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井田良・佐渡島紗織・山野目章夫『法を学ぶ人のための文章作法』(2016、有斐閣) [本と雑誌]

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本のタイトルは『法を学ぶ人のための…』だが、むしろそれ以外の人が読むべき内容かと。なぜならば、法を学ぶ人は遅かれ早かれ司法試験で文章力が試されるのに対し、それ以外の大多数のひとびと(藪柑子もその中に含まれる)は、文章作法のトレーニングをする機会もほとんどないまま社会に放り出されるわけで、しょうもないハウトゥー本を読むくらいなら、本書のほうがずっと役に立つのでは。

強く印象に残ったのは、「段落の用い方」という箇所(PartⅢ-4)に出てくる著者のつぶやきである(この章は、山野目先生が書かれている)。

(以下154ページから引用)
本当は,「どこで改行するかをよく考え……自覚的に段落の機能を設定する必要がある」(→PARTⅡ2)。喫煙者自身の健康への影響と,受動喫煙とを段落を改めて論ずることは意味があるにちがいない。否,段落の取り方は,それしかないであろう。イ・ウ・エを改行しないで続け1つの段落とし,その忍耐の後に,今度はオ・カ・キを1つにまとめる,ということすらできない,ひ弱な知性の若者たちに場合によっては司法権力を委ねなければならないとしたら,それは,私たちの文明の大問題ではないか。
(以上引用終わり)

文の終わりで、ここで改行するか?それとも意味上のまとまりを考えて改行せずに続けるか?という選択は、書き手の側では常に発生するのだけど、それを読んで採点する側は、ここまで熱意をもち、またつきつめて考えているのですね。幸か不幸か、藪柑子は若者ではなく、また司法権力を委ねられる心配も皆無なのだけど、そうであっても、こういう惰弱なブログを開設して、明確でも合理的でもない文章を、段落の設定も考えずに適当につづっていると、やがて地獄送りになりそうである。反省。


もう一つ、これは内容自体の適否というよりその例えの重さに遠い目になってしまうのが、イントロダクション(この部分は、井田先生が書かれている)で、こんな表現がある。

(以下3ページから引用)
よく知られた喩えをここで借用すれば、皆さんはすでに大海原をそれぞれの船で航海中なのです。いま致命的ともなりかねない船の不具合を発見したのですが、これから港のドックに戻って修理している時間はありません。それに、出発した港がどこにあるか、もう遠くてわからないのです。むしろ目標を目指して公開を続けながら、海上にて皆さんの大事な船を修理していこうではありませんか。本書はまさにそのために役立ってもらいたいと思っています。
(以上引用終わり)

一段落まるまる引用してしまったのだけど、なかほどの「それに、出発した港がどこにあるか、もう遠くてわからないのです。」という一文に、じわじわと来るものがあるのですね。おっしゃるとおり、もう遠くてわからない上に、わかったとしても引き返せないのですよ。自分がトシだからそう思うのかもしれないのだけど。

ともかく一読をおすすめしたい一冊。






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