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第102回深夜句会(11/10) [俳句]

(清記用紙から)

猪が蚯蚓を掘りに来る御庭

季題「猪」で冬。蚯蚓も夏の季題だが、ここでは猪が一句の中心。山から現れた猪が畑のあれこれを食い荒らしたり、あちこちで悪さをするのだけれど、それが、名園といわれるようなお屋敷のお庭に入り込んで、蚯蚓を掘り散らかしている。いまそのお庭にいて、ここが猪に掘り返されたところです、などという話を聞いているところ。

「御庭」とすることで、単にそのへんの民家の庭先に入り込んだのではなくて、庭園として管理されているところとか、あるいは大きなお屋敷に付属する庭であることがわかる。そんなところまで猪が現れて、という気持ちの動きもあるのだけれど、それを表に出してあれこれ言わなくても、こんなところに猪が、という感じはよく伝わっている。

土嚢から草生えさらに帰り花

季題「帰り花」で冬。狂い咲きの意で、単に帰り花といえば桜の狂い咲きをさすのだけど、この句ではどうか。
大水のときにつまれた土嚢から芽が出て草が生え、「さらに」帰り花、としたことで、自分は「その草がさらに、ときならぬ花を咲かせた」と読んだのだけど、「草生え」でいったん切れて、さらに「桜の帰り花」ではないかとの指摘もあって、確かにそうとも読めるなあと。

鳩サブレ膝に小春の南武線

季題「小春」で冬。南武線といい鳩サブレといい小道具で読ませるのかと言われそうだけど、しいて解説しろと言われれば、東海道線や中央線とちがって短時間で乗り降りする人が多いことから、あわただしい中にも、紙袋を膝にのせてひと駅かふた駅電車に乗りながら、冬のはじめのよい天気をひととき愉しんでいると感じられる点だろうか。じゃあ「総武線」ではダメなのかといわれるとウーンなのだけど、少なくとも「五能線」はないことは了解されるわけで。


(句帳から)

忘れ物取りに戻つて今朝の冬
カフェの窓すこし濡らして夕時雨


第101回深夜句会(10/13) [俳句]

(選句用紙から)

雨だれの地に触るる音蚯蚓鳴く

季題「蚯蚓鳴く」で秋。地虫鳴くとか蚯蚓鳴くとかって、実際の虫の音というより、何かそのような音がするように感じられる、という趣旨なのだけど、ここで描かれている風景は、秋の雨が降り続いていて、その雨だれが地に「触れる」そのあるかないかの触れる音がずっと続いているのと呼応するように、蚯蚓の鳴く音が続いているように感じられる、という句意。巧みなのは、地を穿つ音とか地に跳ねる音とか(ぴちゃっという音)ではなく、あるのかないのかわからないような、地に「触るる」音、を持ってきたところ。どんな音なのであろうか、と読み手は一瞬考えるわけだけど、その「どんな音なのであろうか」がそのまま、蚯蚓鳴くにつながっていく。

かつて見し案山子を描いてくれにけり

季題「案山子」で秋。ちょっと入り組んだ状況で、目の前に案山子があるわけではなく、自分と話している誰かが、かつてどこかで見た案山子を絵に描いてくれた、ということか。その案山子が、よほど変った姿かたちをしていたのであろう。それがどんな形なのか一向にわからないところに弱点があるのだけど、広告の裏とかスケッチブックとかに風変わりな案山子の絵を描いて、自分のために説明してくれた、という一連の所作に感興を覚える、ということなのだろう。


(句帳から)

やや寒や街灯の下長電話
四十雀小学校の日曜日