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アリス・フェルネ『本を読むひと』(デュランテクスト冽子訳、新潮社、2016) [本と雑誌]

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こういう本を書くのはとても難しく、一歩間違えれば上から目線で「フランス万歳、フランス語万歳」的な啓蒙本になってしまいそうだけど、そこがそうならないのがこの本の奥深いところ。

思うに、この本の読みどころは三つある。

一つには、「どちらの側も、均一平板ではない」こと。「どちらの側」という対立の図式自体が適切かどうかわからないが、ジプシーも、それ以外の人々も、一人ひとりに考えがあり、決して均一ではないところがストーリーに立体感と納得性を与えている。たとえば野菜畑の所有者であった老教師の考えかた、キャンピングカーを出て定職につくヘレナの考えかたなどなど。

もう一つには、「どちらの側も、ある部分は変わり、ある部分は変わらない」こと。本を読んだり、学校に通ったりすることについては、どちらの側でも、しだいに事態がうつろい、これまでになかったようなことが起こっていく。他方で、ジプシーの生活の根底にあるものや、地域社会の行動原理のようなものは、良くも悪くも変わらない。

三つ目には、死をどのように描くかということ。
本書における死の描かれ方は、ものすごく目新しいものではないが、それが登場人物の物の考え方や行動様式と整合するように描かれているので、その人の人生の終わり方として、それが悲惨なものであっても、そうかもしれないなと思わせるものがある。

ちょうどフランス大統領選挙の時期にこの本を読み、フランスの社会が20年にわたるロングセラーとしてこの本を支持してきた理由を考えると、それは「そういう課題が存在する」ことを社会が認知しているからに他ならず、そしてこのような課題がはらむ緊張関係や拮抗する力―それは復元力につながる―こそが、フランスの力を構成するひとつの要素ではないかと感じられる。