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第184回深夜句会(9/14) [俳句]

いつまで続くこの暑さ。

(選句用紙から)

おしろいやコーポの脇に屋敷神

郊外の農家の大きな敷地の一角に、相続税対策を兼ねてアパートが建てられている。
そのアパートには「コーポ◯◯」のような名前がついて、そこから都心に人が通勤しているのだけど、農家の敷地だからして、その近くには屋敷神(お稲荷さん)があって、屋敷は取っ払うわけにもいかずにそのままになっている。コーポ◯◯と屋敷神のあいだの狭い隙間には、今年も白粉花が咲いている。
「コーポ」がいいですね。メゾンなんとかとか、カーサなんとかとか、そういう小洒落た(実質はともかく、名前だけは小洒落た)集合住宅ではないわけで。

供養塔あまたある町蝉時雨

この町がニュータウンとか新しい埋立地の町ではなく、歴史があってかつ供養塔がたくさんあるぐらい自然災害や戦災にさらされてきたこと、さらに供養塔がきちんと残されているような、再開発という名の破壊が行われていない、歴史と伝統のある町であることがわかる。
そこにたくさんの蝉が生まれては死にながら鳴いているのだけど、見方によってはその生き死にが(蝉といえば生き死になので)「つきすぎ」のように感じられるかもしれない。ただ、これは眼前の風景なので、そこは響き合う関係を感じればよいと思う。

(句帳から)

ゆくりなく母を入院させ九月
煉瓦館の茶色に似合ふ秋の晴

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藤岡陽子「金の角持つ子どもたち」(集英社文庫、2021) [本と雑誌]

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中学受験って自分の全くあずかり知らぬ世界なのだけど、受験を通じてこどもが大人を成長させていく物語も成立しうるのですね。この点に感心することしきり。

藪柑子的には、多くの方が言及しておられる加地の兄弟愛よりも、受験前日の加地と宝山美乃里の会話、というより加地の美乃里への言葉が印象に残った。ここで二人は先生と生徒という役割を離れて、まったく対等に話している。バトンを渡す加地のさしせまった心情(=そこまで読みすすめてきた読者の思いでもある)も、それを受け取る美乃里の気迫(=そうでない者がごまんといるだけに)も、どちらもすばらしく、涙なしには読めない。全藤岡作品中(って、全作品読んでいるわけではないのだけど)屈指の名場面だろう。この場面だけでも、読んでよかったと思える。

また、ありふれた感想になるが、人に何かを教えることの難しさや、逆に人から何かを学ぶことの面白さが、この本には山盛りになっていて、教えるにしても教わるにしても、この点をいつも心の隅に置いておきたいものだと思う。
 
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第183回深夜句会(8/24) [俳句]

(選句用紙から)

(句帳から)

北向きの緩斜面なる柳蘭
溝萩の色うしなはれ花のあと
二分の一四(し)分の一の南瓜かな

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