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第139回深夜句会(12/12) [俳句]

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いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」で、晩ごはんのかわりに焼きりんごをいただく。スタッフの方の説明によると、ことしはリンゴが不作で、いいものが入ったときだけ業者さんが(青森から)送ってくださるのだそうだ。品種も、例年の「あかね」ではなく紅玉とのこと。

(清記用紙から)

息白きことを伝えて電話切る

季題「息白し」で冬。会話の終わり際に「きょうは寒くて、こうして話していても息が白いんだよ」と伝えて電話を切った。
上司からの業務指示の電話だったら、さっさと終わらせたいのでこんなことは話さないし、同居している家族との通話だったら、きょう寒いことはお互いに自明なのでやはりこんなことは話さない。そうすると、こういう会話が成り立つのは、相手が「遠くに住んでいる、親しい人」の場合に限られる。実家とか、遠距離恋愛とか、単身赴任先とか。そこがこの句の第一の面白さ。

もう一つ、「息が白いこと」を電話で伝えられるのは、この会話が屋外で行われているからだと思われ、携帯電話が普及している現在では当たり前に鑑賞できるわけだが、これが二十年ほど前だったら、商店の店先の赤電話に十円玉を次々と放り込みながら、そんな話をしている風景、という鑑賞になったことだろう。そういうつもりがなくても(ことさらにそのように意図せずとも)、俳句は時代を映しているという例。


部屋干しの洗濯裏の聖樹かな

季題「聖樹」で冬(歳晩)。クリスマスツリーのことですね。冬の室内で、加湿目的を兼ねて洗濯物が干されているのだけど、ツリーがその向こうに隠れてしまっている。「洗濯裏」ってちょっと苦しいというか舌足らずな表現だけど、あえて洗濯「裏」と言い切ったことで、表通り・裏通りのようなニュアンスと洗濯物がぶつかって、奇妙なおかしさが醸されている。また、部屋干しの洗濯物に隠れるぐらいだから、それほど巨大なツリーでないこともわかる。
ところで、「部屋干し」という言葉は最近よく耳にするのだけど、昔からある言葉なのだろうか。


寒暁を切り絵のごとく列車ゆく

季題「寒暁」で冬。日の出直前の一番寒い時間帯に「切り絵のごとく」列車(電車ではなく、列車であることに注意)がゆくというので、始発列車とか、夜行列車とかが、明るくなってきた東の空に、シルエットのように動いていく様子と思われる。従って、詠み手と列車との距離は近すぎず遠すぎず、かつ、列車は土手や高架橋のような、詠み手より一段高いところ(空が背景になるようなところ)を走っていることもわかる。光の当たり方によっては、機関車や車両の形だけでなく、一つ一つの窓までもが浮かび上がったりする。
もしかすると類句があるかもしれないが、文字通り「絵のように」美しい風景。

(句帳から)

島影の滲んでをりて冬夕焼
門柱と塀と残つてをる冬野
冬温し雨音耳に心地よく


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恩師を見送る(2) [雑感]

葬儀の場で繰り返し演奏されていたのは、「第九」の第3楽章だった。

前の記事で「先生と自分の共通の趣味」と書いたが、それは、音楽と汽車旅が好きという二点だった。研究室のお茶の時間に、自分の旅行計画―シベリア鉄道から東欧、西欧と列車を乗り継いでリスボンまで行く計画―を説明したときにも、国鉄(当時)の全線完乗を報告したときにも、研究室の先輩方がみな「?」となる中、先生がたいへん面白がってくれたことを覚えている。また、電話帳のように分厚い2分冊のABC航空時刻表を初めて使わせてくださったのも先生だった。当時は、先生が話を合わせてくださっているのだと思っていたが、先生はその後、汽車旅やクラシック音楽に関する本まで著されていて、趣味人としての凄さも思い知らされたことだった。

そこで「第九」の第3楽章だが、つい数か月前、先生は、執筆中の「自伝」のこぼれ話として、1945年8月15日の玉音放送を伯父さんと聴き終えたあと、その伯父さんに「何か(音楽を)かけてくれよ」と求められて、こういう時にはこれだ、という確信をもって「田園」をかけた、という話をされた(このエピソードは、公益産業研究調査会「公研」647号24頁(2017)にも収録されており、折に触れて語られていたものと思う)。
それを聞いて、「私も、年齢とともに、「田園」の第5楽章や「第九」の第3楽章に惹かれるようになってきたので、8月15日の極限状況の中で、「田園」を選ばれた先生や、聴いていた方々の思いは、それだけでも一冊の本になりそうに思いました」と申し上げたところ、
「「第九」の第3楽章は、小生のお葬式の時にと思っているのですが、実はモーツァルトのクラリネット五重奏と競合していて、007のように「2度死ぬ」ことが必要なのかも。」と返されてしまった。
このように、先生には、どのような場面でもユーモアを忘れないーというか、思考回路にユーモアが組み込まれていて、縁起でもないと思われそうな話でも笑って聞けてしまうところがあった。その「第九」の第3楽章が、その会話の通りにかかっていたので、本当にそういう指定をされていたのか、とつくづく感心したことだった。

「自伝」に関連して先生から時々お預かりしていた宿題のうち、最後にお預かりした1件は、調べものに手間取ってしまってとうとうご報告できなかった。これが今となっては残念でならない。近い将来なのか遠い先なのかはわからないが、遠くでまたお目にかかる機会があったら、その際に遅ればせながらお答えし、あわせて、最後の最後にモーツァルトでなくベートーヴェンを選ばれた理由をお尋ねしてみたい。

