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「SONGS」1周年スペシャル~竹内まりや 30th Anniversary ~ [音楽]

おお…こんな夜中にこんな曲を…いいですね。
竹内まりやって、「不思議なピーチパイ」のイメージ(どこからどう見ても、アイドル歌手ですね)が軽すぎて、ずっとそういう先入観にしばられてきたのだけれど、年齢とともに聴きごたえが出てくるような気がする。

それよりびっくりしたのは、「元気を出して」って、つい数年前の歌だと思っていたのだけど、1984(1988)年って…20年以上前の歌だったんだ…時間の感覚がゆがんでいる?(恥)

♪ 人生の扉
♪ 元気を出して
♪ 駅
♪ うれしくてさみしい日

4/5(土)NHK総合 0343-0412
【再放送予定】
4/8(火)NHK総合 1545-1559
4/9(水)BS2 0830-0859

カメラータ・ムジカーレ定期演奏会(11/3) [音楽]

去年に続いて、横浜市開港記念会館。

ことしのテーマは「バロックの協奏曲」で、この半年ぐらいバッハの協奏曲づいている自分としてはぜひとも聞きに行きたいプログラム。特に、アルビノーニやテレマン、チマローザの協奏曲となると、こういうところに聞きに行かないかぎり(自分の)新曲を発掘する機会がない。

バッハの「チェンバロ、オーボエと弦楽合奏のための協奏曲BWV1059(復元版)」の楽曲解説を読んでいて、おやっと思う。これらの曲はバッハが、ケーテンからライプチヒに移ったあとに集中して書かれているのだが、「ライプチヒのコーヒーハウスでのコンサートで自らチェンバロを弾くために、以前に作曲した他の旋律楽器のための協奏曲をチェンバロ用に編曲した」と書いてあるのだ。
そうなのか。
いままで、バッハがライプチヒ時代にたくさんのチェンバロ協奏曲を編曲した理由は、いまだによくわかっていないのだと思っていたが、そういうことだったのか。

演奏中に咳やくしゃみを連発するわけにいかないので風邪薬を飲む→当然、協奏曲を聴きながら夢心地→はっと気付いたときには盛大な拍手で演奏会が終わっているというお粗末。まあ、咳が止まらなくなって冷たい視線を浴びながら退席するよりはましなのだろうが。

これからアマチュア・オーケストラの季節だが、今年は日曜日に学校が入ってしまったので、けっこう苦しいかも。


身体で聴こう音楽会(8/25) [音楽]

1年ぶりに目黒のパイオニア本社へ。このコンサートの趣旨は去年書いたとおりだが、
http://blog.so-net.ne.jp/yabukoji/2006-08-28-1
テーマは毎月違う。きょうはマリンバ・コンサートだというので、妙技を楽しみにでかける。

ホールで行われるコンサートと違って、聴衆に参加してもらうための趣向をスタッフが考えてくださるのだけれど、これはなかなか難しいことだと思う。どこまで乗ってくれるか予測できないし、どのくらいのアトラクションなら好ましいと感じるかは、聴衆一人ずつ違う。また、そういった演出の分だけ演奏時間が減ってしまうという問題も避けられない。なにより、舞台で演奏に全力を傾注するアーティストが、同時に聴衆をうまく誘導しなければならないという難しさがある。そのあたりの苦心は、並大抵ではないだろう。

とはいえ、マリンバ版のバッハ「無伴奏チェロ組曲」には唸らせるものがあった。メヌエットやジーグのリズム感がマリンバによくあっているのは聴く前に期待していたとおりだったが、チェロが歌うプレリュードでも、マリンバがきちんと表情をつけていて、なんともいえずアットホームな、でも甘くはない無伴奏チェロ組曲になっていて、いい感じ。


受験生は五線譜の夢を見るか? [音楽]

家で机に向かうときには、CDをかけっぱなしにしている。

秋から冬にかけては、ブラームスをよく聴いていた。
ヴァイオリン協奏曲、セレナーデ第1番、ピアノ協奏曲第2番。特にピアノ協奏曲は、第3楽章冒頭のチェロのソロにしびれた(←しびれてないで勉強しないと)。

