第104回深夜句会(1/12) [俳句]
初句会。
新しい職場を得て関西へ帰られる俳友の送別句会ともなった。
(選句用紙から)
疾走はみな美しく嫁が君
季題「嫁が君」で新年。家屋のねずみがいなくなったわけではないのだけど、こういう言い換え表現は、失われつつあることばのひとつかもしれない。句評では、「みな」が余計との意見があり、なるほどと感じる。「みな」と一般化する必要はなく、目の前にあるその疾走そのものを「美しきかな」としたほうがいいわけですね。
気味悪きひとりわらひの初笑
季題「初笑」で新年。自の句か他の句か判然としないのだけど―自の句であれば、さらに気味悪さが増幅されるのだけど―、この句の眼目は、多くの俳人が無意識に避けるであろう「気味悪き」という措辞をためらいなく使っているところにある。自分も含めて、「気味悪い」ことを眼前のどんな事実を通じて表現するかに心を砕くわけだけど、いきなり「気味悪き」とくる大胆さ。
恋人がゐても缶コーヒー大事
季題「缶コーヒー」で(無理やり)冬。句評でみんなから「これは無季でしょう!」と言われてしまったが、あえて冬の季題として鑑賞すると、なかなか味わい深い句ではないかと。とても寒い日で、恋人がそばにいるのだけど、買ったばかりの熱い缶コーヒーを両手で―手袋をしているのかもしれない―大事そうにかかえている。
(句帳から)
タラップをつぎつぎ降りる皮衣
新しい職場を得て関西へ帰られる俳友の送別句会ともなった。
(選句用紙から)
疾走はみな美しく嫁が君
季題「嫁が君」で新年。家屋のねずみがいなくなったわけではないのだけど、こういう言い換え表現は、失われつつあることばのひとつかもしれない。句評では、「みな」が余計との意見があり、なるほどと感じる。「みな」と一般化する必要はなく、目の前にあるその疾走そのものを「美しきかな」としたほうがいいわけですね。
気味悪きひとりわらひの初笑
季題「初笑」で新年。自の句か他の句か判然としないのだけど―自の句であれば、さらに気味悪さが増幅されるのだけど―、この句の眼目は、多くの俳人が無意識に避けるであろう「気味悪き」という措辞をためらいなく使っているところにある。自分も含めて、「気味悪い」ことを眼前のどんな事実を通じて表現するかに心を砕くわけだけど、いきなり「気味悪き」とくる大胆さ。
恋人がゐても缶コーヒー大事
季題「缶コーヒー」で(無理やり)冬。句評でみんなから「これは無季でしょう!」と言われてしまったが、あえて冬の季題として鑑賞すると、なかなか味わい深い句ではないかと。とても寒い日で、恋人がそばにいるのだけど、買ったばかりの熱い缶コーヒーを両手で―手袋をしているのかもしれない―大事そうにかかえている。
(句帳から)
タラップをつぎつぎ降りる皮衣
第103回深夜句会(12/15) [俳句]
(選句用紙から)
照るはうへ明るいはうへ浮寝鳥
季題「浮寝鳥」で冬。海や湖沼や川に浮かんで冬を過ごしている水鳥のこと。
その浮寝鳥が、ぷかぷか浮かびながら、少しずつ日がさして明るいほうへ移ろって集まっている。それ以上の説明はないのだけど、水面に明るいところと暗いところがあるということからして、例えば、川の上に高速道路の高架がかかっていて、ある部分だけが明るくなっている風景などが想像される。それでなくても寒い冬の川にたむろしている鳥が、その中の明るい、暖かいところへ少しずつ群れ集まっている様子を考えると、その浮寝鳥の心持なども感じられて、温かな一句。
荷台より新聞卸し息白し
季題「息白し」で冬。夜遅く、新聞販売店の前にトラックが止まると、待ち受けていた店員が次々にトラックの荷台から新聞を販売店に運び込む。夜の道路で作業をするその息が、販売店からの光を受けて白く光っている。冬の夜遅く、商店街の中でそこだけが明るくなっている風景。
ここで「卸し」としたのは、各戸へ配達するバイクや自転車ではなく、販売店へ運んでくるトラックであることを明確にするためと思われるが、バイクなら殊更に「荷台からおろす」とは言わないので、普通に「下ろし」で十分通じるように思う。
(句帳から)
絵に描いたやうなおでん屋路地の奥
照るはうへ明るいはうへ浮寝鳥
季題「浮寝鳥」で冬。海や湖沼や川に浮かんで冬を過ごしている水鳥のこと。
