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番町句会(1/10) [俳句]

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地下鉄の中でも句を詠みつづけ、初句会にすべりこみセーフ!
きょうのお題は「避寒」。少しクラシックな季題だが、ことさらにクラシックな感じを狙うのでなく、「わたしの避寒」を表現しようと試みる。もっとも、寒いときに寒いところへ行くのが好きなので、実感はないのだけど。

(選句用紙から)

屋根おほふブルーシートに初明り

季題「初明り」で新年。元日の夜明け、空が明るんでくると、それまで一様に真っ暗だった家々の屋根の姿や色かたちが明らかになってくる。そうした中に(あるいは、野中の一軒でもいいのだけど)、ブルーシートがかけられたままの屋根があった。昨年の台風で損なわれたものか、あるいはもっと前からそうなっているのか不明だが、すぐ直すこともままならないまま正月を迎えたその屋根にも初明かりがさし、初御空が広がっている。

画鋲跡少しずらせる初暦

季題「初暦」で新年。日めくりのようなものも、1枚の大きなカレンダーも「暦」だが、ここでは、新しいカレンダーを壁に貼ったのだろう、その際、毎年同じ大きさのカレンダーを壁に貼っているので、その画鋲の跡が同じ個所に集中していることに気づいた。そこで、深い意味はないが(しいていえば、画鋲がしっかり固定されるように)場所をわずかにずらして画鋲で止めた。

本邸に寄らず避寒の地へ戻る

これは西園寺公望ですね。もっとも西園寺公は、冬以外もおおむね興津の坐魚荘で過ごしていたそうなので、避寒の地というより事実上の本宅なのだけど、この句は冬の句ということで、東京のさむざむとしたお屋敷「邸宅」に立ち寄ることなく、冬でも日差しが降り注ぐ興津の別荘に帰ってゆくという対比が想像されて楽しい。みかんの色。

(句帳から)

冬夕焼ずつと遠くへゆく列車
 この句は、12月20日の「恩師を見送る(1)」で詠んだものをそのまま投句したのだけど、師匠は、字面を離れてその句意を見通した鑑賞をしてくださった(※)。そのように読んでいただけるならば、詠んだ甲斐があったというもので、感謝感謝。

玄関に椅子が置かれて避寒宿
山と海とわづかな平地避寒宿
避寒宿もとは果樹園だつた丘
窓に雨あたるときどき雪あたる

(※2.22追記)
師匠のご了解を得て、その句評を転載する。

冬夕焼ずつと遠くへゆく列車

これは人気がありましたね。列車というものが持っている、僕らの、軽薄に言えばロマンかもしれないけれども、思い入れというのがありますね。しかもこの句の場合、「ずっと遠くへゆく」という言い方が、非常に含みがあるように感じた。僕がふっと思ったのは、お父さん、帰ってこないけれど、どこに行ったの。ずっと遠くへ行ったわよ。ずっと遠くというのが、悲しいような遠く。次元の違う遠く。二度と会えない遠く。なんてことまで、この「ずっと遠く」にはあるような気がした。表面で言っているのは、小田原や熱海まで行く列車だと思ったら、出雲までゆく列車だったよというのが、一番無難な解釈なんだけれど、つまり今日中にどこかへ着くのではなくて、明日になって着く列車が混ざって走っているというのが、一番無難な解釈。そんな無難な解釈をしながら、どこかで、ずっと遠くということばの持っている、底知れない怖さみたいなものを、僕はこの句から感じて、「ずっと遠くね」という気がして、ちょっとシュンとしていたんだけれど、読者によって、どうとでも解釈できるものだと思いました。



  

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三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』(中公文庫、2018) [本と雑誌]

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いつものしをん節と少し違うような…と思いながら最後まで読んだが、あとがきで本書の成立事情を知って、ようやく得心がいく。あの古典的作品を下敷きにすると、こういう作品になるのですね…これは、モトをよく知っている人のほうが楽しめるかもしれない。
 
 
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番町句会(12/13) [俳句]

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兼題は「牡蠣」。自分は今年最後の句会だが、隣の方が「数えてみたら、1年で72回の句会に参加していた」とおっしゃるので驚く。72回って月6回…週1を超えるハイペースではないですか。うらまやしい。

(選句用紙から)

次々と啄みにくる冬の鳥

ほとんど物音のしない、冬の静かな風景。家の窓から庭の柿の木とかオリーブの木を見ていると、そこへいろいろな鳥が、「次々と」ついばみにやってくる。同じ種類の鳥が何十羽もいちどに群がるのではなく、一羽または数羽ずつ「次々と」やってくる、というところに味がある。ちょっと気がせいているのは、食べ物の少ない冬だから、というと理屈になってしまうが、来る・ついばむ・飛んでいくの繰り返しの面白さと、ずっと同じ場所から見ている(時間の経過)視点の面白さ。

店頭に牡蠣剥く漢巴里の宵

パリについて何も知らないのだけど、こういう専門職のようなものがあるのだろうか。そういう人のサーブを受けながら、これからはじまる長い夜を、どう楽しもうかと相談している粋な風景。巴里の「宵」が、通俗に陥る手前で踏みとどまっていて好ましい。

森を育て而して牡蠣を育てしと

魚つき保安林、という言葉が認知されるようになって久しいが、ここには森と(川と)海の物語があるのですね。


(句帳から)

半ばまで削られながら山眠る
牡蠣船の繋がれてゐる水路かな
冬紅葉公会堂の楽屋口
着ぶくれてエスカレーター一列に
駅前の来々軒の聖樹かな

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