年が明けて、いちばん寒い数週間は、ブロムシュテットが振るベートーヴェンの交響曲第1番と第3番(同じCDなので)を続けて聞く日が多くなった。この時期は、毎日出勤するときも耳当て代わりにiPodを持ち出して、同じ曲を聴いていた。玄関を出るときに第1番を聴き始めると、第3番の第1楽章が終わるころ会社に着く。冬の青空を仰ぎながら聴く「英雄」冒頭の和音は、ドレスデンのルカ教会で録音されているだけあって残響がすばらしい。

同じiPodで土曜日の朝、地下鉄の駅から学校まで歩きつつ眠気覚ましに聴いていたのは、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。エニシダの黄色い花が途中に咲いていたのを覚えている。第1楽章の終わるころ学校に着き、テキストを読み返しながら第3楽章まで聴き終わると、お昼まで2時間の演習が待っている。メニューインの音色もいいけど、木管がうたう第1楽章の第1主題は、受験生のすさんだ気分を癒してくれる。

残り3ヶ月を切ってからは、ボックスで買ったモーツァルトのピアノ協奏曲集、特に23番を何度も聴いた。80歳をすぎたゼルキンがていねいに弾く真摯な音の粒からは、一切の芝居っ気や甘さが排除されていて、しかしとがったところはなく、聞き手の心にじかに音符を届けてもらうような温かさにあふれている。第1楽章、2分以上続く序奏のあとで明らかにゆっくりとしたテンポでかみしめるように出てくる、その録音を聴いていても「この人は篤実な人なんだろうな~」という感じがひしひしと伝わってくるのだ。

最後の数週間、追い込み(泥縄ともいう)のあいだリピートでかけ続け、当日もiPodで試験会場に持ち込んで聴いていたのは、バッハだった。
 フランス組曲第5番 BWV816
 イタリア協奏曲 BWV971
 3台のチェンバロと弦楽のための協奏曲 BWV1064
 オーボエ・ダモーレのための協奏曲 BWV1055
 ヴァイオリンのための協奏曲 BWV1042
ピアノはグールド、協奏曲はピノック+イングリッシュ・コンサート(しかわが家にはないので)。

この推移には、なにか意味があるのだろうか?
年代が次第に遡って(作曲順と逆になって)いるが、それが偶然なのか理由があるのか、理由があるとすれば何なのか、自分ではよくわからない。


追悼 ロストロポーヴィチ [音楽]

1927年バクー生まれだというから、ことし80歳。

生のロストロポーヴィチを聴いたのは一度だけ、1990年4月の来日だった。そのころすでに、活動の中心は指揮だったように記憶するが、名古屋でのプログラムはもちろんチェリストとしてのもので、ブラームスのチェロソナタ2番とバッハの無伴奏チェロ組曲3番、ショスタコーヴィチのチェロソナタとラフマニノフのヴォカリーズ。アンコールがあったかもしれないが覚えていない。ホールの4階席から豆粒のように見えるだけなのに、音はすぐ近くで聞こえるのが不思議。

終演後に楽屋口でサインをねだるなどということをしたのも、後にも先にもそのときだけ。それも、オートグラフ(サイン)をロシア語で何というのかわからなかったので、とっさに「オートグラフ・パジャルスタ」(パジャルスタはロシア語で「プリーズ」に相当)(←無茶)と口走ったら、巨匠のほうが苦笑いしていた。赤面。

巨匠追悼の一枚に何を聴こうか迷ったが、ブラームスの「二重協奏曲」にする。ヴァイオリンはオイストラフ、指揮はセルで、緊張感あふれるストイックな演奏。1969年の録音だが、古さを感じさせない。


バケツの水をどばああっと [音楽]

茂木大輔氏の「オーケストラは素敵だ」(中公文庫)を読んでいると,氏がミュンヘンに留学中,バイエルン放送交響楽団のオーディション(入団試験)を受験する場面が出てくる。

受験資格が確定してからオーディション当日まで,茂木氏は地下室にこもって連日10時間以上も練習をした上で本番に臨む。
その上で、自分の番がまわってきたときの気分を,氏は以下のように説明している。少し長いが、引用してみる。

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やがて、おれの番がきた。
「Nummer Sieben, bitte !」という呼び声におれは「Ja !」と答えて立ち上がり、その人についてホールに向かいながら、全く緊張していなかった。非常に、うれしかった。一ヶ月の間忍耐に忍耐を重ねて、一滴一滴溜め込んできた大事な水を、ここでいっぺんに「どばああああっ!」と、こぼしてもよいのだ、という気持ちがしていた。(p.62)
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すごい…
これ以上できないぐらい準備していると、本番ではこういう気分になるのか。しかも、毎年受験できるどこかの本試験と違い、オケの入団試験はふつう各オケにつき一生に一度だろうから、その緊張感はものすごいはずで、そう考えればますますすごいことなのだ。

