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河北新報社編『河北新報のいちばん長い日』(文藝春秋、2011(文春文庫2014)) [本と雑誌]

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ポール・ギャリコの短編集『銀色の白鳥たち』(ハヤカワ文庫)の一篇に、大ニュースに接した夜勤の新聞記者が、1人で活版を組んで号外を印刷させてしまう話(「マッケーブ」)があるが、困難な状況のなかで、目の前で起こっている事実を伝えようとした人々の努力を淡々と綴っているこの記録は、広く読まれてよい。

人に会って話を聞く。その積み重ねによってエラーを減らしながら、全体像に近付いていく。大きな災害時には全体像が巨大になり、積み重ねなければならない煉瓦の数は多くなるが、そのような事態に対して取材者の数は限られている。そのため、絵柄の周縁部は早い段階で描くことができても、核心部分や、全体として何がどうなっているのかが判明するまでには時間がかかってしまうし、エラーも起こりやすい。自らも退避指示を受けながら、旧知の首長の携帯に電話したら「記者なんだから、電話で聞かないで見に来い」と怒鳴られるいきさつは、このような状況のジレンマをよく物語っている。

その一方で、こうした困難な状況やジレンマの中での取材が、多くの記者の人生を大なり小なり変えていく様子も描かれていて、紙面には現れないその「変えられ方」がリアルであることが、本書の説得力の裏付けや、また単なる美談や自慢話にしない重要な要素になっているように思われる。

取材し出稿する記者だけでなく、それを紙面としてどのように作り上げるか頭を悩ませる整理部の苦悩も、みごとに描かれている。最後の最後に「死者」の二文字を「犠牲」に改め、しかし「はたして正しい判断だったのか、今も答えが出せません」と述べる謙虚な姿勢は、見習われるべきであろう。こうした見識もまた、新聞のクオリティを支えている。また、新聞の生命線ともいえる販売店の店主やその家族たちの使命感、さらに、一度は帰国を決意しながら踏みとどまり、職場に戻ってきた外国人留学生、自らの取材欲を封印してロジスティクスに徹する隣接県の記者やその家族、その友人…とさまざまな人々が震災報道を支えていることが今更ながら了解される。このようなことがらは、演繹的に上から目線でモノを言うときにはスポッと欠落してしまうのだけれど、結局はこうした「個別」こそが「大災害時の情報共有のありかた」という大きなテーマを構成していくのだという点に思いをいたす必要があるように思われる。




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