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シャイニング丸の内氏はなぜ誤ったか [雑感]

(いきなり引用)
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(引用終わり)

いささか旧聞に属する論争のきっかけは、このツィートだった。
ギャグでも炎上芸でもなく、大まじめと受け取れる投稿ぶりだったので、多くの反響があった。
反響の一例として、以下のものを引用して紹介する。

〔勉強したい人が選択すればいいんじゃないの、という賛同(高橋雄一郎氏)〕
(以下引用)
高橋雄一郎 @kamatatylaw 話題の古文漢文不要論だけど、講義時間や必修選択の別といった中高カリキュラム編成の問題に過ぎないのに、学問価値優劣論や文系理系相互の蔑視感情やコンプレックスが交錯して冷静な議論から逸脱する傾向があるよね。 7:18 - 2018年2月22日 教養にも若いうちに強制的に教えこまなければならない教養(甲)と、学びたい人が必要性に応じて学べれば足りる教養(乙)があって、古文漢文はどちらかという問題ではないか? 15:29 - 2018年2月21日 若いうちに強制的に教えこまなければならない教養(甲)はパターナリズムを根拠とする。善悪の別や行動原理、忍耐力、キレない心と折れない心、健康管理、性教育、読み書き計算、柔道の受け身、自転車の運転、水泳、逆上がりぐらいではないか。 15:24 - 2018年2月21日 (以上引用終わり)

〔漠然とした教養としてではなく、漢文も日本語の基礎だからビジネスシーンで実利的に役に立つのだ、という反論(安田峰俊氏)〕
(以下引用)
本記事ではあえて、「現代日本の日常生活およびビジネスシーンで有用」「効率性の向上やカネ稼ぎにつながる」という実利的視点のみから、漢文や中国古典の基礎的な知識を持つことのメリットを論じてみることにしたい。 (1) SNSの投稿やショートメッセージがスマートになる (2)情報伝達コストを下げられる (3)法的リスクへの対応力を強化できる (4)海外の偉い人に接する際の売り込みツールとして威力を発揮する的リスクへの対応力を強化できる 日本語の基礎には漢文と漢文法が深く食い込んでおり、一般的な日本人の教養のベースの一部には中国古典が存在する。その先に広がる「応用」の知識を取りこぼしなく身につける地ならしとして、基礎として学んだほうがいいものなのだ。
(以上引用終わり)

この議論の難しいところは、ここでいう「教養」とは何か、またそれが、「仕事で役に立つ」とはどういう意味なのかがきちんと定義されていないので、主張と主張がきちんと噛み合わないことにある。
そうではあるが、もともとのtweetは、「高等学校の他の科目と比べて古文漢文の重要性が低い」という趣旨と思われるので、これに反論するにあたっては、仮にこのtweetが根拠薄弱な感想のようなものであったとしても、一応根拠を示して反論することが望ましいわけで、シャイニング氏に馬鹿というレッテルを貼って終わりにするのは、あまり感心しない。

そこで、あえて正面切って「漢文や古文も他の科目と同様に重要なもので、仕事にも大いに役に立つのだ。」という説明をしてみたい。つまり、上記安田氏と結論においては同じになるわけだが、理由を別の角度から提起してみる。

古文漢文は仕事の役に立つか。役に立つ。理由は以下のとおり。

仕事にはいろいろな分類があるけれど、職種とか業種とかの分類でなく、どんな職種や業種でも、「前例のない問題に対処しなければならない」という仕事があるはずだ。

仕事の困難度って簡単には測定できないし、ノルマがきついとか納期が短いとか、そういう困難もいろいろあるのだけれど、やはり「先例がない、かつて経験したことのない問いに、答えを出さなければならない」というような仕事は、まず難しいものといって差し支えないだろう。
例えば、
 ・貨幣の時間的価値はマイナスになりうるか
 ・これまでになかった取引形態(例えばストックオプションとか)の仕訳をどう切るのか
 ・自動運転の車が起こした事故の責任はどこにあるのか
 ・尊属殺重罰規定は法の下の平等に反するか
などなど。

そのような問いには、あらかじめ決まった答えがなく、先例もなく、個別の知識が単品では役に立たない。
そんなとき、どうやって答えを導いていくかというと、もっと漠然とした、さまざまなジャンルのことがらの中から、過去の人々が、どんな状況でどんなことを考えていたのかを通じて、「真善美」のような漠然とした尺度を抽出し、それを参考に―その尺度もまた絶対ではないので、あくまで参考に―して、答えを導いていくしかないと思われる。

で、古典文学というのは、数百年とか数千年にわたって、人々から一定の支持を得てきた思想や感情の表現であるわけだから、真善美のような尺度を各自が心のなかで作り上げていく上で、控えめに言っても有用な、もっといえば不可欠なものではないだろうか。