やっぱり、こうでなくっちゃ。ここまでは無理でも、せめて、ホールに出る前に転んでこぼしたりしない程度にはいきたいものだ。

※季節にあわせて、ブログのデザインを変えてみました。


千代田区オーケストラフェスティバル(カザルスホール) [音楽]

アマチュアオーケストラの演奏を聴くには、全体の音のひびきは多少犠牲にしても、2階席とかバルコニーとか、一人一人が上からよく見えるところに陣取るのが一番。パートからパートへどんなふうに旋律を受け渡していくのかとか、フルートの3番奏者がどこでピッコロに持ち替えているのかとか、CDではわからない曲の勉強にもなる。

〔化学オーケストラ:ベートーヴェン/交響曲第7番〕
・ことし初お目見えのオケ。平均年齢高く、男性比率高い。「日本化学会の会員の中の音楽好きが中心になって2002年に結成されたオーケストラ」なのだそうだ。「毎日の生活で化学のお世話にならぬ日はないといってよいことに気づいていただければ幸いです」とパンフレットに大まじめに書いてある。
・冒頭の「ジャン!」に続いてちゃ~ら~ら~と出てくるオーボエが不安定で、聞き手に前途不安を感じさせたが、技量はともかく、一生懸命に演奏している気分が伝わってくるオーケストラで、聴衆とともに最後まで頑張った!という拍手を浴びる。

〔ベートーヴェンティアーデ室内管弦楽団:プロコフィエフ/交響曲第1番(古典交響曲)〕
・去年先頭で登場し、ベートーヴェンの「コリオラン」序曲と交響曲第1番を演奏してくれたオケ。小編成で第1,第2ヴァイオリンが各6人、低弦は各3人しかいないのだが、みなよく音を出していて、アンサンブルのそろい方もすばらしい。小型で高性能のスポーツカーのような演奏。よく鍛えられた野球チームのようでもある。視覚的には、ソプラノ歌手を思わせる押し出しのよいコンミス(持ち回りだそうだが)が印象的。
モーツァルト:交響曲第40番
・この曲にティンパニがないことを初めて知る。こういうことは漫然とCD聞いていてもわからない。第4楽章をかなり早いペースで飛ばし、ちょっと不安になるが、最後までアンサンブルは乱れない。見事。このオーケストラの定期演奏会に行ってみたい。

〔千代田フィルハーモニー管弦楽団:ベートーヴェン/交響曲第6番〕
・出てくる順番で損をした。前のオケとどうしても比べてしまう。大編成になった分だけ合わせづらい様子がありあり。このあと18日に、天下の日比谷公会堂で定期演奏会をやる(しかももう1曲は「展覧会の絵」←エキストラ満載?)そうだが、大丈夫だろうか。去年このオケはメンデルスゾーンの第5番を弾いてくれて、すばらしい演奏だったのだが…そのときにフルートのソロをとった年配の女性奏者と、きょうは同じ人のようにも別人のようにも見える(記憶がはっきりしない)。きょうは、女性のティンパニ奏者が、細い身体でしっかり几帳面な音を出していた。2種類のマレットを使い分けていて、その工夫が効果をあげていたことも印象に残る。

〔尾原勝吉記念オーケストラ:チャイコフスキー/交響曲第5番〕
・去年もトリで、シベリウスの5番(だったか)を派手に演奏しきったオケ。ことしも楽しませてくれた。カザルスホールのステージは狭いので(室内楽用だから当たり前だが)、第1バイオリンの最後のプルトは背もたれが壁にぴったり着くぐらいの位置なのだが、第1・第2合わせて23人いる。それが、並び方を見ているとどうも第1が13人・第2が10人のように見えるのだが…しかも、椅子と譜面台が1つ足りず、ステージマネージャーがあわてて運び込むというハプニング付き。入場して自分の席がないのに気づいた楽員は、さぞびっくりしたことだろう。
・大学オケのOBがやっているオケなので、音のまとまりというか、先輩から後輩に伝えられてきたある種の指向性というのか規範のようなものがあって、それが音に筋を通しているように聞こえる。
・冒頭から最後までクラリネットが大活躍する曲。2人の男性奏者が無難に吹ききる。
・第2楽章のあたま30秒ぐらいのところから、長い長いホルンのソロ。途中クラリネットやオーボエもからみながら、およそ2分ほども続く。日本人好みの抒情的なメロディーを吹いてくれるのは女性奏者。これが、奏者の緊張がびりびり伝わるような、ちょっと音が震え気味のソロで、聞いているほうも全身に力が入ってしまう。音程の不安定な楽器だけに若干のほころびはあったが、なんとか無事に吹ききって、聴衆もほっとするやらうれしいやら。ジャズならここで嵐のような拍手がわき起こるところ。さすがに、あとで指揮者から指されて拍手を浴びていた。

