SSブログ

第185回深夜句会(10/12) [俳句]

20231024.png

秋らしい秋の日、とわざわざ言わなければならないほど、このところ夏から冬へ一直線に毎日気温が下降していくのはどうしたことか。

(選句用紙から)

抜かれたる案山子の空を見上げたる

季題「案山子」で秋。稲刈りを前に抜かれた案山子が地面に放り出されて横になっているのだけど、その顔が空を見上げているようだ。もともと人間に似せて作ってあるので、横になってもそうであるはずだが、これが横倒しになると、まったくそうは見えないというか、「放心状態の案山子」とでもいうべき物体になってしまう不思議。

パン焼けてミルクホールの秋灯

ミルクホール、いいですね。京都大学の門の前にある駸々堂(だったっけ?)などが想像されるのだけど、クラシックな、大きな木のテーブルがあるようなミルクホールに、朝から晩まで学生や社会人が入れ替わり立ち代わり座っている。日が傾いてきてあかりが灯るころになっても、遅くまで食事をする利用者のためだろうか、パンを焼き続けているのですね。夏のあいだはうっとうしかったそれらの温かいものが、気温が下がると急にいとおしく感じられる。一年中パンを焼き続けているし、一年中あかりはともっているのだけど、この季節のこの場所は格別だ、ということがすとんと腑に落ちる。

空の底ゆらしてむくの群うねり

季題「椋鳥」で秋。最近しばしば話題になるむくどり大群を描いているのだけど、「空の底」が眼目。「雲の底」という言葉はある(たぶん気象用語だろう)けど、空に底があるかのように、一面に広がって飛んでいる、と解するのだろう。それほど数が多い、ということ。で、そのあとに「群うねり」で波のように群れがうねっているというのだけど、「雲の底」でもうお腹いっぱいなので、そこまで言わなくても十分なのではないかと。

(句帳から)

一人づつパソコン閉ぢてゆく夜業


nice!(0)  コメント(0) 

津村記久子『やりたいことは二度寝だけ』(講談社文庫、2017) [本と雑誌]

20230904.jpg

それぞれの記事の初出が知りたい。特に、「『女が働くということ』に関する原稿」(pp.230-232)の初出が。この記事は、最後のエピソードがすばらしい。今の津村さんなら、また別の表現を考えるかもしれないが。

エッセイを読むことでその作者の小説がよく理解できることはままあるが、この本もそうで、津村さんは、規範を示してそれに合わないものを排除するというスタイルをとらない。むしろ反規範といってもいい。しかし何でもありなのかというとそうではない。内面化された「構え」のようなものがある。それを掘り下げているのは本書ではなく、深澤真紀さんとの共著「ダメをみがく "女子”の呪いを解く方法」(集英社文庫、2017)で、「どうしてもあかんこと以外はやり合ってもしょうがないのだから、やりすごすとか気にしないとか時期をずらすとかしかない」という津村さんの達観が淡々と語られる。ここでは失礼ながら、深澤さんが津村さんに人生相談をしている風になっていて、知識や規範にがんじがらめに縛られ、かつ自分語りをやめられない深澤さんに対して、津村さんがあっさりと薄味の答えをするのだけど、どう考えても津村さんの方が10歳ぐらい年上に感じられる。言葉の成熟度や選ばれ方のレベルが違うということなのだろう。
 
全然本題と関係ないのだけど、芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」の原稿データを編集者あてにメールで送信したあとのことについての記述(p.207)は、津村さんがどれほど考え抜いて表現を選び、小説を仕上げているかがうかがわれて面白い。
 
nice!(0)  コメント(0)