そうすると、古典文学を学ぶことは、結局のところ、どこかで上記のような難しい問いに直面したときに、答えを導く助け(のベース)として、一定程度有用といえるのではないか(古典文学だけが有用だと言っているのではないので念のため)。
古典文学と似たような例として、オーウェルの「1984年」とか、事件でいえば南海泡沫事件やチューリップ球根事件なんかも、尺度を作り上げていく上で有用だけれど、こちらはもっと直接的に「会計監査の意義」とか「公文書改ざん」についての考え方を提供してくれる。

いずれにせよ、これらは、知っているといないでは対応に大きな違いが出てくるだろう。以上のことから、古文や漢文など「古典」と呼ばれるものは、試験に出る出ないにかかわらず、困難度の高い問いに対処するために必要なものだと結論づけることが可能だ。


傍証として、ちょっと違う角度から、「前例のない状態に置かれた人間が、古典文学やこれに類似したものを学ぼうとした」実例を挙げてみたい。

一つは、ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、エディトリアル・リパブリカ、2018)に描かれた、旧ソ連にあったポーランド兵収容所で行われた講義の模様である。
収容されていたポーランド軍将校は、それぞれに「書物の歴史」「イギリスの歴史」「建築の歴史」「南米について」「プルーストについて」といったテーマを持ち寄って、講義を行ったという。
(以下引用)
「いまでも思い出すのは、マルクス、エンゲルス、レーニンの肖像画の下につめかけた仲間たちが、零下四十五度にまで達する寒さの中での労働のあと、疲れきった顔をしながらも、そのときわたしたちが生きていた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて、耳を傾けている姿である。」(pp.16-7) 「わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる、と証明してくれるような知的努力に従事するのは、ひとつの喜びであり、それは元修道院の食堂で過ごした奇妙な野外授業のあいだ、わたしたちには永遠に失われてしまったと思われた世界を生き直したあの時間を、薔薇色に染めてくれた。  シベリアと北極圏の境界線の辺りに跡形もなく消え失せた一万五千人の仲間のうち、なぜわたしたち四百人の将校と兵士だけが救われたのかは、まったく理解できない。この悲しい背景の上に置くと、プルーストやドラクロワの記憶とともに過ごした時間は、このうえなく幸福な時間に見えてくる。」(pp.17-8)
(以上引用終わり)

もう一つは、山崎正和『文明の構図』(文藝春秋、1997)に描かれた、「敗戦後の旧満州の中学校の暗い仮設教室」で行われていた授業の様子である(原典を入手できず、鷲田清一「京都の平熱」(講談社学術文庫、2013)からの孫引きとなることを許されたい)。
(以下引用)
外は零下二十度という風土のなか、倉庫を改造した校舎は窓ガラスもなく、不ぞろいの机と椅子しかない。(…)引き揚げが進み、生徒数も日に日に減るなかで、教員免許ももたない技術者や、ときには大学教授が、毎日、マルティン・ルターの伝記を語り聞かせたり、中国語の詩(漢文ではない)を教えたり、小学唱歌しか知らない少年たちに古びた蓄音機でラヴェルの「水の戯れ」やドヴォルザークの「新世界」のレコードを聴かせた。そこには、「ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分ひとりの権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった。」(p.157) (以上引用終わり)

ここで「中国語の詩」についてわざわざ「漢文ではない」と補足されているのは、戦前の学校教育との違いを強調する趣旨なのか判然としないが、ともかくこれらの実例は、前例がなく明日死ぬかもしれないという状況で、そのような極限状況を受け止める(受容するにせよ、反発するにせよ)ときに必要なものは、むしろ古文や漢文のような学問であることを示しているのではないか。

以上のようなことから、古文漢文は他の教科と並んで、遅くとも高校までに学んでおくべき価値のひとつ(高橋雄一郎氏の分類に従えば「教養(甲)」)であると考えるものである。

最後に冒頭の問いに戻って、シャイニング丸の内氏がなぜ誤ったか(つまり、なぜ、高等学校で古文や漢文を学習する必要がないと感じてしまったか)といえば、それは、氏がこれまで、残念ながらその程度の仕事、つまり一つの問いに対して一つの答えを用意すればいい程度の仕事しかしてこなかったから、ではないだろうか。


(7.11追記)
藪柑子の通っていた高校には当時、1年間かけて「徒然草」を1段ずつ順番に読んでいく授業(必修だったか選択だったかは覚えていない)があって、3年間のなかでも指折り数えられるぐらい印象に残る授業だった。当時副読本に使っていた安良岡幸作「徒然草全注釈」上・下(角川書店、1967)は、就職して実家から出るときに荷物に入れ、その後何度も何度も引越しをした末に、今も本棚にささっている。
何が言いたいかというと、少なくとも自分が職業人として生きていく上で背骨となるぐらいの影響を、たった一つの作品からだけでも受けたということであり、かつ、それは高校の授業できちんと読み込むことではじめてそうなったのだということだ。シャイニング丸の内氏にそうした古典との出会いがなかったとすれば、上記のような「現在従事している仕事の内容や程度」もさることながら、その感受性や理解力(少なくとも、高校時代の感受性や理解力)についても疑問が浮かぶところであるが、それはこの稿の本題ではないので省略する。


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