以下引用)
高橋雄一郎 @kamatatylaw 話題の古文漢文不要論だけど、講義時間や必修選択の別といった中高カリキュラム編成の問題に過ぎないのに、学問価値優劣論や文系理系相互の蔑視感情やコンプレックスが交錯して冷静な議論から逸脱する傾向があるよね。 7:18 - 2018年2月22日 教養にも若いうちに強制的に教えこまなければならない教養(甲)と、学びたい人が必要性に応じて学べれば足りる教養(乙)があって、古文漢文はどちらかという問題ではないか? 15:29 - 2018年2月21日 若いうちに強制的に教えこまなければならない教養(甲)はパターナリズムを根拠とする。善悪の別や行動原理、忍耐力、キレない心と折れない心、健康管理、性教育、読み書き計算、柔道の受け身、自転車の運転、水泳、逆上がりぐらいではないか。 15:24 - 2018年2月21日 (以上引用終わり)

〔漠然とした教養としてではなく、漢文も日本語の基礎だからビジネスシーンで実利的に役に立つのだ、という反論(安田峰俊氏)〕
(以下引用)
本記事ではあえて、「現代日本の日常生活およびビジネスシーンで有用」「効率性の向上やカネ稼ぎにつながる」という実利的視点のみから、漢文や中国古典の基礎的な知識を持つことのメリットを論じてみることにしたい。 (1) SNSの投稿やショートメッセージがスマートになる (2)情報伝達コストを下げられる (3)法的リスクへの対応力を強化できる (4)海外の偉い人に接する際の売り込みツールとして威力を発揮する的リスクへの対応力を強化できる 日本語の基礎には漢文と漢文法が深く食い込んでおり、一般的な日本人の教養のベースの一部には中国古典が存在する。その先に広がる「応用」の知識を取りこぼしなく身につける地ならしとして、基礎として学んだほうがいいものなのだ。
(以上引用終わり)

この議論の難しいところは、ここでいう「教養」とは何か、またそれが、「仕事で役に立つ」とはどういう意味なのかがきちんと定義されていないので、主張と主張がきちんと噛み合わないことにある。
そうではあるが、もともとのtweetは、「高等学校の他の科目と比べて古文漢文の重要性が低い」という趣旨と思われるので、これに反論するにあたっては、仮にこのtweetが根拠薄弱な感想のようなものであったとしても、一応根拠を示して反論することが望ましいわけで、シャイニング氏に馬鹿というレッテルを貼って終わりにするのは、あまり感心しない。

そこで、あえて正面切って「漢文や古文も他の科目と同様に重要なもので、仕事にも大いに役に立つのだ。」という説明をしてみたい。つまり、上記安田氏と結論においては同じになるわけだが、理由を別の角度から提起してみる。

古文漢文は仕事の役に立つか。役に立つ。理由は以下のとおり。

仕事にはいろいろな分類があるけれど、職種とか業種とかの分類でなく、どんな職種や業種でも、「前例のない問題に対処しなければならない」という仕事があるはずだ。

仕事の困難度って簡単には測定できないし、ノルマがきついとか納期が短いとか、そういう困難もいろいろあるのだけれど、やはり「先例がない、かつて経験したことのない問いに、答えを出さなければならない」というような仕事は、まず難しいものといって差し支えないだろう。
例えば、
 ・貨幣の時間的価値はマイナスになりうるか
 ・これまでになかった取引形態(例えばストックオプションとか)の仕訳をどう切るのか
 ・自動運転の車が起こした事故の責任はどこにあるのか
 ・尊属殺重罰規定は法の下の平等に反するか
などなど。

そのような問いには、あらかじめ決まった答えがなく、先例もなく、個別の知識が単品では役に立たない。
そんなとき、どうやって答えを導いていくかというと、もっと漠然とした、さまざまなジャンルのことがらの中から、過去の人々が、どんな状況でどんなことを考えていたのかを通じて、「真善美」のような漠然とした尺度を抽出し、それを参考に―その尺度もまた絶対ではないので、あくまで参考に―して、答えを導いていくしかないと思われる。

で、古典文学というのは、数百年とか数千年にわたって、人々から一定の支持を得てきた思想や感情の表現であるわけだから、真善美のような尺度を各自が心のなかで作り上げていく上で、控えめに言っても有用な、もっといえば不可欠なものではないだろうか。

