留別句会(5/18) [俳句]
遠方へ赴任される友人の前途を祝して句仲間が集まり、俳小屋で壮行句会。
(選句用紙から)
山法師白く送別句会なる
山法師の白い花は、可憐とか繊細というよりはぶっきらぼうな花なのだけど、そのぶっきらぼうな山法師が白く咲いているころ、ちょうど送別句会だという。あれこれの修飾語は不要で、言葉少なに送り出すつどいであることと、ぶっきらぼうな山法師がよく響き合っている。
また、送別句会「なり」でなく「なる」としたことで、「送別句会という」のように一歩引いた表現になり、余情が増しているように思われる。
新樹晴たぶん地球のどこにゐても
一見とぼけた「たぶん」が、「どこにゐても」の強い破調とのバランスになっている。地球のあちこちが一斉に新樹晴になっているさまを、「地球のどこも新樹晴」でなく、そこにいる自分の視点で「どこにゐても」と叙して、自分は実際にそこには行けないので「たぶん」と加えているところもいいですね。
チグリスへユーフラテスへ田を植ゑに
「木を植ゑる」という言葉がひとつの象徴(Serit arbores, quae alteri saeclo prosint.)であるように、「田を植ゑる」こともまた、和朝の俳人ならではの象徴かと。
トンネルの合間合間の藤の花
短いトンネルを次々に通り抜けていることからして、山深いところなのだと思うが、その合間合間に見える山あいに、藤の花の紫色が見えている。薄暑のころの日本の山の風景ーもわっと湿潤な感じのただよう、初夏の山の風景ーが見えるが、遠くへ出向くとなれば、そうした風景もいつでも気軽に愛でることはできないわけで、一つ一つの花も、その背景の山々も、印象深く見える。
(句帳から)
手提げからカーネーションの花の先
(選句用紙から)
山法師白く送別句会なる
山法師の白い花は、可憐とか繊細というよりはぶっきらぼうな花なのだけど、そのぶっきらぼうな山法師が白く咲いているころ、ちょうど送別句会だという。あれこれの修飾語は不要で、言葉少なに送り出すつどいであることと、ぶっきらぼうな山法師がよく響き合っている。
また、送別句会「なり」でなく「なる」としたことで、「送別句会という」のように一歩引いた表現になり、余情が増しているように思われる。
新樹晴たぶん地球のどこにゐても
一見とぼけた「たぶん」が、「どこにゐても」の強い破調とのバランスになっている。地球のあちこちが一斉に新樹晴になっているさまを、「地球のどこも新樹晴」でなく、そこにいる自分の視点で「どこにゐても」と叙して、自分は実際にそこには行けないので「たぶん」と加えているところもいいですね。
チグリスへユーフラテスへ田を植ゑに
「木を植ゑる」という言葉がひとつの象徴(Serit arbores, quae alteri saeclo prosint.)であるように、「田を植ゑる」こともまた、和朝の俳人ならではの象徴かと。
トンネルの合間合間の藤の花
短いトンネルを次々に通り抜けていることからして、山深いところなのだと思うが、その合間合間に見える山あいに、藤の花の紫色が見えている。薄暑のころの日本の山の風景ーもわっと湿潤な感じのただよう、初夏の山の風景ーが見えるが、遠くへ出向くとなれば、そうした風景もいつでも気軽に愛でることはできないわけで、一つ一つの花も、その背景の山々も、印象深く見える。
(句帳から)
手提げからカーネーションの花の先
2013-05-25 23:46
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0