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夏合宿3日目 [俳句]

 標高1600メートルのロッジは真夏でも冷房がいらない。9月もなかばになると、朝晩は寒いぐらいだ。

〔朝の句会@9:00〕

(選句用紙から)

 秋水のたはみに空の色映る
 秋の水(おそらくは秋の川)が「たわむ」という着想がいい。「たわむ」は外力によって金属などが変形することを意味するけれど、ここでは例えば、川の流れが大きく屈曲している風景などが想像される。そして、そのたわんだ流れも、激流ではなく秋の静かな水なので、そこに空の色が映っているというていねいな描写。

 山荘の朝始まらず秋の雨
 雨がしょぼしょぼと降り続け、朝になっても暗いので、山荘の朝のもろもろが始まらないような気がする。実際に山荘に泊まってみれば、お客はみな早朝に出発してしまうので朝が始まらないわけはないが、避暑の宿みたいな場所なら感覚的にも受け入れやすい。自分の持ってきたさわやかな山の朝のイメージとの落差や屈託した気分のあらわれとして面白い句。

(句帳から)
 山荘の饗設(あるじもうけ)の夏炉かな

 朝の句会のあと,笠岳の肩を越えて山田牧場へ。村をあげてスイス風に仕立てようとする涙ぐましい努力で,それなりに小じゃれたつくりのロッジや食堂(食堂とはいわず「キッチン」)が並んでいるのだが,よく見るとチロル風だったりアメリカ中西部風だったり。じゃあこんな場合,純日本風につくるならどんな建物になるのかと訊かれると答えに窮するが。

 さらに谷をくだり、山田温泉で休養。バスの終点のまん前に共同浴場がある。洗い場の水流を木の弁で調整するようになっているのが面白い。本来の湯船とは別に「ぬる湯」という代物があるのだが,それでも40度ある。おいらにはこれで十分。この「ぬる湯」のおかげで一行中最後まで湯船につかっていた。

〔午後の句会@16:30〕
(選句用紙から)

 金風や折り目の頁(ページ)から開く
 季題は「金風」つまり秋風。秋風が吹くなかで本を読もうと、折り目をつけてあったページから開いた、ということだが、「折り目の」以下は直接秋風と結びついていない。こういう句の場合、それが本来の季節感と結びついているのか、それとも単なる順列組合せ的二物衝撃なのかが(私には)重要なポイントだけれど、ここでは「秋思」という秋のテーマとうまくむすびついているのでOK。しおりではなく折り目というのも、若い人が無造作に折り目をつくって読み進んでいく感じが表現できていてよい。

 天高し牛起き上がりまた座り
 「天高し」で切って突き放しておいて、「牛起きあがり」ですわ何事か、と期待させ、「また座り」で結局何も起こらないという、ちょっと諧謔味のある面白い句。谷岡ヤスジの一場面のよう。「全国的に、ヒルーッ!」と叫ばせてみたい。

 熊鈴の持ち主現れて登山道
 季題は「登山」で夏。数年前はこうした句は全部「カウベルの」だったが、あちこちで登山者が熊と鉢合わせをするようになって急速に「熊鈴」に替わりはじめた。山道では最初にカウベルや熊鈴の音が聞こえ、やがて人の声(パーティーなら)が聞こえ、最後に現物が現れるのが普通。さて現れた持ち主は、期待どおりだったかそうでなかったか。

 秋高し牛の倦みつつ憩いつつ
 牛に口がきけたら、おまえのその億劫そうな動きは何なのかと尋ねたい人も多かろう。でもこれは、口のきける人間にだってあてはまるような気がする。

(句帳から)
 薪積んで山荘らしく冬支度
 滝水の落ちれば風の生まれけり
 放牧の斜面の上の鰯雲

 夕食に「カトリーヌ」というお菓子がついてくる。どのようなお菓子がカトリーヌなんだ?
 ことしの幹事さんはたいへん熱心で、夕食のあとの句会(その日3回目の句会)を絶対に免除してくれないので、こちらもそれなりにやる気になる。現役にとっては句会の回数が少ない方が楽だろうに、あえて回数を多く、句数を多くするところに「せっかく来たからには」という意気込みが感じられてよい。合宿の幹事のなかには何年かに一度、後世「あのときの幹事は鬼幹事で、バスを降りるときに句を出さないと通してくれなかった」みたいな伝説が流布される幹事がいるものだが、そのような路線を突き進みつつあるようでけっこうけっこう。配役だから。

〔夜の句会@20:30〕
(選句用紙から)

 蛍見つめる三人の静寂(しじま)かな
 二人だったらどうしようもない句。三人となると、それは親子なのか友人なのか、それとも…?そして交わされていない会話のかわりにあるものは…?という読み手の楽しさがある。

 水澄むや卵を産みにくる数多(あまた)
 それが何であるかは言わないし、言う必要もない。眼目は「数多」であり、なんだか判らないがとにかくたくさんいる、ということに思いがあるわけだから。

 コスモスの登山口まで咲き続き
 林道なのか高原の周遊道路なのか、それが登山口までずっとコスモスの中だった。何も書いてはいないが山の姿も青く浮かんでくる。平明な佳句。議論があるとすれば「咲き続き」と連用形で終わっていること。この連用形は、何も効果をあげていない。次の句と対比して考えると、そのことがよくわかる。

 天高し丘でむくりと牛が起き
 むくりと牛が起きる、その丘の上には青い空が高々と広がっている…という静かな風景だが、ここでは「牛が起き」の連用形がうまく効果をあげている。つまり、「牛が起き、でもそれ以上は何も起こらず、天高し」でもう一度読み手を上五に連れて行くのだ。

(句帳から)

 ななかまど赤の濃淡ありにけり
 雨あがるななかまどの実夕日色
 火いたづら楽しくなりて夏暖炉

 ビールサーバーの残り全部を宿のあるじが安価で譲ってくれる。蟻のごとくサーバーに群がる俳人たち!きょうも酒盛りだ。年かさのOBは体力がないので,日付が変わるころには退散する。 


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山宗

今回の合宿では日に日に現役の俳句において
特に良いと感じられる句が増えた印象でした。
僕もうかうかしてはいられないという思いです。
by 山宗 (2006-09-21 01:29) 

やぶ

何をもとめて俳句をはじめるかは人それぞれだし,何を詩であるかと捉えるのも人それぞれだけど,季節感と切り離して俳句を考えることはできないということさえ了解できれば,吸収力の大きい点で現役にもチャンスがあるんじゃないかな。
でも,俳句は競争ではないので,山宗は山宗のペースでわが道を行けばいいと思いますよ。
by やぶ (2006-09-21 08:46) 

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