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第148回深夜句会(9/10) [俳句]

4月からWebに切り替えたのだけど、そのときには、ほんの1~2か月の緊急避難のつもりだった。それからもう半年。深夜まで開いていて、そこそこ安全そうなお店が、なかなか見つからない。

(選句用紙から)

変電所際に波打つ真葛かな

 季題「葛」で秋。葛の花も秋の季題だが、ここでは伸び放題に伸び広がった葛のようすを「波打つ」と詠んでいる。斜面や窪地などの葛を見ていると、もはやどこが根元なのかもわからないほど伸び広がり、折り重なって、まるで海のように空間を埋め尽くしていることがある。それが風に吹かれているさまは、なるほど「波打つ」なのかもしれない。
 加えて、この句が成功しているのは、それが「変電所」つまり、無人の大きな建物の「際」にあるというところ。多くの人が頻繁に出入りする建物であれば、隣地の葛もどこかに片付けられてしまうかもしれない。しかし、変電所は、大きくかつ重要な建物でありながら無人なので、葛は顧みられることもなく伸び放題になって、敷地境のフェンスにまで這い登っているのかもしれない。変電所「裏」とか「横」とか言わず、「際」として、境界まで葛が攻めかかろうとする勢いを示した点も巧み。

ゴーヤーの影青々と保健室

 季題「苦瓜」で秋。グリーンカーテンなどという言葉もあるように、夏の暑熱を遮るため、よしずのように蔓性の植物を育てることが近年勧められているが、ここではそれが、学校の保健室の外で育っている。網かなにかを掛けて、そこにゴーヤーを這い登らせているのだろう。ゴーヤー自体でなく、その「影」が青々としている、という観察もさることながら、それが「職員室」や「用務員室」ではなく、それほど人の出入りのない「保健室」(=繁茂しても邪魔扱いされない)だというところが、いかにもそれらしい。

秋夕焼色新調す世界堂

季題「秋夕焼」で秋。単に夕焼といえば夏だが、秋夕焼となると、華やかさとか力強さの代わりに、より淡くて繊細な色合いの夕暮れが想像される。こうした空の色の表現は、日本語にもどの言語にもたくさんあるのだろうが、ここでは、それが絵具の名前になっていて、その絵具を画材店へ買いに行くという設定になっているのがちょっとファンタジー風味とでも言うのか、面白い。それも「夕焼色」なら実在しそうなところ、あえて「秋夕焼色」だというのだ。それなら冬夕焼色とか、(夏の)夕焼色もあるのだろうか、などと突っ込みたくなる楽しさがある。ただ、少し情報量が多すぎて窮屈になってしまっているので、「秋夕焼色の絵具を買い求め」ぐらいでもいいのではないだろうか。

(句帳から)


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