第97回深夜句会(5/19) [俳句]
先月の深夜句会の最中に熊本地震が起きたことをふと思い出す。あれから1か月。
(選句用紙から)
鼻高く確と日焼をしてをりぬ
季題「日焼」で夏。西洋の人なんかが日本にやってくると(やってこなくても)、夏の強い日差しであっという間に真っ赤に日焼けしてしまうのだけど、それがまた見事に、鼻の先とかおでこから焼けていくのですね。これはむろん、私たちが日焼けするときでもそういう順序で日焼けしていくのだけど、肌の色が白い人だと、高い鼻が濃いピンク色に焼けてしまって、いかにも痛々しく目だたしい。「確と」なんて、へたに使うと上滑りしてしまうのだけど、この句では、かすかな諧謔味とともにうまく使われている。
出張の英語に疲れ明易し
季題「明易」で夏。日本からどこかへ出向いていって英語の打合せなんかをするのだが、慣れない外国語での仕事なので、気分的に疲れてしまったのだろうか、夜中とか早朝に目が覚めてしまう。いま何時だろうと思って外を見ると、もう明るくなっている。「明易」という季題と、ちょっと疲れた自分の心持とがよく響き合っている。
上水にかぶさりえごの花盛り
季題「えご(売子)の花」で夏。えごの木って、初夏に白い花を下向けに咲かせるのだけど、一本の木に尋常じゃない数の花をつけるのですね。この木はたまたま、「玉川上水」とか「千川上水」のほとりに植えられていたのだろうけど、「上水」ということから川幅はあまり広くなくて、そこにえごの木が大きく育って無数の花をつけるとなれば、もう上水を覆いつくさんばかりに真っ白に咲いているのでしょう。で、咲き終わった花は上水の水面に落ちて流されていく、季節のある瞬間を切り取って美しい。
(句帳から)
発車ベル既に鳴り終へ若葉風
豆飯を炊いてゐる間の懐古談
麦熟れて畑は裂けて大地震
農大のポプラの新樹一列に
(選句用紙から)
鼻高く確と日焼をしてをりぬ
季題「日焼」で夏。西洋の人なんかが日本にやってくると(やってこなくても)、夏の強い日差しであっという間に真っ赤に日焼けしてしまうのだけど、それがまた見事に、鼻の先とかおでこから焼けていくのですね。これはむろん、私たちが日焼けするときでもそういう順序で日焼けしていくのだけど、肌の色が白い人だと、高い鼻が濃いピンク色に焼けてしまって、いかにも痛々しく目だたしい。「確と」なんて、へたに使うと上滑りしてしまうのだけど、この句では、かすかな諧謔味とともにうまく使われている。
出張の英語に疲れ明易し
季題「明易」で夏。日本からどこかへ出向いていって英語の打合せなんかをするのだが、慣れない外国語での仕事なので、気分的に疲れてしまったのだろうか、夜中とか早朝に目が覚めてしまう。いま何時だろうと思って外を見ると、もう明るくなっている。「明易」という季題と、ちょっと疲れた自分の心持とがよく響き合っている。
上水にかぶさりえごの花盛り
季題「えご(売子)の花」で夏。えごの木って、初夏に白い花を下向けに咲かせるのだけど、一本の木に尋常じゃない数の花をつけるのですね。この木はたまたま、「玉川上水」とか「千川上水」のほとりに植えられていたのだろうけど、「上水」ということから川幅はあまり広くなくて、そこにえごの木が大きく育って無数の花をつけるとなれば、もう上水を覆いつくさんばかりに真っ白に咲いているのでしょう。で、咲き終わった花は上水の水面に落ちて流されていく、季節のある瞬間を切り取って美しい。
(句帳から)
発車ベル既に鳴り終へ若葉風
豆飯を炊いてゐる間の懐古談
麦熟れて畑は裂けて大地震
農大のポプラの新樹一列に
第96回深夜句会(4/14) [俳句]
句会が終りかけた時間に、熊本で大地震。
(選句用紙から)
物思ふぺんぺん草をひつこ抜き
季題「ぺんぺん草」(薺の花)で春。
「物思ふ」を上五に置いていったん切る。後にありきたりな話が続くと、陳腐な一句になってしまうのだけど、何もないことの象徴ともいえる「ぺんぺん草」が来ることから、なんとも不景気な中七下五で、庭の草取りをしながら、心ここにあらずというか、春の愁い(それ自体も季題なのだけど)に満たされている。最後「ひっこ抜き」でもう一度「物思ふ」に返しているところも手堅い。
みっしりと咲き連ねたる桃の花
季題「桃の花」で春。白や桃色をした桃の花は、縦方向に長い桃の枝に、花だけが数珠繋ぎになったようにして咲いている(花蘇芳なんかもそういう咲き方をしますね)。それを「みっしりと」「咲き連ねたる」と表現したところにこの句の取り柄があるのだろう。説明でありながら、説明調に陥らずに踏みとどまっているところもよい。
(句帳から)
花冷や注記の多い決算書
小さな傘大きな傘に花の雨
花すこしこぼれ落ちたり花御堂
(選句用紙から)
物思ふぺんぺん草をひつこ抜き
季題「ぺんぺん草」(薺の花)で春。
「物思ふ」を上五に置いていったん切る。後にありきたりな話が続くと、陳腐な一句になってしまうのだけど、何もないことの象徴ともいえる「ぺんぺん草」が来ることから、なんとも不景気な中七下五で、庭の草取りをしながら、心ここにあらずというか、春の愁い(それ自体も季題なのだけど)に満たされている。最後「ひっこ抜き」でもう一度「物思ふ」に返しているところも手堅い。
みっしりと咲き連ねたる桃の花
季題「桃の花」で春。白や桃色をした桃の花は、縦方向に長い桃の枝に、花だけが数珠繋ぎになったようにして咲いている(花蘇芳なんかもそういう咲き方をしますね)。それを「みっしりと」「咲き連ねたる」と表現したところにこの句の取り柄があるのだろう。説明でありながら、説明調に陥らずに踏みとどまっているところもよい。
(句帳から)
花冷や注記の多い決算書
小さな傘大きな傘に花の雨
花すこしこぼれ落ちたり花御堂