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第68回深夜句会(12/19) [俳句]

今年最後の句会。
午後から悪寒に襲われ、仕事のペースが落ちる。こんなときはしっかり食べないとと思って社食で晩ごはんをつめこんでいるうちに、俳句を詠む時間がなくなる。不在投句を含め4人の納め句座。

(選句用紙から)

寺までの道を尋ねて冬桜

季題「冬桜」で冬。お寺へおもむく用件は定かでないが、電車かバスを降りて、そこにいた人にお寺への道順を尋ねて、教えられたとおりに寺へ向かった、その教えてもらった四辻や道すがらに冬桜が咲いている。新宿や渋谷のような雑踏でもなく、人影の見えない限界集落でもなく、人がまばらに生活している町とか村の風情と、寺までの道のりを楽しむ心の余裕が感じられる。その一方、状況と季題「冬桜」がつきすぎかなあとの声や、「○○を尋ねて」はちょっと手垢がついていないかとの声も。

マネキンの素肌にかけし毛皮かな

季題「毛皮」で冬。「裘(かわごろも)」とも。
ショーウィンドウでのマネキンが毛皮をまとっているのだろうが、その毛皮が、シャツとかジャケットの上に羽織られているのでなく、マネキン自体(マネキンの素肌)が直接まとうようにかけられている。
衣服のひとつとしてお店に売られている毛皮を詠んだ句であり、むろん毛皮は冬の季題であるけれど、毛皮がもつワイルドな性質をはからずも照らしだしたような一句。理屈をいえば、人類1万年の歴史のなかで、およそ9千年ぐらいは毛皮を直接まとっていたはずで、私たちの深いところに眠っているそうした記憶と響き合っているのかもしれない。

目隠しのやうに冬菜を干しにけり

季題「冬菜」。白菜とか小松菜とか、冬の菜っ葉。
街道沿いに冬田でなく冬菜畑があるのだけど、その冬菜を採っては干している。ところが、日の当たる向きの関係なのであろうか、まるで道路からおのれを隠すかのように、面をつくって干しているというのである。「干されけり」でなく「干しにけり」なので現に干している最中で、干している農夫または農婦の手だの足だのは見えているのだが、顔や体がよく見えず、まるで自分を隠すために干しているようだ。そういう干し方をしているとなると、畑はそんなに広大ではなく(一辺100mもある畑なら、道路から離れたところに干せばいいわけで、目隠しのように干す理由がないし、干しようもない)、建物と建物のあいだのちょっとした土地であることも連想される。

(句帳から)

我慢して一層ひどく咳きこんで

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