そうすると、古典文学を学ぶことは、結局のところ、どこかで上記のような難しい問いに直面したときに、答えを導く助け(のベース)として、一定程度有用といえるのではないか(古典文学だけが有用だと言っているのではないので念のため)。
古典文学と似たような例として、オーウェルの「1984年」とか、事件でいえば南海泡沫事件やチューリップ球根事件なんかも、尺度を作り上げていく上で有用だけれど、こちらはもっと直接的に「会計監査の意義」とか「公文書改ざん」についての考え方を提供してくれる。

いずれにせよ、これらは、知っているといないでは対応に大きな違いが出てくるだろう。以上のことから、古文や漢文など「古典」と呼ばれるものは、試験に出る出ないにかかわらず、困難度の高い問いに対処するために必要なものだと結論づけることが可能だ。


傍証として、ちょっと違う角度から、「前例のない状態に置かれた人間が、古典文学やこれに類似したものを学ぼうとした」実例を挙げてみたい。

一つは、ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、エディトリアル・リパブリカ、2018)に描かれた、旧ソ連にあったポーランド兵収容所で行われた講義の模様である。
収容されていたポーランド軍将校は、それぞれに「書物の歴史」「イギリスの歴史」「建築の歴史」「南米について」「プルーストについて」といったテーマを持ち寄って、講義を行ったという。
(以下引用)
「いまでも思い出すのは、マルクス、エンゲルス、レーニンの肖像画の下につめかけた仲間たちが、零下四十五度にまで達する寒さの中での労働のあと、疲れきった顔をしながらも、そのときわたしたちが生きていた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて、耳を傾けている姿である。」(pp.16-7) 「わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる、と証明してくれるような知的努力に従事するのは、ひとつの喜びであり、それは元修道院の食堂で過ごした奇妙な野外授業のあいだ、わたしたちには永遠に失われてしまったと思われた世界を生き直したあの時間を、薔薇色に染めてくれた。  シベリアと北極圏の境界線の辺りに跡形もなく消え失せた一万五千人の仲間のうち、なぜわたしたち四百人の将校と兵士だけが救われたのかは、まったく理解できない。この悲しい背景の上に置くと、プルーストやドラクロワの記憶とともに過ごした時間は、このうえなく幸福な時間に見えてくる。」(pp.17-8)
(以上引用終わり)

もう一つは、山崎正和『文明の構図』(文藝春秋、1997)に描かれた、「敗戦後の旧満州の中学校の暗い仮設教室」で行われていた授業の様子である(原典を入手できず、鷲田清一「京都の平熱」(講談社学術文庫、2013)からの孫引きとなることを許されたい)。
(以下引用)
外は零下二十度という風土のなか、倉庫を改造した校舎は窓ガラスもなく、不ぞろいの机と椅子しかない。(…)引き揚げが進み、生徒数も日に日に減るなかで、教員免許ももたない技術者や、ときには大学教授が、毎日、マルティン・ルターの伝記を語り聞かせたり、中国語の詩(漢文ではない)を教えたり、小学唱歌しか知らない少年たちに古びた蓄音機でラヴェルの「水の戯れ」やドヴォルザークの「新世界」のレコードを聴かせた。そこには、「ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分ひとりの権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった。」(p.157) (以上引用終わり)

ここで「中国語の詩」についてわざわざ「漢文ではない」と補足されているのは、戦前の学校教育との違いを強調する趣旨なのか判然としないが、ともかくこれらの実例は、前例がなく明日死ぬかもしれないという状況で、そのような極限状況を受け止める(受容するにせよ、反発するにせよ)ときに必要なものは、むしろ古文や漢文のような学問であることを示しているのではないか。

以上のようなことから、古文漢文は他の教科と並んで、遅くとも高校までに学んでおくべき価値のひとつ(高橋雄一郎氏の分類に従えば「教養(甲)」)であると考えるものである。

最後に冒頭の問いに戻って、シャイニング丸の内氏がなぜ誤ったか(つまり、なぜ、高等学校で古文や漢文を学習する必要がないと感じてしまったか)といえば、それは、氏がこれまで、残念ながらその程度の仕事、つまり一つの問いに対して一つの答えを用意すればいい程度の仕事しかしてこなかったから、ではないだろうか。


