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第83回深夜句会(3/19) [俳句]

いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」の店内は春らんまん。冬の間から続いてきた檸檬ケーキはまだいただけるが、これが終わると、もう冬より夏が近い。

(選句用紙から)

ドックより吐かれし水の温みたる

季題「水温む」で春。ドックは、船を入れてから門を閉じて水を抜き、船底をあらわにして修繕や改造全般を行うための大きな施設だが、ちょうど船が入渠したのであろう、ポンプか何かで中の水をどんどん外に吐き出していた、その吐き出していた水の感じが真冬のころよりはずっと温かい色に見える、というような風景。「吐かるる」でなく「吐かれし」で過去なのだけど、「温みたる」は現在。これはおそらく、「今吐かれたばかりの」ぐらいの感じだろうか。春の水にさまざまな色と形がある中で、ドックから吐かれた水、という大きな塊を見せたところにこの句の新味があるのではないか。

色あらばうすむらさきの春愁

季題「春愁」で春。もし春愁に色というものがあったならば、それは薄紫色であろう、という句意は明瞭でリズムもよい。「薄紫」が春の花の色、たとえば諸葛菜とか菫とかと響きあっているところがミソでもある。これが原色では、春愁にならないのですね。「愁い」を色に例えるとしたら、というこの句の眼目は、もしかすると類想類句があるかもしれないが、句会ではそれでもかまわないように思う。
では秋思は何色なのか、と考えるとちょっとすぐに思いつかない。澄んだ青とか紺色であろうか。

(句帳から)

芽柳の下に棄て舟ありにけり
花ミモザ黄色住宅展示場
ハンガーの形をとどめ古巣かな

フィリップ・ハイアム 無伴奏チェロ組曲全曲演奏会(3/14) [音楽]

このところ立て続けに無伴奏チェロ組曲を聴きにいく偶然。

ピリオド楽器について何も知らないのだけど、エンドピンがなくて膝ではさむのですね。プログラムによれば、1730年製テヒラーだそうで、もうすぐ300年になろうかという工作物が、骨董品としてガラスケースに入るのでなく、きちんと音楽を聞かせてくれるのは驚異ではないかと。

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(左側が5弦チェロ。武蔵野文化事業団のtwitterから借用)

これもプログラムによれば、第6番は鈴木秀美氏の5弦チェロ(18世紀初期・ドイツ製)で演奏される。いちばん後ろに近い席なので演奏者の手元がよく見えないのだけど、ちょっと考えただけでも弾くのが大変そう。A線側にもう1本追加したとすると、右手が大きく回り込むようにして弾かなければならないし、C線側だとすると、今度は左手の指を大きく伸ばさなければならないのでやはり苦しい。そもそも5本の弦の調性ってどうなっているのだろう。どちらかといえば高音を補強する需要のほうが大きそうだが、そうするとA線側にもう1本追加して、「E線」になるのだろうか。

(2015.3.14 武蔵野市民文化会館)

番町句会(3/13) [俳句]

(清記用紙から)

人の手の届きさうなる古巣かな

季題「古巣」で春。広辞苑で「古巣」をひくと、
「1. ふるい巣。年数を経た巣。雛を育て終って打ち捨てられた巣。」と
「2. 住み古した所。以前に住んでいたり勤めたりしていた所。」
のふたつの意味が載っていて、日常生活では2が多く使われたりしているのだけど、俳句ではむろん前者の意味で、もう崩れかけたような巣が、人の手の届きそうなところでぐずぐずになっているという風景。人の手が届きそうな、ということは、それほど高い場所ではなく、巣全体がだいたい見えているという位置関係も了解される。

すぐ下に小さき堰あり梅の花

季題「梅」で春。どんな梅の花であるかは描かれていないが、その梅の木が植わっているのは丘とか山の斜面なのであろうか、「すぐ」下に小さな堰があるというのである。そうすると、その堰には春の水がたまっていて、また、小さな堰に通じる小さな流れがあることになる。ことによると水面に枝や花が映っていたりするかもしれない。この「場所の感じ」が心地よく感じられる。つまり、その梅の花が、市街地にある住宅の庭とか生産緑地ではなく、深い山の中でもない、人里近い場所で咲いていることがわかるところに面白さがある。

(句帳から)

耕して銜へ煙草の爺と婆
駐めてゐた跡が四角に春の雨
濠端のなにかの礎石日脚伸ぶ
ミモザからこぼるるものもミモザ色

さそうあきら「マエストロ」(双葉社、2014) [本と雑誌]

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いいですね!

道具立てとして音楽を使うのではなく、音楽そのものへの踏み込みがある。音楽は理屈でつくるものではないので、ここで描かれている考え方に好き嫌いはあるかもしれないが、素人にもわかるように音楽の内面に立ち入ったストーリーを読ませてもらったことに感謝。ここで「内面に立ち入った」とは、その場面で演奏者にとって何が問題なのかということと、場合によってはその先にある(ように見える)芸術性にまで話が及んでいるということ。

惜しまれる点として、一つ一つのエピソードと全体の流れとの結びつきがやや弱く、ぽつんと孤立してしまっているエピソードがいくつかあること。ただ、それが気にならない推進力があって、一気に読ませる。3巻で終わってしまうのがもったいない。

第82回深夜句会(2/19) [俳句]

(清記用紙から)

如月の芝生に空のベンチかな
季題「如月」で春(陰暦二月)。公園であろうか、春まだ浅い広い芝生のまんなかにベンチが置かれていて、しかもそのベンチには誰も座っていない。「空のベンチ」の寒々しさが、寒さと温かさが入り交じった早春の空気とよく響きあっている。これが「霜月の芝生に空のベンチ」だったら、ああ寒いんですね、で終りだし、「水無月の芝生に空のベンチ」だったら、雨でも降っているんですか、となって、どちらも季節感がうまく伝わってこない。

春寒し川潤ひて川濁る
季題「春寒」で春。「川潤ひて」と来るので、ああなるほど、それで?と思わせておいて、しかし「川濁る」というオチの付けかたが意表をついている。しかし雪解け水が流れていく早春の川って事実こうだよね、という実感を喚起するわけで、技巧だけに陥らない、眼前の現実をよく見た句でもある。

(句帳から)

春浅き靴屋の奥に日の差して
鉄塔がぽんぽんぽんと冬の山
海苔桶のにほひ潮溜りのにほひ

ラフロイグ蒸留所200周年 [雑感]

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アイラ島の南海岸にあるラフロイグ蒸留所がどんな場所であるかについてはすでに多くの本が書かれ、また実際にウイスキーを味わうこともできるので、それ以上の説明は不要であろう。ここでは特に、この蒸留所がファンに向けて開設したウェブサイト(Friends of Laphroaigという)で述べている蒸留所の運営理念の一節を、さまざまな働きかたという観点から引用しておきたい。

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"There are 3 main ingredients for making Laphroaig — Barley, Water, and Yeast, but the secret ingredient is the People."

Laphroaig (La-froyg) is the story of a community. An uncompromising, tough and determined group of people who work to ensure that this defining whisky has over 200 years, remained true to its origins.

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アイラ島は小さな離島で、島に住むひとびとの大半は何らかの形でウイスキーづくりにかかわっている。だから、8つある蒸留所のどれかを訪ねると、次の日に他の蒸留所へ行って「きのう○○蒸留所に来てたでしょ」とか言われて面食らったりするのだけど、そういう小さなコミュニティで、長い時間をかけてつくられる製品にふさわしい、粘り強く地道な働き方も、またイギリス社会の一端であること(それも、比較的広く支持されている一端であること)を気にとめておきたい。