第45回深夜句会(1/19) [俳句]
雨が降り出し,雪になりそうな空模様の中を会場へ。
(選句用紙から)
酔へば泣きデザートも食べ年忘れ
季題「年忘れ」で冬。
「女子会」ということばが(少なくともサラリーマンの社会には)定着して久しいが,いまどきの「女子による,女子のための」年忘れを描いたらこういう句になるのではないかと。お座敷に居並ぶ社員を前に部長が挨拶をし,課長が乾杯の発声をする正調忘年会?ではこんな風景ありえないのだけど,酔っぱらってからんだり泣き出したり,しかし次の瞬間にデザートが出てくるとわれに返ってしっかり食べてしまうのがいい。
「泣き」「食べ」と連用形を重ねて「年忘れ」という季題に持ち込むのだが,その「年忘れ」という季題自体が「忘れ」という音で終わっているので,あたかも「年忘れ」からもう一度「酔へば泣き」に戻って連用形でどこまでもつづいていくような楽しい錯覚に陥る。
ミニカーのすれ違ふごと冬田中
季題「冬田」で冬。
冬の広々とした田んぼの中に立派な道があって,そこをかなりのスピードで車が行き交っている。それを遠くから見ていると,ミニカーがつつっとすれ違っていくように見える。
互選のあとの句評で「ミニカーのごとすれ違ふ」ではないの?という意見が出ていて,それもそうだなと思うのだけど,冬田の中のの立派な道を遠くから見ているのだとすれば,元の句形のほうが全体の景(すれ違ったあとの二つの車の動きや,そのまわりの冬田)はよく見える。
これに対して「ミニカーのごとすれ違ふ」だと,いちめんの冬田のなかの,そのすれ違っている一点を見つめている感じで,こちらの興趣も捨てがたい。どちらもありなのではないかと。ただ,私ならその上でなお「冬田」に関心が向かうので,やはり元の句形を採ると思う。
凍てつきし街に点れる屋台かな
季題「凍る」で冬。
この句を読むと,かつて真冬の北京で食べ物を求めてさまよったことを思い出す。
いまでは考えられないことだが,当時(1985年)の北京の街には,外国人が気軽に食事をとれる店なんていうものはほとんどなくて,外国人宿泊用ホテルのレストランに入るか,街角の売店でチョコレート(のようもの)やビスケット(のようなもの)を買うしかなかった。その日は朝ホテルを出て,満員のバスと人波と高圧的服務員に翻弄されながら天安門広場まで歩き,夕方近くにようやく小さな肉饅の屋台をみつけて空腹を満たしたのだった。むろん気温は氷点下で,食べているそばから饅頭が冷えていってしまうのだけど,一体何キロ歩いたんだという長い歩行で疲れ切った体には,その屋台が救護所のようにありがたく感じられたことだった。
凍てついた町の一角に灯を点すのは,焼芋,おでん…何の屋台であろうか。その明るさや温かさやにおいと,「凍てつく」との対比は,ありがちのような気もするのだけど,しかしそういう余計なことは言わず「点れる」で止めておくところに品位があると思う。
(句帳から)
寒林に埋もれるやうに村社かな
途中まで踏跡のある冬野かな
街灯のともりつづけて冬の雨
(選句用紙から)
酔へば泣きデザートも食べ年忘れ
季題「年忘れ」で冬。
「女子会」ということばが(少なくともサラリーマンの社会には)定着して久しいが,いまどきの「女子による,女子のための」年忘れを描いたらこういう句になるのではないかと。お座敷に居並ぶ社員を前に部長が挨拶をし,課長が乾杯の発声をする正調忘年会?ではこんな風景ありえないのだけど,酔っぱらってからんだり泣き出したり,しかし次の瞬間にデザートが出てくるとわれに返ってしっかり食べてしまうのがいい。
「泣き」「食べ」と連用形を重ねて「年忘れ」という季題に持ち込むのだが,その「年忘れ」という季題自体が「忘れ」という音で終わっているので,あたかも「年忘れ」からもう一度「酔へば泣き」に戻って連用形でどこまでもつづいていくような楽しい錯覚に陥る。
ミニカーのすれ違ふごと冬田中
季題「冬田」で冬。
冬の広々とした田んぼの中に立派な道があって,そこをかなりのスピードで車が行き交っている。それを遠くから見ていると,ミニカーがつつっとすれ違っていくように見える。
互選のあとの句評で「ミニカーのごとすれ違ふ」ではないの?という意見が出ていて,それもそうだなと思うのだけど,冬田の中のの立派な道を遠くから見ているのだとすれば,元の句形のほうが全体の景(すれ違ったあとの二つの車の動きや,そのまわりの冬田)はよく見える。
これに対して「ミニカーのごとすれ違ふ」だと,いちめんの冬田のなかの,そのすれ違っている一点を見つめている感じで,こちらの興趣も捨てがたい。どちらもありなのではないかと。ただ,私ならその上でなお「冬田」に関心が向かうので,やはり元の句形を採ると思う。
凍てつきし街に点れる屋台かな
季題「凍る」で冬。
この句を読むと,かつて真冬の北京で食べ物を求めてさまよったことを思い出す。
いまでは考えられないことだが,当時(1985年)の北京の街には,外国人が気軽に食事をとれる店なんていうものはほとんどなくて,外国人宿泊用ホテルのレストランに入るか,街角の売店でチョコレート(のようもの)やビスケット(のようなもの)を買うしかなかった。その日は朝ホテルを出て,満員のバスと人波と高圧的服務員に翻弄されながら天安門広場まで歩き,夕方近くにようやく小さな肉饅の屋台をみつけて空腹を満たしたのだった。むろん気温は氷点下で,食べているそばから饅頭が冷えていってしまうのだけど,一体何キロ歩いたんだという長い歩行で疲れ切った体には,その屋台が救護所のようにありがたく感じられたことだった。
凍てついた町の一角に灯を点すのは,焼芋,おでん…何の屋台であろうか。その明るさや温かさやにおいと,「凍てつく」との対比は,ありがちのような気もするのだけど,しかしそういう余計なことは言わず「点れる」で止めておくところに品位があると思う。
(句帳から)
寒林に埋もれるやうに村社かな
途中まで踏跡のある冬野かな
街灯のともりつづけて冬の雨
2012-01-29 11:30
nice!(1)
コメント(2)
トラックバック(0)
酔へば泣きデザートも食べ年忘
ゆーしさんから送信されてきた逗子選の句稿の中にこの句を見つけ、あまりの
素晴らしさに、僕は完全にギブアップでした。
これが、回ってきた清記用紙にあったとしたら…。嗚呼。
やはり、句会出るべし。ですな。
by ろく (2012-01-29 16:32)
ろくさま,おばんです&コメントありがとうございます。
江戸の西郊は猛烈に冷え込んでいます。諏訪も同様かと。
…でしょ?(笑)いいよねえ,この句。
互選で私の1票だけだったのが不思議。迷わず採る1句だと思うのだけど。一歩間違えれば歌謡曲になってしまう手前のわずかなところに,きれいに着地していますよね。
by やぶ (2012-01-29 22:39)