(7.11追記)
藪柑子の通っていた高校には当時、1年間かけて「徒然草」を1段ずつ順番に読んでいく授業(必修だったか選択だったかは覚えていない)があって、3年間のなかでも指折り数えられるぐらい印象に残る授業だった。当時副読本に使っていた安良岡幸作「徒然草全注釈」上・下(角川書店、1967)は、就職して実家から出るときに荷物に入れ、その後何度も何度も引越しをした末に、今も本棚にささっている。
何が言いたいかというと、少なくとも自分が職業人として生きていく上で背骨となるぐらいの影響を、たった一つの作品からだけでも受けたということであり、かつ、それは高校の授業できちんと読み込むことではじめてそうなったのだということだ。シャイニング丸の内氏にそうした古典との出会いがなかったとすれば、上記のような「現在従事している仕事の内容や程度」もさることながら、その感受性や理解力(少なくとも、高校時代の感受性や理解力)についても疑問が浮かぶところであるが、それはこの稿の本題ではないので省略する。


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OS復活 [雑感]

日本路線から去年撤退したOS(オーストリア航空)が、来年5月からウィーン・成田間で運航を再開するとのこと。
去年の撤退劇の衝撃はまだ記憶に新しいし、各社の相対的な日本離れの構図自体は変わっていないのだろうが、そうした中にあってこれはささやかな朗報。

 

イギリス人が誇るもの [雑感]

イギリスの大手調査会社Ipsos MORIが7月26-29日(=国民投票の約1カ月後)に成人1,099人にインタビューした調査結果が、いかにもイギリスらしくて面白い。

https://www.ipsos-mori.com/researchpublications/researcharchive/3776/Six-in-ten-prefer-to-be-British-than-of-any-country-on-earth.aspx

最初の質問は、「イギリスのよいと思う点、悪いと思う点は何か」というもので、これに対する答は、
よいと思う点としては、
1) ユーモアのセンス(47%)
2) 礼儀正しさ(40%)
3) 異なる社会集団への寛容さ(27%)
4) 愛国心(26%)
5) フレンドリー(25%)
の順にあげられている。半分近い人が「自分たちにはユーモアのセンスがある」と考えているのですね。まぁ確かに、イギリスのユーモアってじわっとくる何かがあることは確かだと思う。嫌味を言うときなんかにもね。2位が礼儀正しさ…金融業のみなさんの行状は礼儀正しくないけど、行列をきちんと守るところとかはそうですね。"Is this the end of queue?"っていう質問をイギリス以外で聞いたことないもんな。

逆に悪いと思う点としては
1) 酒を飲みすぎること(42%)
2) 他の文化に対する無関心(37%)
3) 文句を言いすぎること(27%)
4) 異なる社会集団への不寛容さ(22%)
5) 怠惰(19%)
の順にあげられていて、長所の3)と短所の4)が同じことがらなのが面白い。同じ状況について、それぞれ4分の1ぐらいの人が逆の評価をしているわけですね(それにしても、5位の「怠惰」ってなんなんだ…)。

それよりなにより驚いたのは、その次の「イギリス人として最も誇りに思うものは何か」に対する回答で、歴史とか王室とか英語とか海軍とか株式会社(のしくみ)なんかが直感的に予想されるところ、第1位に挙げられたのは、
1) The NHS(48%)
だったこと。しかも48%って、イギリス人の半数近いではないですか。
ちなみにOur historyは2位(44%)、The Royal Familyは3位(29%…思ったほど支持されてない)で、これらを抑えて堂々の第1位なわけなので、Brexit直前のプロパガンダ合戦でNHSが取りざたされていた点を差し引いても、この見識は大したもの。爪の垢を煎じて、アメリカの某大統領候補者とか日本の某炎上芸人に飲ませたいところ。

なお、The free press/mediaが7位(14%)、The BBC(13%)が8位に入っていることも、イギリス人らしいなあと思う。こういう嬉しいことがあるので、イギリスおたくをやめられない。



OS撤退 [雑感]

OS(オーストリア航空)が日本から撤退。
長い間運航を続け、サービスの品質も高く、日本からウィーンやザルツブルグを訪ねようとする人にとっては、ファーストチョイスとして挙げられる航空会社だっただけに残念。
撤退の理由は何なのでしょう。採算がとれないとすると、オーストリア側に、あまり日本へ出かける需要がないのですかね。それとも、もっと利益をあげられる就航先に振り向けられたということなのですかね。

