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丸山正樹『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(文春文庫、2016) [本と雑誌]

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「初めての作家」をもう一冊。
何でも置いてあるような超大型店はともかく、理屈からいえばすべての本屋さんはセレクトショップなのだけど、その中でも特に、狭いお店に店主が選り抜いた本を並べているような、セレクトショップ型の本屋さんで求めた一冊だが、読みごたえのある内容。

一応ミステリーの体裁をとっているけれども(実際、ミステリーとしてもよくできた作品だと思うけれども)、ろう者やその家族のおかれた現実を理解するにはよい入門書でもある(「日本手話」と「日本語対応手話」の違いなど、本書で初めて知った事実も多い)。問題の所在が整理でき、それぞれの人々の立ち位置もよくわかるのですね。そして、主人公のような属性をもつ人が、「自分は何者なのか」と自問し、「敵か味方かとかどちら側とか、そもそもそういうことではない」という結論に至る過程もよくわかる。
特に、この主人公(と同じ属性をもつ人)でなければわからないことがら、とりえない行動などが描かれ、それが本書を説得的なものにしている。

そのため読後感は、根本的な問題が解決していない点では重く、しかし登場人物のそれぞれが階段を一段のぼって次のフェイズに進んだ点では日差しが差し込んでいるような明るさを備えており、作品全体の厚みともいえる余韻を醸し出している。


第105回深夜句会(2/23) [俳句]

(選句用紙から)

月朧マクドナルドのMが見え

季題「朧(月)」で春。ここでマクドナルドのMとは、都心のビルの中でなく、郊外のロードサイドなんかにある店舗で、車から見えるようにポールの上に掲げられているのではないかと。
で、あのMの文字は黄色で描かれているのだけど、その背後にある春の夜空には、やはり朦朧と春の月がかかっている。

電子レンジのともるも春の灯なる

電子レンジが回っているときに中を照らす電球は、むろん一年中同じように動作しているのだけど、いささか頼りないこの電球も、街灯や家のあかりと同様、また春灯であるなぁと感じられた。秋とか冬(寒灯)だと電子レンジの灯りには結びつきにくいので、季題の選択はこれでいいのだと思う。


(句帳から)

逃げ遅れて死ぬる話や山焼く火

柚木麻子『本屋さんのダイアナ』(新潮社、2016) [本と雑誌]

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解説で紹介されていた有名な少女小説との対比を意識して読むのが本筋なのかもしれないが、そういう本歌取り的な楽しみ方に限定しなくても、完全に独立した作品として十分楽しめる(むろん解説にも、そのように書いてあるが)。

ひとつは、この物語を成り立たせている重要なポイントである「見かけ上同じことがらについて、AさんとBさんの受け止め方が正反対」という現象について、読者に違和感なく了解させる筆力が、エンターテインメントとして十分楽しめる点(この点に関して付言すれば、描写がとても映像的で、ストーリーに直接関係ない細部まで描きこまれていて、ちょっとテレビドラマを思わせる)。

もうひとつは、登場人物が年齢ととともにどんな本(実在の本と物語中の架空の本が登場するが、ここでは実在の本)を読んでいるかが示され、それが登場人物を修飾する記号として有効に機能している点。また、この点に関連して、主要な登場人物の全員が、本や図書館、本屋さんを愛している点。

この作家を読むのはこれが初めてなのだけど(書店の店頭で『早稲女、女、男』と迷ってこちらを選んだのだけど)、なかなか面白かったので他の作品を読んでみたい。

夏潮新年会(2/19) [俳句]

ことしの選句用紙は79枚。
全部回すのも大変だけど、しかし今日は、すっと乗れる句が多くて楽しい句会だった。

(選句用紙から)

浅春の水の面のちぢみ皺

季題「春浅し」で早春。海なのか川なのか湖なのか池なのかは詠われていないのだけど、水面のわずかなさざ波について「ちぢみ皺」と叙したところが眼目。この句は違うと思うのだけれど、よく晴れた日に飛行機から瀬戸内海の海面なんかを見ていると、本当にこの感じはよくわかる。じゃあなんで「浅春」なの、という疑問が当然に浮かぶところで、むしろ早春は春一番とか東風が吹きまくったりして、波高しな日も多いと思うのだけど、日によっては、それまでの冬と違った穏やかな日があって、そんな日にはようやく春が来たと思うこともまた事実で、そんな日に詠まれた句なのではないかと。

温む濠船河原町遠からず

これはちょっと事情を知らないと選べないのだけど、『夏潮』誌の役割のひとつが虚子研究であるとすれば、かつて虚子が『ホトトギス』発行所をおいていた(丸ビルに移る前の発行所)は市谷船河原町つまりお濠の北側にあって、この句会場のちょうどトイ面ですね、というのがあって、堀端の風景が昔と変わらないのであれば、虚子もこんな風景の中を行き来していたのだろうか、ということまで思い浮かぶところ。ちなみに市谷船河原町はいまでも住居表示になっていないので、そのままの地名が使われている。

戦没馬慰霊塔みかんを一つ

季題「みかん」で冬。靖国神社にそういう慰霊塔があるのでしょう。中七と下五がわたっているが、それほど妙な感じはしない。みかん「が」一つじゃなくて、みかん「を」一つ、というところに、理不尽な死をとげた馬匹への愛情が感じられて、しかし過度にベタベタしていなくて、よいですね。

(句帳から)

浅き春飛行機雲のとぎれとぎれ
黒髪に茶色の髪に春日さす
濠端のわずかな斜面下萌ゆる
花ミモザから灯台へつづく道
雨樋のあのあたりから囀れる