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稲作挿話から80年 [俳句]

宮澤賢治の「稲作挿話」が世に問われてから、もうすぐ80年になる、という話。

著作権がもう切れているので全編転載してもいいのだが、図書館で「校本宮沢賢治全集」の第4巻にあたってもらうか、ウェブで検索してもらうのがよいと思う(実際に検索してみたら、この作品を読み上げてくれるサイトまであって、しかもけっこういい朗読だった。ついでに「陸羽132号」で検索してみたら、花巻の農協が「賢治の米」という商品名で陸羽132号を売っているのを発見した)。

初出は同人雑誌「聖燈」第1号(1928年3月8日)で、このときのタイトルが「稲作挿話」。その後「春と修羅 第三集」では単に「一〇八二」(あすこの田はねえ)となっているが、通りがいいのはむろん前者だ。本人のノートの日付は「(1927年)七、一〇」と書いてあるらしいから、あと2ヶ月で80年になる。
80歳になるこの作品は、今日的にはさまざまな議論が―たとえば、これは詩なのかとか、労農党のプロパガンダだとか、国柱会の影響はとか、言葉遣いが甘いとか、なぜチェロを弾くのはよくてテニスはだめなんだとか―あるだろうが、それらを上回る力を、今日なお備えている。

むろん、現在では別の読まれかたがあるわけで、「農村にあって,農業改良につとめながら勉強をつづける」という羅須地人協会的なものから、今日的な読者の多くは「都市やその郊外で会社勤めや自営やフリーター稼業のかたわら、生活上の必要や自分の関心のために学校に通ったり、何かの組織で目的を追求する」的な読み方をすることになるだろう。 この間に横たわる80年という時間にもかかわらず―つまりその間に東北の、いや日本の農村を通り過ぎていったさまざまな社会の変化や災害にもかかわらず―この詩は今日なお、人の心に訴える力をもっている。それは、この詩が「新しい」からではなく、より普遍的な考え方(一人ひとりが持っている世界観)に訴えているからだろう。

ではその普遍的な考え方とは何かというと…たぶん、ひとつは「木を植えた男」的な、愚直で漸進的に世界をよりましなものにしようという意思、もうひとつは「いままで知らずに済ませてきたことを知りたい」という強い意欲(アッシジの聖フランチェスコ風にいえば「誤りあるところに真理を」)だ。特に後者は、半ば政策的に愚民化が推進され、反知性主義が大手をふる現在の社会に対する、痛烈な批判となっているのではないだろうか。「下流社会」を引き合いに出すまでもなく、学ぶことに強い制約があった時代のほうが、学ぶことの意義がずっと自明だったのは皮肉なことだ。


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和声

宮沢賢治の詩とやぶさんの日記はどちらも地に足が着いていて、私がもう少し文学を身近に感じていた頃を思い出させてくれます。
アッシジの聖フランチェスコという部分からは高田三郎さんの「平和の祈り」という曲をすぐ思い出しました。いまだに高田先生の自筆の楽譜のコピーで仲間内で歌っています。
「誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を・・・・・理解されるよりも理解する事を・・・」先生が亡くなってもう7年ですね。私の合唱の師が高田先生の弟子だったので、先生の歌は良く歌ったし指導もして頂きました。
私はキリスト者ではないけれど、何故か教会と縁があって自分でも不思議に思っています。
by 和声 (2007-05-09 23:31) 

やぶ

和声さま、コメントありがとうございます。

カラオケボックスを忌避?する今では考えられませんが、むかし合唱をやっていた私にとって、高田三郎といえば「水のいのち」ですね。また「無声慟哭」とか宮沢賢治由来の曲を書いておられたような気がしますし、そのなかには「稲作挿話」そのものもあったような…ちょっと記憶がはっきりしませんが。ついでにいえば高田三郎というお名前そのものが、「風の又三郎」の主人公と同じだったのではないでしょうか。

加えて、ご指摘のように「アッシジの聖フランチェスコによる平和の祈り」という曲も書いておられるわけなので、拙文のなかのミッシング・リンクというか隠れた共通項を発見していただいたようで、たいへんありがたく思います(指摘されるまで、気づきませんでした)。

でも、高田三郎氏がこのブログを読まれたら「思いつきでいいかげんなこと書くな!」と怒られそうですが。
by やぶ (2007-05-10 00:02) 

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