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第73回深夜句会(5/22) [俳句]

(選句用紙から)

蒸留所裏に滝壺山桜

季題「山桜」で春(「滝」も夏の季題だが、一句の眼目が山桜にあることは明らかなので)。
蒸留酒をつくる工場を蒸留所というなら、焼酎でもウォッカでもジンでもラムでも蒸留所なのだが、まあウイスキーの蒸留所がいちばんなじみのある風景だろう。日本にも余市とか白州とかありますね。その蒸留所を訪ねていったら、敷地の裏、あるいは蒸留所の建物(キルンがそびえたりで、独特の姿をしている)の裏にちょっとした滝があって、そこに山桜が咲いていた。
ウイスキーの蒸留所は、仕込みに使う「よい水」がどうしても必要なので、たとえ海岸べりでも必ず淡水の水源があるものだけど、ここではその豊かな水源が、滝壷を経てあふれ出しているのであろう。その泥炭地を流れてゆく水は、灰緑色だったりするのだが、人影もないそんな荒涼とした場所に咲いた山桜の色は、都会に咲いた桜以上に、春を感じさせる。
互選後の句評では、この「裏に」がどうか、という話になる。「裏に」は作り込みすぎで、ここは蒸留所「ありて」のほうがいいのではないかと。

ずる休みして万緑に抱かれて

季題「万緑」で夏。
これも句評で、そもそも「ずる休み」をするのはどんな人かということになった。サラリーマンが休むなら、休暇にせよ何にせよ、手続をとって休むのだから、「ずる休み」という時点でこの句は学生なんじゃないの?という意見。いや、たとえ正規の手続きを経たとしても、気が乗らずに休むのを「体調が悪い」といって休む時点で、それはずる休みと言い得るのではないかという意見。深夜句会は全員が現役の勤め人なので、こういう話になるとやたらに盛り上がって楽しい。
「…して」「…れて」の繰り返しで始めにもどって終わりがないこうした句形は、先日の講演で拝聴した「虚子俳句の平句性」という話とちょっと関係ありそうな気がする。また「万緑」という遠景と「ずる休み」との距離をどう見るか。この距離がある種の均衡を保っているように思うが、見方によってはその距離が予定調和と感じられるかもしれない。でも例えば「ずる休みして鉢植の桜草」「ずる休みしてただ白し小米花」では句柄が貧相。やはり「万緑」でないとつり合わないように思う。その上で(いや、それ以前にだろうか)、季題からの発想といえる形で句が生きているかどうかではないかと。

(句帳から)

牛久沼満たせるものや若葉雨

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