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小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮文庫、2014)【ネタバレ注意】 [本と雑誌]

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朝の上り電車で隣に立ったお兄さんが「厳選論点Q&A 財務諸表論」という小冊子を読んでいる。心の中で「本試験がんばって!」と声をかけながら電車を降りる。
本試験直前のこの季節に、テキストや条文集ではなく好きな本が読めるしあわせ。

聞き役としての村上春樹の良さは、村上さん自身が大の音楽好きつまり、批評する以前に音楽が好きだという点にあると思うのだけど、その上で、本書のより具体的な良さとして、次の3点があげられる。
まず、小説家村上春樹のポジションから半歩ひいて聞き役に徹していること。たとえば第1回で、ルドルフ・ゼルキンの話題が出てくるのだけど、村上さんには「ゼルキンとルービンシュタイン」という文章があって(『意味がなければスイングはない』所収)もっと立ち入った話をしようと思えばできるはずだが、さかしらに自分の知識を開陳するようなことはしない。
2点目に、読者が尋ねたいと思う点を代弁してくれていること。それも、質問を加減するのでなく、自分が尋ねたいことを流れに乗って尋ねているのだけど、それがまさに読者が尋ねたい点であること。
3点目に、最も重要な点として、話し手と聞き手の思考ががっちり噛み合って会話が進んでいく結果、話し手である小澤さん自身さえそれまで自覚していなかった何かを引き出していること。これはすごい。

そうした中で例外的に「小説家村上春樹」が顔をのぞかせるのが、マーラーについてのやりとり(第4回)で、ここでは珍しくも「これは、こういうことではないですか?」を連発している。これは、マーラーの音楽が作家村上さんにとっての「水脈」と近い位置にあるということだと思う。

他方、話し手としての小澤さんは論旨明快で、これも本書が読みやすい理由になっている。ところどころに不思議な表現が出てくると、すかさず村上さんが聞き返してくれるので、そこで小澤さんが、より一般的表現でどう説明すべきか考えはじめるプロセスも面白い。「子音」をめぐるやりとり(pp.86-7)のように、最後まで私にはよくわからない箇所もあるのだけど。

結局、これらを成り立たせているのは、双方のコミュニケーション能力が極めて高いからで、このような芸当はめったに見られるものではない。ここでとりあげられている曲を全く知らなくても十分に楽しめる(と思う)のは、本書が、いくつかの曲を題材にしつつも、やりとりが音楽論であり芸術論になっているからだろう。





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