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田口久美子『増補 書店不屈宣言 わたしたちはへこたれない』(ちくま文庫、2017) [本と雑誌]

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巣ごもり需要とか言い出すまでもなく、本は生活必需品と信じているので、地元の本屋が時間を短縮しつつも営業してくださっていることに深く感謝している。

本書を読み進めて「おっ」と思ったのは、某S氏のこの発言。
(以下引用)

「書店は私の恩人です。書店のためならなんでもやります。」

(以上引用終わり。73頁)

自分は「中の人」商法とか「元中の人」商法とかを信用しないのだけど、しかしこの発言は、S氏の一連の著作に通底するものとも整合するし、共感できる。
ブログは、たとえ自分のブログであっても、自分語りをする場ではないと思っているが、この件に関しては、「書店」のところを「書店と図書館と教育テレビ」と言い換えれば、そのまま自分にもあてはまるなあと愚考。もっとも、私にできることは、書店で本を買うこと以外には何もないのだけど。

もう一つ、著者が感じているAmazonの脅威は、皿回し又は租税法の観点からはもっと深い問題なのであって、そもそも法人税を払わない(しかも、同様のスキームを本邦の各社がつくることは事実上できない)のだから、市場での公正な競争が成り立たないわけで、大問題だと思うのだけど、日頃は市場原理主義をふりかざしている諸氏がどうして誰も問題にしないのか、もっときつくいえば、日本政府が相手にされていない状態なのにどうして不買運動が起こらないのか、不思議で仕方がない。

ということで、蟷螂の斧ですらないささやかな抵抗ではあるが、きょうもamazonで下調べをしてから、リアル書店で注文を出すのであった。

  
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説明するということ [雑感]

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誰かに何かを「説明する」ことが仕事の(少なくとも)一部である人は、相当多いだろう。自分もその一人。

いささか旧聞に属するが、メルケル独首相が3月18日におこなった、コロナウイルス対策への協力を求めるテレビ演説(一般的な対策でなく、移動の自由を制限する措置について、協力を求める演説)の日本語訳を読んで、単なる技術論を超えて、「説明する」ことの本質をついているなーと感心する点が多かったので備忘として。

なお、演説はYouTubeで視聴できるが、当然にドイツ語なので、ここでは、Mikako Hayashi-Huselさんのウェブサイト「Mikakoドイツ語サービス」に収録された、Mikakoさんによる試訳「コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文」から適宜引用させていただく。いうまでもなく、このような訳が迅速に提供されることも、本当にありがたいことだと感謝したい。

まず、自分がどのような立ち位置でこの演説を行っているのか、きちんとクレジットをつけているところ。具体的には、
(以下引用=青字(以降同様))
エピデミックについてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。
(以上引用終わり)
というところ。こういうときに、全知全能ぶったり主語が大きくなったりしないのは大事なことですね。

次に、これは多くの方が既に共感を表明されているところだけれども、医療従事者や流通関係者など、対策の最前線にあって人々の生命や生活の維持に大きく貢献している方々への謝意を明確に表明していること。たとえば、
(以下引用)
私は、この機会にまず、医師としてまたは介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。 そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。 (以上引用終わり)
とか
(以下引用)
ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。
(以上引用終わり)

というところ。この謝意があるからこそ、それ以外の人々にも向けた、新たな制限や制約への協力の呼びかけが、活きたものになってくるわけで。

3つ目に、ここが藪柑子的には最も感心したところなのだけれど、
(以下引用)
私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。 このため、国境検査の厳格化と重要な隣国数か国への入国制限令が今週初めから発効しています。
(以上引用終わり)

単に「このような制限を課すのは本意ではないが」と言ってみても、あるいは、形容詞や副詞を動員してみても、このニュアンスは伝わらないわけで、この下線部は説得的であり、「説明の本質」をついているように思う。この下線部が何のことやらという方には、アッシュの『ファイル』(みすず書房、2002)とか、須賀しのぶ『革命前夜』(文春文庫、2018)あたりがお勧め(考えてみれば、1989年に生まれた人がすでに30歳を超えているのですね)。

なお、引用した「Mikakoドイツ語サービス」の別の記事「メルケル首相のコロナウイルス対策TV演説全文の文法解説」によれば、
(以下引用)
メルケル首相はおそらくドイツ国内に多いドイツ語に不自由な移民・難民を意識してスピーチをしたと考えられ、非常に平易な言葉づかいで、複雑な構造もほとんどないため、解説を要するところが実はかなり少ないです。
(以上引用終わり)
とのことで、デリバリーについてもきちんと考えられているのですね。

(4.15追記)
このテレビ演説について、ベルリン在住の作家多和田葉子さんが書かれた記事「理性へ 彼女は静かに訴える」に、こういう一節があった。
(以下引用)
「テレビを通して視聴者に語りかけるメルケル首相には、国民を駆り立てるカリスマ性のようなものはほとんど感じられない。世界の政治家にナルシストが増え続ける中、貴重な存在だと思う。新たに生じた重い課題を背負い、深い疲れを感じさせる顔で、残力をふりしぼり、理性の最大公約数を静かに語りかけていた。」
(以上引用終わり。朝日新聞4月14日朝刊22面)

そうそう。恐怖心を煽ったりカリスマ的な何かで人を従わせようとするのでなく、聴き手の内にある「考える力」を信用してボールを投げてくれるので、こちらも腑に落ちるし、得心がいくということだ。

 
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