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恩師を見送る(2) [雑感]

葬儀の場で繰り返し演奏されていたのは、「第九」の第3楽章だった。

前の記事で「先生と自分の共通の趣味」と書いたが、それは、音楽と汽車旅が好きという二点だった。研究室のお茶の時間に、自分の旅行計画―シベリア鉄道から東欧、西欧と列車を乗り継いでリスボンまで行く計画―を説明したときにも、国鉄(当時)の全線完乗を報告したときにも、研究室の先輩方がみな「?」となる中、先生がたいへん面白がってくれたことを覚えている。また、電話帳のように分厚い2分冊のABC航空時刻表を初めて使わせてくださったのも先生だった。当時は、先生が話を合わせてくださっているのだと思っていたが、先生はその後、汽車旅やクラシック音楽に関する本まで著されていて、趣味人としての凄さも思い知らされたことだった。

そこで「第九」の第3楽章だが、つい数か月前、先生は、執筆中の「自伝」のこぼれ話として、1945年8月15日の玉音放送を伯父さんと聴き終えたあと、その伯父さんに「何か(音楽を)かけてくれよ」と求められて、こういう時にはこれだ、という確信をもって「田園」をかけた、という話をされた(このエピソードは、公益産業研究調査会「公研」647号24頁(2017)にも収録されており、折に触れて語られていたものと思う)。
それを聞いて、「私も、年齢とともに、「田園」の第5楽章や「第九」の第3楽章に惹かれるようになってきたので、8月15日の極限状況の中で、「田園」を選ばれた先生や、聴いていた方々の思いは、それだけでも一冊の本になりそうに思いました」と申し上げたところ、
「「第九」の第3楽章は、小生のお葬式の時にと思っているのですが、実はモーツァルトのクラリネット五重奏と競合していて、007のように「2度死ぬ」ことが必要なのかも。」と返されてしまった。
このように、先生には、どのような場面でもユーモアを忘れないーというか、思考回路にユーモアが組み込まれていて、縁起でもないと思われそうな話でも笑って聞けてしまうところがあった。その「第九」の第3楽章が、その会話の通りにかかっていたので、本当にそういう指定をされていたのか、とつくづく感心したことだった。

「自伝」に関連して先生から時々お預かりしていた宿題のうち、最後にお預かりした1件は、調べものに手間取ってしまってとうとうご報告できなかった。これが今となっては残念でならない。近い将来なのか遠い先なのかはわからないが、遠くでまたお目にかかる機会があったら、その際に遅ればせながらお答えし、あわせて、最後の最後にモーツァルトでなくベートーヴェンを選ばれた理由をお尋ねしてみたい。

蛇足だが、自分の葬式にどんな曲をかけるか考えると結構楽しめる。そういうことが可能であれば、無伴奏チェロ組曲第6番(BWV1012)のサラバンドとガヴォットを挙げておきたい。

山門にはた講堂に冬日濃し

 

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