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津村記久子『サキの忘れ物』(新潮社、2020) [本と雑誌]

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第1話「サキの忘れ物」がしみじみといい話。特に、終わり方がすばらしい。
また、最終話「隣のビル」は、登場人物が理不尽な職場に疲れ果てていることと、ちょっとファンタジー風味が入っていて、「この世にたやすい仕事はない」を連想させる。

関係ないけど、津村作品には紅茶にくわしい人物が時折登場し(『とにかく家に帰ります』とか)、どれも悪くない書かれ方をするのだけど、何か特別な意味があるのだろうか。

(8.28追記)津村さんの『やりたいことは二度寝だけ』(講談社文庫、2017)を読んでいたら、津村さん自身が紅茶好きで、日常的にたくさん紅茶を飲まれていることが判明。だから描写がすごく具体的になるのですね。

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第182回深夜句会(7/20) [俳句]

(選句用紙から)

夕暮れて茅の輪くぐりの親子来る

季題「茅の輪」で夏(七月)。この句の巧みなところは、社の前の茅の輪に来る人はそれほど多くないことが読み手にわかるところ。参拝者がひきもきらない大きな神社だったら、こういう句にはならないわけで、人もまばらな中、夕暮れになってからやってきた親子連れに「おや?」と感じたというところ。
また、これが深夜だと、ホラー映画になってしまうので、「夕暮れて」もよく効いている。津村記久子さんの「まぬけなこよみ」(平凡社、2017)に「狭い、けれどもちょうどいい大きさの境内」という表現があるが(p.32)、それがあてはまる夏の夕暮れの風景として共感できる。


炭鉱節のテープかすれて盆踊り

季題「盆踊」で夏。一読「テープなの?」と思うわけだが、これはテープなんだと思う。カセットテープがラジカセか何かに入っていて、年に1回、盆踊りのときしか使わない町内会の備品だったりするのでは。なので、あまり商業的に洗練されていない、小規模で素朴な盆踊りなのだろう。

(句帳から)

夏蓬歩道半分まで隠れ
送り火を一・二・三とまたぎけり
泥と埃と土にまみれて花南瓜
夏柳色濃し落とす影も濃し
今脱いだばかりのシャツを夜濯に
青柚子の頑ななまで深緑
溝萩や生まれつき色あせてゐて

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奥山淳志『庭とエスキース』(みすず書房、2019) [本と雑誌]

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俳人にはたいていのものが俳句的に見えるから、本を読んだそばから「俳句的だ」と書いても意味がないのかもしれないが、ここに書かれていることは、全部が俳句のように思える。著者にも弁造さんにもそんな意図はまったくないのだろうが、読んでいる方にとっては「眼前のものみな俳句」である。北国の厳しい冬の暮らしと、極度に内省的な二人のやりとりが、それを強く感じさせるのかもしれないが。


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