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小野寺史宜『食っちゃ寝て書いて』(角川書店、2020) [本と雑誌]

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 大活劇が好きな人には、何も起こってなくてつまらないと言われそうだが、一見何でもないことを積み重ねていって、人の深いところにある何かが少しずつ見えたり変わったりし始めるところがいい。高浜虚子が「ボーッとした句やヌーッとした句を希求する」と公言していたことを思い出す。

ただし、腰巻きの「大人の青春小説」「再生の物語」という惹句はいただけない。そういうどぎつい表現や、これを「再生」と捉えるような思考を否定したいのが、横尾成吾の本領(この本の主旨)なのではないかしら。たとえば、横尾と弓子のこんな会話。

(以下引用)
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「限りなく拒否に近い保留、くらいには思ってていいのか?」
「拒否って言葉はキツいわね。だったらただの保留でいいわよ」
「永遠の保留だ」
「永遠の保留。それ、小説のタイトルにすれば?」
「カッコ悪いよ。永遠なんて言葉、おれ、小説で一度もつかったことないんじゃないかな。少なくとも、そんなふうにカッコをつける感じではつかってない」
「そこが横尾の小説のいいとこだよね。わたし、横尾と知り合いではなかったとしても、横尾の小説は読んでたと思うよ。好きになってたと思う。」
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(以上引用終わり)

また、終わり方も(面白い工夫があるが)やはり何も大事件は起こらないながらにいい終わり方でほっとする。こういう着地のしかたもあるのですね。

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