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やぶろぐ10周年(8/1) [雑感]

2006年8月1日に最初の記事「大試験」と「日盛会(第2回=炎天)」をアップしてからちょうど10年。この間にアップした記事の数は737本。

あらためて読み返してみると、日盛会のほうはつい昨日のことのように思い出されるのに、大試験(特に、初受験だった2006年の大試験)は遠い昔のことのように思われる不思議。

 

Brexit [雑感]

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残念。

じゃあこの際、かわりに日本がEUに加盟してはどうかと(違)

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(7.7追記)
反応としていちばん共感できたのは、Celesteさんとおっしゃる研究者のtweetで、ふだんはノルウェーに住んでいるところ、この日はたまたま学会でロンドンにおられたらしい。以下引用。
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国際学会で英国人のプレゼンがあるたび「今日のような輝かしい…とは言い難い日に発表させて頂き、大変光栄です」とみな暗い前置きを入れてくるのだが、たぶん本当にちょっと凹んでいるっぽいのにこんな時も自虐ギャグを入れてくるあたりが英国人らしくて好感が持てる。
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以上引用終わり。この感じよくわかります。


いいにほひ [雑感]

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おろしたての綿のドレスシャツ(俗にいうワイシャツ)って、いいにおいがしますね。それも、ブロード地よりもオックスフォード地の柔らかくてざっくりした(つまり、番手の小さい綿糸で織られた)生地なんかが最高。
このにおい、クリーニングに出しても再現しないので、もともとのコットンの生地のにおいなんだろうか?
柔軟剤を使えばこういうにおいが再現するなら、その柔軟剤を買ってきて一も二もなく使うのだけど。

  

参画? [雑感]

いきなり日本経済新聞から引用。
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政府、「一億総活躍相」の英語表記決定

 政府は改造内閣で新設した「一億総活躍相」の英語表記を「Minister in Charge of Promoting Dynamic Engagement of All Citizens」とした。これを日本語に直訳すれば「全ての国民の精力的な参画の促進を担当する閣僚」になる。外国人には日本の人口規模が伝わりにくいため、英語表記では「一億人」を省いた。

(日本経済新聞 10月12日朝刊)
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Engagementって、参画なら参画でいいのだけど、目的語をとらなくてもいいんだっけ?
つまりその、「何に」ダイナミックに参画するのか不明でも、英語表現として成り立つのかなあ…
他の言語に訳してみると、元の言語における意味不明ぶりがよくわかるような気が…
  

祝・カフエマメヒコ10周年(7/1) [雑感]

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(「10周年記念ブレンド」のパッケージ)


いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」の三軒茶屋店が開業10周年。おめでとうございます。

6月30日の「10周年記念パーティー」には、札幌菊地珈琲の菊地さん、クルミドコーヒーの影山さんなど、マメヒコの屋台骨に関わるみなさんと、かつての店長さんはじめOG/OBの懐かしい姿が。本当にお世話になりました。そしてなぜか、Part3でとんかつを揚げていたEさんも(えー!)…
初めて拝見する顧問会計士さんの口癖が「社長、残高わかってますか…?」だという紹介が、職業会計人的にはたまらなくおかしい。

会場の一角に静かに置かれている「Sさん」という名前の人形(オブジェ)は、今は遠くへ行かれている能楽師Sさんの「代理」なのだけど、それをこのパーティーに運んできて、会場を見渡せる場所にさりげなく置いておく、そのメンタリティは訓練やマニュアルとは無縁の、いかにもマメヒコらしい気配りで、本日いちばんありがたく感じたことだった。

10年といっても、自分が知っているのは2007年秋以降のおよそ7年10か月でしかないのだけど、その間に繰り出されたかずかずのトライアルを思い返すと、よくもまあと思うほど次々に新しいことに挑戦してきた、その「挑戦しつづける姿勢」こそ、このカフェの真骨頂なのだと思う。察するに、損得じゃないところで「やむにやまれぬ思い」から実現させているいろいろなことがあるということだろう。そのボールを全部受け止められるわけではないのだけど、共感できるものは末席に連ねていただいて、拍手をしたりお手伝いをしたりすることができるのは幸せなことだと思う。