4時間あまり演奏を楽しんで、入場料無料!千代田区の太っ腹ぶりには感謝する。完成度ではベートーヴェンティアーデ室内管弦楽団に1票、聞き所を多く提供してくれた点では尾原勝吉記念オーケストラに1票、演奏することの素朴な楽しさと敢闘精神を見せてくれた点では化学オーケストラに1票。


“わが祖国”全曲(新宿フィルハーモニー管弦楽団) [音楽]

かなり長い曲なので、アマチュアのオーケストラでは一部だけが演奏されることの多い“わが祖国”だが、休憩をはさんで3曲ずつ、全6曲を演奏。

アマチュアのオーケストラではどんなことも起こりうるし、まだ目撃したことはないが演奏が止まるような事故だってあるわけだが、きょうの指揮者はかなり高齢のお医者さんで、団員にも高齢の男性が多い。その合間に若い女性がちらほら混じっているという構成(女性がエキストラなのか?)。何かおこるんじゃないかなぁ…と少し意地悪な気分もまじえて見ていたが、大した事故は起こらなかった。

1曲目「ヴィシェフラド」の冒頭、ハープ(本来2台のはずが、予算の都合か1台に…)が思いのほか強くはりのある音で
    シ♭ ― ミ♭
 (この動機は、2曲目の「モルダウ」はじめ全編で繰り返しさまざまな楽器で奏でられる)
という動機を奏でると、吟遊詩人の竪琴のように聴衆の心はわしづかみで、物語のはじまりはじまり…といった風情。オーケストラにおけるハープの威力を見せつけられる。
弦のトップのお爺さんがどれだけすべろうと気にならない…いゃ、実際にはかなり冷や汗かいたり目をつぶりながら聞く羽目になったが、そうした欠点(早い話、年の順じゃなく実力順に並べよコラ!)を帳消しにするぐらい楽しめた。6曲目「ブラニーク」の最後にもう一度冒頭の動機が出てきて締めくくると、会場(5分程度の入り…)はやんやの大喝采。まあ身内だからでもあるけど、前のほうでずっと落ち着かなかったこどもが、最後の30秒ぐらい食い入るように舞台に集中していたのが不思議。

秋はアマチュア・オーケストラの季節。これから休日ごとにいろいろな公演があるのが楽しみだが、どこまで聞きに行く時間をつくれるのか、いささか心許ない。

(2006.10.29 新宿文化センター)


デューク・エリントン・オーケストラ+フリーダ・ペイン(Vo) [音楽]

白地にデューク・エリントン御大のサインをあしらったとおぼしき立派な譜面台が舞台に林立し、ホールに入った瞬間からビッグバンドの楽しさを感じさせる。

やがてあらわれたオーケストラ、ピアノが日本人、4人いるトランペットの1人も日本人だ。これはいったいどうしたことかと思っていたら、どちらも急病でピンチヒッターが立ったという。NYの「バードランド」で留守番公演をしている2軍(1軍?)から補充すればいいのに。

演奏がはじまると、古き良きアメリカというべきか、1920年代のかおりが濃厚にただよう金管の至芸のかずかず。朝顔の前にあてて音を調節する蓋のような道具をなんと呼ぶのか知らないが、表情のつけかたが映画音楽のよう…というか、アル・カポネとか禁酒法とかの時代に引きずり込まれるような、艶のある音。楽員はそんなに高齢ではないから、同時代で経験している者はいないはずだが、そこは楽団の伝統というものなのだろうか。代打で入った日本人のピアニストがいちばん遠慮がちに淡々と弾いていたのもなんだか気の毒なくらい。

