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千代田フィルハーモニー管弦楽団 第48回定期演奏会 [音楽]

オーケストラを聴きに来るのは、いつ以来だろうか。
きょうは何としても行くのだという強い決意?の下、すべての用事を早朝から午前中までに圧縮して片づけた…つもりだったが、今日発売開始のチケットに予約電話を入れるのを忘れていた。あわてて電話したが、当然手遅れ。todoリスト作って丹念にチェックできるような状態ではなく、用件がぼろぼろ手からこぼれ落ちている。
紀尾井ホールのまわりは桜が満開。弁慶堀にかかる橋をわたると、折からの微風に乗って、桜吹雪が渦を巻きながらこちらにおしよせてくる、その見事なこと。

さて演奏会。きょうはティンパニの真上に陣取り、眼下に譜面やマレットやティンパニ、そしてもちろん奏者も見ながら楽しむ。

・大学祝典序曲(ブラームス)
序奏部のほんの数小節、コントラファゴット独特の「ボッ、ボッ…」という音や、クラリネットが下降と上昇を繰り返すのを聴いていて、風景が白黒からカラーに変わるのが感じられる。無理に来てよかった。
トランペットとホルンがファンファーレみたいな主題を演奏するところは、聴く側も緊張するところで、この参加感?がアマチュアオーケストラを聴く醍醐味かもしれない(案に相違(失礼)して、けっこう無難に通過する)。

・交響曲第35番「ハフナー」(モーツァルト)
オーボエ奏者は繊細で神経質というのが世間相場だが、確かに豪放磊落な人をあまり見たことがない。編成の小さいバロックや古典派の曲でもオーボエは必ず出てくるし、出ずっぱりで大変なことだろう。またその日ごとに音色のよしあしがはっきり出てしまうから、うまく行く場合と行かない場合とではさぞや気分が違うだろう。ステージ上で楽器を四六時中いじっているのは、だいたいオーボエ奏者だ(笑)。

・交響曲第4番(ブラームス)
このホールは残響が長いから、室内楽や器楽曲には最適だが、大編成のオーケストラになると自分たちの音がステージ上にあふれてしまって弾きにくいだろうなと思う。いまいち揃ってないとかも、よく聞こえないことが原因のひとつだと思うが。

ブラームスの4番で自分の耳のモノサシとなっている録音は、カルロス・クライバーとウイーン・フィルによる1980年の録音と、ザンデルリンクがシュターツカペレ・ドレスデンを振った1972年の録音だ。前者は、それまでの4番のイメージを一変させるような強力かつ快速な演奏で、どこにも古色や晦渋はない。まだティーンエイジャーだったから、このLPには一も二もなくしびれてしまった。後者は逆に、北ドイツの冬空のような、いかにもドイツらしい抑制のきいた演奏で、ドレスデンのルカ教会の長い残響(行ったことがないのが残念!)と、鮮明で粘りつくようなティンパニの音とが強く印象に残る(当時はジャケットからして、こげ茶色基調のブラームスの肖像画で、これでもか!というほど渋い)。いまよく聴くのは、むしろこちらのほう。

第2楽章、弦がピチカートで30小節近くずっと支えるなかを、ホルンから順にファゴットとオーボエ→フルート→クラリネットと木管が素朴で古風なメロディーを渡していくところ、クラリネットがよく歌っていたのが印象的。
第4楽章、やはりホルンとフルートが掛け合う場面、フルートの音色が穏やかななかにも安定していて楽しめる。

このオーケストラに惹かれて定期演奏会に時折顔を出すのは、独特の楽しさがあるからで、この楽しさは(去年も書いたような気がするが)、曲を楽しもうとする気持や多様さ・寛容さが表れているところにあって、車でいえばワーゲンバスみたいな感じを受ける。組み立てたら部品が一つ余ってたけど、まあいいやみたいな感じ。これとは対極に、少人数で正確精緻な演奏を追究していくスタイルの、小型のスポーツカーみたいなオーケストラもあって、これはこれで魅力的なのだ。どちらがいいとかいう問題ではなくて、いろいろな方向性が許されるところがクラシック音楽の(そしてアマチュアの)楽しさなのだろう。
早く課題を片付けて、楽器がやりたい…