蛇足だが、自分の葬式にどんな曲をかけるか考えると結構楽しめる。そういうことが可能であれば、無伴奏チェロ組曲第6番(BWV1012)のサラバンドとガヴォットを挙げておきたい。

山門にはた講堂に冬日濃し

 

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恩師を見送る(1) [雑感]

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これからどうやって生きていけばいいのか―――恩師の葬儀が終わって寺を辞去し、駅まで歩きながら唐突に思った。同時に、そう思ったことに驚いた。なぜなら、自分は研究者でもなく、親しく指導を仰いでいたわけでもない。はるか数十年前、この恩師の研究会(ゼミ)に2年間所属して卒論を提出したにすぎないのだから。いったいなぜ。

初めて恩師(以下、単に「先生」という)に出会ったのは、プレゼミ的な大学2年生向けの選択科目の授業で、当時先生は50代なかばだったはずだ。それから卒業までほぼ2年半、先生の研究室が生活の中心になり、明けても暮れても卒論のための統計資料づくりに追われたのだった。この間に教わったことはたくさんあるが、ざっくり言えば、歴史上の「事実」について何か言おうとするためには、一次資料を探し、その資料について史料批判を行い、丹念に読み込んで集計し、最後にいくつかの条件をつけた上で、ようやく言える、といった順番が必要であること、またその「事実」にもとづいて何かを評価したり主張するなどというのは、ずっと先の話だということだ。特に「丹念に読み込んで集計し」の部分が、文字にするとわずか11文字なのだが、気が遠くなるほど手間ひまがかかることを思い知った。そういう指導を受けると、評価にあわせて事実をいいかげんに拾ってきましたみたいな話が町にあふれていることに慄(以下自粛)。

そのように厳しく指導を受けながら、研究者をめざすことなく就職してしまったことについて「それでよかったのか」という思いもあるし、修論も書かずに学恩などという言葉を安易に持ち出す資格があるとも思わない。しかし、あの研究室で教わったお作法というか「事実をめざして努力する態度」は、疑いなくその後、自分の職業生活の屋台骨を支えているので、その恩義ははかりしれない。また、こじつけを承知でいえば、この「あくまでも眼前の事実にもとづいてものを言おうとする態度」というのは、俳句の詠みかた(藪柑子が思う、俳句の詠みかた)に通じるものがある。

先生は、大学を辞められた後も、大学近くの貸事務所に研究室を構えて研究を続けておられた。80歳をすぎて通勤が困難になると自宅近くに事務所を移し、そこへ通うのも難しくなると、自宅で執筆を続けられた。むろん、研究に関して私がお手伝いできることは何もなかったのだけど、85歳をすぎて執筆を始められた「自伝」について、先生と自分の共通の趣味(後述)にもとづいて、むかしのさまざまな出来事についてのご質問をいただくようになった。どこから調べればよいのか見当もつかないような質問もあり、その都度考えこんでしまったのだが、なにしろ在学中には何の役にも立たなかったゼミ生が、少しでも役に立てただけで、たいへん嬉しく感じられたものだった。

そこで冒頭の「なぜ」に戻ると、現在進行形で指導を受けたり相談をしたりする間柄でなくても、もっと根本的な「座標」あるいは「北極星」のような存在として、先生を認識していたのだと思う。緯度や経度、緯線や経線は自然界に有形物として存在するわけではないし、日常的に意識するものでもないが、地球上で場所を特定するためには欠かせない存在であり、それが突然失われてしまったら大混乱するだろう。自分が受けた感じは、これに近い。なにか本当に深い疑問を感じたときに相談できたり、基本的なものの考え方を示してくれる指導者がいないということが、これほど自分を不安にさせるのだということを思い知った。

 冬晴れの青のうつろふ薄暮かな
 冬夕焼ずつと遠くへ行く列車

 

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番町句会(11/8) [俳句]

きょうのお題は「大根洗ふ」。実景を見ていないとなかなか詠めない季題。

(選句用紙から)

宅配の手押し車に冬日濃く

ここでいう「手押し車」は、建設現場や保育園でいう「手押し車」ではなく、オフィスで通常「台車」と呼ばれる、低い荷台に車輪がついた折り畳み式の運搬具のことだろう。宅配便は、トラックのほかに自転車で牽引するリヤカーのような車両も見かけるが、ともかく配達先のマンションの前とか会社の駐車場とかに車両を停めて、そこから先、その配達先に届ける荷物を台車に乗せて押していくのだ。どのくらい多いかはわからないが、複数あるから台車を使うことが前提。で、トラックから台車に移された荷物にも、台車にも、冬の日がひとしくあたっている。

諍へるままに大根洗ひをり

農婦、ということば自体が死語かもしれないが、畑から抜いて積み上げた大根を、流水だか湧き水だかの畔で洗っている。ところが、近くで見ていると、その洗っている本人が、同じく洗っている配偶者だか農婦仲間だかと何やら口論をしながら、ただ手足は忙しく動かして、大根を洗い続けている。大根がたくさんあるから、手足を止めて本格的に口喧嘩をするわけにはいかないのだ、とか理屈を言わなくても、面白くて少し悲しい一句。


(句帳から)

車窓より見ゆる焚火の暗さかな
両岸の枯野しだいに暗くなる
粉のにほひバターのにほひ冬温し

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