サックスの右から2人目の黒人、針金のようにやせ細っている(おいらより細い!)のだが、立ち上がるとものすごくよく通る音を出す。どこからあんなに吹き込めるのだろう。

ボーカルのフリーダ・ペインは自らのヒット曲でもある「ソフィスティケイテッド・レディース」をはじめ衰えのない声量を披露。1942年生まれってどこがですか…1962年生まれといっても通じるぐらい。

スウィングしなくてどうする!というノリのよい曲ばかりだったのに、聴衆の多くはなぜかお地蔵さんのように固まっていて、あまり反応しない。発売日と同時にどんなチケットでも買ってしまうお年寄りが多いのか…時間がありあまっていてうらやましい。新しいものに目を開いてもらうのはいいことだけど、これでは楽団がちょっとかわいそう。たまに拍子をとると、表(1拍目)でたたいてしまったりとか。
 でも、左斜め前に座っていた70過ぎとおぼしき白髪のお爺さんは、最初からずっと身じろぎもしなかったのに、アンコールの2曲目に「A列車で行こう」が演奏されたとたん、身を乗り出して手をたたいていた(ちょっとびっくりした)。もしかして、戦後まもなく進駐軍のバンドが何かで聞いた青春の一曲だったりするのかもしれない(そういう連想ができるぐらい、歴史のあるバンドと曲でもあるのだ)。ビッグバンドの歴史と日本人との接点を数え上げてみるのも面白いだろう。
ついでに、年末に来日するカウント・ベイシー・オーケストラも聞きに行きたいなあ…

終了後、ロビーのCD売り場でポール・マーサー・エリントン(デューク・エリントンの孫だそうだ。指揮者。)にサインをもらう。CDをよく見ると"PME Music"と書いてあって、なんだか自主制作っぽいところが面白い。

これだけ楽しんで3150円+CD2500円。すばらしくお買い得な1日。

(2006.10.28 武蔵野市民文化会館)


ラヴェル/ダフニスとクロエ組曲(N響定期演奏会) [音楽]

このバレエ音楽(きょう演奏されたのは管弦楽版だが)をラヴェルに委嘱したディアギレフのロシア・バレエ団は,20世紀初頭の十数年間に,ラヴェル,ドビュッシー,ストラヴィンスキー,サティ,ファリャ,ピカソ(美術担当!),マリー・ローランサン(衣装担当!)といった才能をつぎつぎに起用し,世紀を代表する名曲を初演してきた。もしこのバレエ団の定期会員だったら,わずか10年ほどの間に「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」「ダフニスとクロエ」「三角帽子」などの世界初演を目撃することができたわけで,特定の場所や時間に歴史上の重要事件が集中するという現象の見本。

20世紀のオーケストラ曲らしく,チェレスタ,木琴,グロッケンシュピーゲルなどの打楽器が舞台に満載されているほか,今となってはなんとも古風な風音機(これにエオリフォンという名前をつけてしまうところは、さすがにフランス人)もはじめて見ることができた。そして背後には屏風のように栗友会合唱団がならんでいる。

第1番「戦いの踊り」で使われるバンダ(舞台以外で演奏される楽器)は、ホルン奏者とトランペット奏者が楽器を持って立ち去り、舞台裏でひとしきり吹き鳴らしてからまた戻ってくる趣向になっていて面白い。たしかに遠くで鳴っているように聞こえるし、こういう視覚的効果はCDではなかなかわからない。

また,長いアカペラのあいだにどうして音程が下がっていかないのか不思議でならない。楽器が入ってくるところでうまくつじつまを合わせているのだろうか。

第2番「全員の踊り」のリズムは,一度聞いたら忘れることのできない特異なものだが,これは何拍子になるのか…5拍子のようだが、アシュケナージはこのリズムをどう振るのだろうかと思っていたら、最初の3拍を三角に、あとの2拍を上下にタクトを動かしていた。3拍子+2拍子ということか(あとでタワーレコードに寄ってスコアを見たら、たしかに3/4拍子と2/4拍子が1小節おきに並んでいるのだ!)。それにしてもこのリズムは、どこかの國や地域に由来するものなのだろうか(ボレロがバスク地方の踊りであるように)まさか,ギリシャの音楽?。