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コメント 5

shinovsky

やぶさま、お忙しいところをどうもありがとうございました。また素敵なご感想をオケ代表で御礼申し上げます。私もクライバーを是非聴いてみたいです(そういえばブラームス2番はザンデルリンクとドレスデンシューターツカペレを持ってましたが)。4番は実際に演奏してみるとセンチメンタルってなに?というくらい激しい曲でした。
組み立てたら部品があまったけどまあいいか、というのは笑いました。確かにそんなところが自分も参加してていいのかもしれません。
またどうぞお越ください!
by shinovsky (2008-04-09 01:14) 

和声

お久しぶりです。
忙しい中に時間を作って音楽を聴くというのは、頭で考える以上に自分に良い影響を与えてくれますね。
ブラームスの4番は私にとって、何となく音楽とはこういう物かという示唆をくれた曲かもしれません。
カラヤンがベルリンフィルと来た時ですからかなり昔ですが、東京文化会館でこの曲を聴きました。
そのとき感じたのは、最初の一つの音にこんなにも集中して柔らかく音を出し、それでいてヴァイオリンを弾く人達が、それぞれ自由に自分で音楽をしているな、という事でした。
レコードは少し持っていましたが、その印象はかなり強い物で未だに忘れられません。
最近は娘達がヴァイオリンを弾いていますが、私が感じた音楽する喜びや表現したいという気持ちがまだまだだと思います。
時間がなくなったので、又お邪魔します。



by 和声 (2008-04-09 06:21) 

やぶ

Shinovskyさん、コメントありがとうございます。

Shinovskyさんのブログと違って、世間の片隅で静かに更新を続けている零細なブログなので、楽員ご本人からコメントをいただくと慌てかつ赤面するしかないです(恥)。
自分で楽器を弾けませんので、的外れを多々書いているはずで、どうぞ遠慮なくコメントやメールで「そこはそうじゃなくて、こうなんだ」とご教示をいただければ幸いです。勉強になりますので。

ザンデルリンク/SKDのブラームス2番って、おまけで「悲劇的序曲」が入っていますよね。実は2番よりそっちのほうがしびれるんですが(笑)。特にこの録音のティンパニは、いつ聴いても胸のすくような快さがあります。

またコンサートにもお邪魔させてください。ありがとうございました。
by やぶ (2008-04-10 01:17) 

やぶ

和声さま、コメントありがとうございます。ごぶさたしています(なかなか句会に行けないのが苦しいです…)。

「最初の一つの音にこんなにも集中して柔らかく音を出し」
このコメントは、ブラームス4番の冒頭を考えると、なるほどなぁと思うし、実際にどんな音が出たのだろうと想像がふくらみますね。

カラヤン/BPOが東京文化会館でブラームスの4番を演奏したのは、記録によれば1981年10月31日で、この日は4番と2番を演奏したことになっていますね。冒頭をふくめ、どんな4番だったのでしょう。ちなみに、このころのカラヤンのチケットって、すごく入手しにくかったのではないでしょうか…?
by やぶ (2008-04-10 01:26) 

和声

1981年でしたか。調べて下さって恐縮です。確かにチケットを入手できたのは幸運でした。会社の関係ですが、誰かが行けなくなって回って来たように記憶しています。
でもそうして聴きに行った演奏会の事を、27年経っても一部とはいえ良く覚えていて、人生の支えのような気がしているという事は、更に幸運な事だと感謝しています。ちょっと大袈裟かもしれませんが、この時の演奏会と能で桜間道雄さんの「姨捨」、観世寿夫さんの「歌占」を見た記憶は、薄れるどころか存在を増しており、自分にとっての財産だと思っています。
 アマチュアの演奏では、鎌倉のある団体のブラームスの弦楽六重奏の1番が印象に残っています。
 その時はまさに北ドイツの、雲が低く垂れ込めている冬を思わせるような雰囲気を感じました。そして若い男性が一生そこに閉じこもっていたいと感じるような感傷的な思いが、自分の中に満ちてきたように思います。
この曲のCDは今でもたまに聴きますが、我家は私以外は女が3人なので、この曲は女には判らないだろう、と心の中で思いながら聴いています。
これもセクハラになるのでしょうか。最近は年のせいか、自分の不用意な発言が人を傷つけてしまいそうで臆病になっています。

by 和声 (2008-04-10 08:12) 

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