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深夜句会吟行&忘年会(12/26) [俳句]

例によって朝寝坊し,早い時間の新幹線に乗れない。25日は遅くまで飲んでいたので,当然の報いではあるが。

宿泊所に荷物を置いて集合場所の明治神宮正門に急ぐが,表参道はすごい人出(あの道は高低差があるので,実際以上に人がたくさんに見える)。日本は景気が悪かったんじゃないのかと毒づきたくなるような混雑ぶりで15分ほど遅刻して正門に到着。

明治神宮を去年と同じように南側から北側へゆっくり吟行。ユズリハの葉柄の赤も,ヒタキの腹の色も,去年と同じようで微妙に違っている。去年みかけたオシドリが今年はいない。
代々木側へ抜けて,俳人の友ルノアールで4時半から句会。ケムいが致し方ない。

(選句用紙から)
三脚の置きつぱなしや日短か

枯芝の上に置かれた三脚。野鳥を撮るためだったり記念写真を撮るためだったり,いずれにしても冬の屋外に置かれた三脚だが,カメラマンが戻らないままあたりは暗くなっていく。短日の急な暗くなりようと,三脚の金属の冷たさがよく符合している。また,あたりに誰もいない物寂びた感じも。

冬空を引つ掻くやうに鳥の啼く
さえずる,というような啼き方でなく,ギャギャッというようなきつい啼き方。「冬空を引っ掻くような」がすべて。夏空や秋空ではしっくりこない。冬空の重く鈍い色を引っ掻くような,ちょっと人の心をいらだたせるような響き。

(句帳から)
神苑の小流れに射す冬日かな

渋谷へ移動し,本来の深夜句会会場である「セピアの庭で」へ。マスターにご参加いただいて,6時半から2回目の句会。

(選句用紙から)

我らみなかつて学生冬晴るる
「われら」という言葉のひびき自体が時代がかっているのだけど,かつて学生だった何人かが年の瀬に句会に(あるいは他の何かに)つどっている。その上に冬晴れの空が広がっている。冬晴れのもつ潔癖さや凛とした感じが「かつて学生」と響きあっていることはいうまでもなく,秋晴れでも夏の晴でもダメなのだ。

音消してテレビ見てをる夜半の冬
いろいろな風景が想像される。病院などがすぐ思いつくところだが,ふと守衛さんを連想した。仕事中だから音を出すわけにはいかないが,画面だけついている小さなテレビが警備員室にある,ビル全体でも人がまばらな冬の深夜。

(句帳から)
水鳥の澪消えてゆく夕日かな
三畳と六畳ほどの冬田かな

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