しかし、きょう一番印象に残ったのは、そうしたオーケストレーションの精髄よりも、第2番「無言劇」の、フルート(ピッコロ?)の長い長いソロだった。節回しがどこか邦楽のようで、横笛を聴いているような錯覚を覚えるぐらい鋭い刃物のような音の出しかた(その部分はフルート特有のやわらかく震えるような音色でなく、キンキンしたきつい感じに聞こえた)。終演後に指揮者ではなくフルート奏者に舞台下手から花束がリレーされ、嵐のような拍手を受けていた。

(10.15追記)本屋へ行って岩波文庫の「ダフニスとクロエー」を探したが、いくら探してもない。分厚い総索引を引いてみたら、フランス文学ではなく、ギリシャ文学の番号をふられているのだった。…というか、実際にギリシャの人が書いた作品であるようだ。でも内容的には、けっこうリアルな話で、これを基準に考えると、ラヴェルのバレエはずいぶんきれいにまとめられているような気がする。


バルトーク/ピアノ協奏曲第3番(N響定期演奏会) [音楽]

 ピアノ独奏の「ルーマニア民俗舞曲」しか知らなかった中学生の私にとって、この曲は初めて聴く「バルトークのオーケストラ曲」で、FM放送を録音したカセットテープを何度も聴き返した。同時に、東ヨーロッパに関心をもつきっかけになった曲でもある。トーマスクックのコンチネンタルタイムテーブル(当時)の終わり近くに、わずかに東ヨーロッパのページがあって、索引地図は全体で1枚、極端に本数の少ない列車を見て、ワルシャワやクラクフ、ピルゼンやブラチスラバといった町へ行くことを夢想していたのはもう20年以上も前のことになる。いまでも頭のなかでは、当時の手書きのような索引地図の視覚と、第3楽章のリズム(1拍目が強い、ハンガリー風のリズム)の聴覚が結びついている。

 この曲が完成する前にバルトークは亡くなってしまったので、最後の17小節のオーケストレーションは弟子が行ったそうだけれども、白血病で死を目前にした彼がこの曲を作曲しようとしたのは、ピアニストである妻の演奏活動のため,つまり自分の死後妻が生計をたてていくためと言われている。確かにこの曲は平明でわかりやすく、親しみのある旋律満載だが、それがなぜ特異かといえば、第1番と第2番のピアノ協奏曲には、ほとんど旋律らしきものがないのに、この第3番だけがロマン派に先祖返りしたような親しみやすさをもっているからだ。バルトークという人は途方もなくわがままで、周囲の人々の好意に罵声で応えるようなところがあったらしい(ファセット「バルトーク晩年の悲劇」野水瑞穂訳 みすず書房)が、それほど狷介な彼が、死の床でそういう意図からピアノ協奏曲を書いたという事実が泣かせる。


身体で聴こう音楽会 [音楽]

  少し変わったタイトルをもつこのコンサートは、音響機器メーカーの「パイオニア」が主催していて、聴覚に支障のあるリスナーに音楽の楽しさを伝えたいという趣旨から、さまざまな体感音響システムを実地に使ってもらうことを兼ねて行われているようで、もちろん製品の改良というようなメリットもあるのだろうが、全体としてはスタッフが手弁当でつくりあげている様子が伺える。たとえば、ステージ上でマイクを使って説明することばが全部、事前に字幕として準備されてスクリーンに表示されているなど。

   http://www.pioneer.co.jp/citizen/karadadekikou/

 コンサートの趣旨から考えて、打楽器が登場する機会はこれまでにも多かったのだろうが、今回はじめて、マリンバ奏者のHさんから教えられて参加してみて、その至芸のほんの一端にふれることができた。具体的には、プロの持っているリズム感というのは、素人の延長線上にある代物ではないのだということ。また、硬いマレットとやわらかいマレットの音の違いなども実演してくれて、今後打楽器のコンサートを聴くときの楽しみがまた増えた。

 また,テレビでしか見たことのなかったシンスタインの「ロック・トラップ」を,はじめて目の前で見ることができた(プログラムには曲目が書かれていなかったが,たぶんそうだと思う)。この曲はCDで聴いてもさっぱりわからないので,「ライブで目の当たりにする」ことのメリットがとても大きい。打楽器の世界では有名な曲なのだと思うが,リズムの本質を追求していくようで面白い。音楽というより舞踊の世界に近いのかもしれない。