また、静かで清潔な環境(いつも清潔を保つために、目立たないところで大変な努力をされていると思う)でおいしいお茶を出し、適度で控えめに声をかけてくださることから、自分にとって代替不可能な、貴重な場所であることは昔も今も変わりはない。

みなさんには「20周年を楽しみにしています」と声をかけて帰ってきたけど、いちばん苦しい時期にさりげなく支えてくれたこのカフエが、引き続き繁盛してくれることを切に願う。

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(参加者全員で「フニクリ・フニクラ」を熱唱)

 

ラフロイグ蒸留所200周年 [雑感]

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アイラ島の南海岸にあるラフロイグ蒸留所がどんな場所であるかについてはすでに多くの本が書かれ、また実際にウイスキーを味わうこともできるので、それ以上の説明は不要であろう。ここでは特に、この蒸留所がファンに向けて開設したウェブサイト(Friends of Laphroaigという)で述べている蒸留所の運営理念の一節を、さまざまな働きかたという観点から引用しておきたい。

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"There are 3 main ingredients for making Laphroaig — Barley, Water, and Yeast, but the secret ingredient is the People."

Laphroaig (La-froyg) is the story of a community. An uncompromising, tough and determined group of people who work to ensure that this defining whisky has over 200 years, remained true to its origins.

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アイラ島は小さな離島で、島に住むひとびとの大半は何らかの形でウイスキーづくりにかかわっている。だから、8つある蒸留所のどれかを訪ねると、次の日に他の蒸留所へ行って「きのう○○蒸留所に来てたでしょ」とか言われて面食らったりするのだけど、そういう小さなコミュニティで、長い時間をかけてつくられる製品にふさわしい、粘り強く地道な働き方も、またイギリス社会の一端であること(それも、比較的広く支持されている一端であること)を気にとめておきたい。

 

降臨節第4主日 降誕日礼拝(12/21) [雑感]

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英国国教会のクリスマス礼拝ってどんなものだろうと思っていたのだけれど、日曜日の朝に礼拝があるのですね。こういう時間なので、むろんまわりは信者さんばかり。

司祭の説教のなかで、イエスがベツレヘムの「馬小屋で」生まれたことの意味について司祭がお考えになったこと、というお話があって、なるほどと思う。住民登録のために故郷ベツレヘムへ戻ったヨセフは、なぜ馬小屋に滞在しなければならなかったのか、つまり、既に実家がなかったとしても、遠縁の親戚ぐらいいくらでもいたはずなのに、なぜどの家からも受け入れてもらえなかったのか、ということなのだけど。
また、ご自身が駅の階段を踏みはずしてホームまで転げ落ちた事故の経験を話された。ホームに横になってみると、人の顔が上に見え、そのはるか彼方に青い空が見えたのだけど、そのとき、馬小屋のかいば桶の底から見た風景もこういうものであろうと思い、当世風の「上から目線」とは逆に、イエスの生涯は「すべてのものを下から見ていく視点」ではじまったことに気付いたとのこと。

なるほどなるほどと思っているうちに、聖歌82番(神の御子は今宵しも、として知られる曲ですね)をみなさんで歌って終了。また見学させていただきたい聖餐式でした。



バターがない [雑感]

バターがない。本当に店頭にないんです。
牛乳もチーズもあるのに、いちばん長期保存のきくはずのバターがないんです。
道楽でスコーンやシュトーレン焼く程度の自分は、せいぜい残念がっていればいいのだけど、お菓子やパン作りを生業にされている方にとっては、深刻な事態ではないかと。

国内の酪農は(農水省のご意向で)ひたすら大規模化をめざしてきたのだけど、円安による飼料価格と燃料価格の高騰に直撃された感じ。なにしろ大規模専業なので、他のセグメントにコストをまぶしておくわけにもいかないわけで。
ちょっと見過ごせないのは、その農水省が行った調査結果。

(以下NHK NEWS WEBから(11月19日)から引用)

農林水産省の調査でも、大規模酪農家が苦境に陥っている現状が明らかになっています。
規模を拡大するとある程度まではコスト削減効果が現れますが、牛の数が80頭を超えるまで大きくなると、むしろエサ代や人件費などのコストの上昇が削減効果を上回ってしまうことが分かりました。

