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第72回深夜句会(4/24) [俳句]

いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」に立ち寄り、分厚いエッグサンドで腹ごしらえをしながら投句をまとめる。本日は不在投句を含めて6人。

(選句用紙から)

小汚なき店も青饅青ければ

季題「青饅(あおぬた)」で春。青饅はむろん酒肴であろう。春の野菜を茹でて、魚や貝と酢味噌であえたもの。語源を知らないが、ぐちゃぐちゃした一品。葱でつくる葱饅のほうが名前の通りがいいかも。
よく通っている小汚い狭い飲み屋で、きょうは青饅がおつまみに出された。小さな鉢のなかでぐちゃぐちゃに混ぜ合わせてある、その春野菜が青い色をしていていることにふと心動かされ、ふだん小汚いとしか思っていない飲み屋が、季節感を伴った場所として感じられた。
長く俳句を詠んでいると(っていうほど長くないが、一応30年は超えているので)、小汚いものを「小汚い」と言わずに小汚さを伝えるにはどうする、と措辞を考えるところなのだけど、いきなり「小汚き店」と言い切ってしまう大胆さ。これはできそうでできない。こう言い切られると、一坪ぐらいしかなくてお婆さんが一人でやっていて、なんだか散らかり放題の小さな飲み屋が思い浮かぶから不思議。

浄瑠璃を聴く大坂の永き日に

季題「日永」で春。小屋の暗がりで浄瑠璃を聴いていると、そこには外光は差していないのだけれど、すっかり日が長くなった春の日にその独特の節回し(というのだろうか、不勉強ですみません)を聴いていると、その春の日が、2014年のきょうであってきょうでなく、かつて大坂(おおざか)と書かれていたころの春のある日であるように思われる。
互選後の句評では「聴く」より「聴き」がよいのではとの意見。「聴く」ではっきり切ると、「大坂の永き日に」が最初に戻って、倒置の形になるのだけど、すこしはっきりしすぎて説明にも感じられるところ、「聴き」だと「日に」との繰り返しになって、「浄瑠璃を聴いてむかしの大坂に心遊ぶ」とも読めるし、「浄瑠璃を聴きおえて大阪の町の日永に出る」とも読める。

巣づくりの鴉と出会ひがしらなり

季題「鴉の巣」で晩春。
家を出て通りへ出る。道を曲がったところで出合い頭に、巣材をくわえた鴉が低く滑空しているのと正面からぶつかりそうになってしまう。
鳥の巣は春の季題になるのだけど、鴉の巣自体は見たことがなくても(この句でも、巣自体は見えていない)、巣づくりのために巣材をくわえた鴉が飛んでいるのはいたるところで見かける。それもハンガーの針金とか、ずいぶんなものまでくわえて低空で飛んでいくので、あっぱれと言うべきかいまいましいと言うべきか。それでなくても強気な鴉であるが、巣作りの時季にはさらに凶暴?になるので、うっかり「巣作りを邪魔する者」と認識されたら最後、後ろから低空で襲われたりする。従ってこの句も、出合い頭にぶつかりそうになってこの野郎と思いつつも、くわばらくわばらという感じも伴ってくる。

(句帳から)


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コメント 2

ろく

青饅は、青いマンジュウではなく、青物のヌタなんだ!!

いい句だね。秒殺句かな。

「も」ではなく「の」、「ければ」ではなく「さよ」または「さかな」、作者は推敲中かも…しれないね。

浄瑠璃の句は、席題?
これもいい句。
皆様の感想戦の意見に同意。
 浄瑠璃を聴く大「阪」の日永かな
てのはアリかな、ナシかな?

このところ月に一度、水か木に東京に行くのだけれど、木は月に四度か五度あるし、行くとなったらあれやこれやで欲張るので、なかなかねえ…。
のんちゃんや岸本さん他、皆々様にどうそ宜しくお伝え下さい。


by ろく (2014-04-27 13:59) 

やぶ

ろくさま、おひさです。
そうそう、青い饅頭って何だろうと何分の一秒か考えたよ。どうしてこういう漢字をあててるんだろうね。
「も」は難しいね。私はいまだにうまく使えない。この句では、作者は「だけれども」の意図で使っているので、「の」だと逆接感が出ないかな。ただ、「も」にあまり多くのことを言わせようとすると思わせぶりな句になってしまうので、悩ましいね。

深夜句会は、第二木曜か第三木曜になることが多いので、うまくタイミングが合えばぜひぜひご光臨あれ。ただし次回は第四木曜(5月22日)だす。
by やぶ (2014-04-27 23:27) 

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