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籐椅子探勝(1/13) [俳句]

むかし東横線で通学していたころには毎日通り過ぎていた多摩川園駅だが、目蒲線(当時)に乗り換えたことはあっても、下車するのは初めてかもしれない。駅自体はすっかり様変わりしてしまって、むかしののどかな風情はない。毎回のことながら、句会場へ締切間際にかけこむので、後ろめたいことしきり。
次回は池上梅園とのこと。行けるだろうか…

(選句用紙から)

枯芝に大きな犬の蹲り

季題「枯芝」で冬。
洋館の庭とか公園のような場所であろうか。洋芝に大型犬が腹ばいになっているのだが、その姿が、寒さの中で蹲っているようだ、という一節(犬にも「うずくまる」という意識があるのだろうか…)。枯芝に接している犬のおなかの体温や、犬に吹きつける冷たい風などが想像される。
主宰は句評で「この『大きな犬』がどんな犬かということも時代とともに移り変わっていく(たとえば、20年前ならシベリアンハスキー、80年前なら秋田犬とか)ので、読者が思い浮かべる映像も移ろっていくことを気に留めておく必要がある。」と。
なお、下五の蹲「り」が若干気になる。「蹲り」とするなら上五は「枯芝や」としたいところ。逆に上五は「枯芝に」で動かないのだとすると…やはり「蹲る」でいいのではないだろうか(若干落ちつかない感じがすることは確かだが)。

寒の水沸きかへりつつ魚梯なす

季題「寒の水」で冬。堰にたまった川の水は、寒の内であるからして、暗い色で静まり返っている(もっと小さな流れなら、表面が凍ったりするかもしれない)。ところが堰堤の脇に設けられた魚道には、いつも水が流れているから、そこだけはしぶきが上がって、まるで沸騰しているように見える。それもまた寒の水である。さらによく見ると、その沸き返りかたが、魚道につけられた段段(魚梯)をなぞるようである。そうして沸き返りながら、その寒の水が魚梯をなしている(しつこく言えば、コンクリートの構造物である魚道ではなく、そこに流れている寒の水こそが魚梯をなしている)。静まりかえった堰の水と、梯子のような形に湧き返る魚道との鮮やかな対比。

(句帳から)
大玻璃戸大玻璃窓に吹雪かな
雪沓やときどき外れまた外れ
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