(以上引用終了)

今さらそんな…調査を実施した農林水産省様としては、今後どうなさるのかと小一時間。

Scottish referendum [雑感]

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イギリスおたくのはしくれとして、どちらの言い分にも理があるように思え、かつ、ここに至る経緯や当事者の心情にも共感できる。こういうことは珍しいのだが。
結果はどうあれ、考えがいのある一件。

なお、この件を損得勘定というモノサシで論評するのは、いささか的外れであるように思われる。

(参考)councilごとの開票結果判明時間(いずれも現地時間) *BBCによる

Comhairle nan Eilean Siar - 02:00
(There were concerns this may be delayed as fog was causing problems at Stornoway airport earlier but ballot boxes from Uist and Barra were able to take off)
North Lanarkshire - 02:00
Inverclyde - 02:00
Orkney - 02:00
East Lothian - 02:00
Perth & Kinross- 02:00
Moray - 02:00
Clackmannanshire - 02:30
West Dunbartonshire - 03:00
Dumfries & Galloway - 03:00
Angus - 03:00
South Lanarkshire - 03:00
East Renfrewshire - 03:00
Dundee - 03:00
Falkirk - 03:00
Renfrewshire - 03:00
East Ayrshire - 03:00
Aberdeenshire - 03:00
Stirling - 03:00
Midlothian - 03:30
Argyll & Bute - 03:30
West Lothian - 03:30
South Ayrshire - 03:30
Shetland - 03:30
East Dunbartonshire - 03:30
Fife - 04:00
Highland - 04:00
North Ayrshire - 04:30
Scottish Borders - 05:00
Edinburgh - 05:00
Glasgow - 05:00
Aberdeen - 06:00


黒百合ヒュッテ [雑感]

麦草峠から南へ向かう登山道は、ずっと曇り空と霧。北八ヶ岳らしい、苔と石と茸の道が楽しい。
途中の高見石小屋で腹ごしらえをしながら様子を見るが、どんどん霧が濃くなるのでとっとと出発。

App Storeで購入したiPhoneの「DIY-GPS」というアプリケーションを試してみる。あらかじめ本体に地形図を読みこませておけば、携帯圏外でもGPSの電波を拾って現在位置を表示してくれるのがミソ。1:25000図との誤差は50mもない。また5分おきに時刻と標高を音声で読み上げてくれる(この読み上げ間隔は5~30分の間で調整でき、オフにすることもできる)ので便利。ただ、バッテリーの減りが早いのが玉にキズ。

やがて霧の中に見えてきた黒百合ヒュッテの横の空き地では、バイトさんが総出で薪を積み上げている。めいめいが背負子に積んでいる薪の量がすごい。山の冬支度。

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着いたとたんに雨が降り出し、遠くの景色は何も見えないがまずは快適快適。ストーブにあたり、ゆっくりお茶をいただく。
山の上は、本を読むには向かない(明るい照明がないし、20時消灯)けれど、電話もメールもこないので、のんびりするには最高。

エムヒコトークイベント「カフェと編集者と漫画家の景色」 [雑感]

クリエーターのエージェント会社「コルク」の佐渡島庸平社長とマメヒコ井川啓央社長、そして漫画家でありながらそのコルクに雇用されている羽賀翔一さんが語り合うという企画なのだけど、きょうは佐渡島さんの都合がつかず、新入社員の矢代さんがかわりに登場。この矢代さんが新入社員らしからぬ役者で、感服する。自分が新入社員のころ(なんて遠い昔だが)、あんな芸当は思いもよらなかった。

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イベントの模様は、おそらく権利の問題もあろうと思うので、羽賀さん描くところの「今日のコルク カフェマメヒコ編」で想像していただくのがよいかと。フェイスブックのアカウントをお持ちの方は、「コルク」の頁をフォローされると面白いのでは。

印象に残ったのは、講談社の新人賞に応募した羽賀さんが、絵はド下手だったにもかかわらず、なぜ佐渡島さんに見いだされたかというエピソードで、そういう眼力(しかしきわめて論理的な理由)こそが編集者の仕事のコアなのかもしれない。

PartⅢ時代以来久しぶりにカツサンドをいただく。おいしい。