その浮寝鳥が、ぷかぷか浮かびながら、少しずつ日がさして明るいほうへ移ろって集まっている。それ以上の説明はないのだけど、水面に明るいところと暗いところがあるということからして、例えば、川の上に高速道路の高架がかかっていて、ある部分だけが明るくなっている風景などが想像される。それでなくても寒い冬の川にたむろしている鳥が、その中の明るい、暖かいところへ少しずつ群れ集まっている様子を考えると、その浮寝鳥の心持なども感じられて、温かな一句。
荷台より新聞卸し息白し
季題「息白し」で冬。夜遅く、新聞販売店の前にトラックが止まると、待ち受けていた店員が次々にトラックの荷台から新聞を販売店に運び込む。夜の道路で作業をするその息が、販売店からの光を受けて白く光っている。冬の夜遅く、商店街の中でそこだけが明るくなっている風景。
ここで「卸し」としたのは、各戸へ配達するバイクや自転車ではなく、販売店へ運んでくるトラックであることを明確にするためと思われるが、バイクなら殊更に「荷台からおろす」とは言わないので、普通に「下ろし」で十分通じるように思う。
(句帳から)
絵に描いたやうなおでん屋路地の奥
プラジャーク弦楽四重奏団+山碕智子(Va) モーツァルト弦楽五重奏曲全曲演奏会 [音楽]
1日で6曲全部が聴けるならと吉祥寺シアターへ。初めての会場だけど、文字通り劇場なのですね。
学生のころ、ブダペストSQ+トランプラーのLP盤を聴いてから、それが頭の中のモノサシになってきたのだけど、そのモノサシを置き換えるとまではいかなくても、なかなかに歌ごころのある演奏で、前後半5時間の長丁場もまったく苦にならない。「スメタナSQの後継者」という宣伝文句が呼び起こす印象は渋い、枯れた演奏だが、実物はもっとカラフルな演奏。
プロなので当たり前とはいいながら、縦の線がぴしっと揃っている演奏って、それだけですごいなあと思ってしまう。感想にもなっていないが、個人の力量が極限まで高まっていくと、「合わせる」という感覚なしにそれが実現できてしまうのではないかと。
(2016.12.3 吉祥寺シアター)
番町句会(12/9) [俳句]
(清記用紙から)
猫はもの言はぬがよけれ漱石忌
季題「漱石忌」で冬(12月)。「吾輩は猫である」は猫がさまざまな独白をする物語だけど、実際に飼い猫がしゃべることができたなら、うっとうしくてたまらないだろう。この句が多くの票をあつめたのは、この「もの言はぬがよけれ」への共感と思われるところ。
英国とも交へし干戈漱石忌
漱石は英文学者としてロンドンに留学したりもしていて、そこでさまざまなエピソードも生まれてきたのだけれど、時期としては日露戦争の直前にあたる。それから40年もしないうちに、日本はイギリスとも戦火をまじえたのだった。英国と「も」とわざわざ言う必要があるか、考えるところ。「アメリカと戦争をしたのだけれど、漱石が留学していたその英国とも戦ったのだった」という句意になるのだろう。また、「英国と」だと、一句の中心が上五中七に傾いてしまい、漱石忌がどこかへ行ってしまうという配慮かもしれない。
(句帳から)
冬の影曳いて二台のベビーカー
ポプラ一列冬野と冬野隔てたる
一時間半も歩いて狩の宿
猫はもの言はぬがよけれ漱石忌
季題「漱石忌」で冬(12月)。「吾輩は猫である」は猫がさまざまな独白をする物語だけど、実際に飼い猫がしゃべることができたなら、うっとうしくてたまらないだろう。この句が多くの票をあつめたのは、この「もの言はぬがよけれ」への共感と思われるところ。
英国とも交へし干戈漱石忌
漱石は英文学者としてロンドンに留学したりもしていて、そこでさまざまなエピソードも生まれてきたのだけれど、時期としては日露戦争の直前にあたる。それから40年もしないうちに、日本はイギリスとも戦火をまじえたのだった。英国と「も」とわざわざ言う必要があるか、考えるところ。「アメリカと戦争をしたのだけれど、漱石が留学していたその英国とも戦ったのだった」という句意になるのだろう。また、「英国と」だと、一句の中心が上五中七に傾いてしまい、漱石忌がどこかへ行ってしまうという配慮かもしれない。
(句帳から)
冬の影曳いて二台のベビーカー
ポプラ一列冬野と冬野隔てたる
一時間半も歩いて狩の宿