SSブログ

比類なきラビリンス(三浦しをん「私が語り始めた彼は」) [本と雑誌]

「風が強く吹いている」を読んだときにも思ったのだが、「対象自体を説明するのでなく、その隣や横にあるものとの『関係』を通じてそれを説明しようとする」のがこの作者の流儀なのだろうか。「客観的な「それ自体」などというものはなく、関係の中においてしか人は存在しえない」というメッセージにも読める。

私が語り始めた彼は.jpg

そうであってもなくても、ここに描かれた世界と、その描かれ方の両方において、ためいきが出るほどの力を感じさせる(って、直木賞作家なんだから私がいまさら言うのもなんだけど)。読みながら正直、「どういう訓練をすれば、こういう文章が書けるのだろう?10歳や15歳や20歳の三浦しをんは、どんな文章を書いていたのだろう?」と考えてしまうほどすごい。いやもう、「私を信じなさい」と言われたらそのままついていってしまいそうな(笑)。

ここに出てくる人々のからまり方は、非常に周到に設計されていて、読むほうが前後を考えながら読むわけなんだが、「ああ、あのときのあれがこちら側ではこれになるのか」などと考えて読むのが苦にならないほどよくできた小説。できごとを時系列で並べなおして一覧表をつくったら、ぐちゃぐちゃにからまりあってラビリンスみたいな一覧表になりそう…というか、はじめにそういう設計図をつくってから書くのだろうけど、その構想力ってすごいなあ。感嘆するのみ。

(ネタバレ注意)この物語のキーになる人物のひとり、村川の妻には名前がない。三崎との会話でもあえて名前は明かされないし、結局最後までわからない(従って、最後の章では「あのひと」になっている)。名前というタグすら付与せずにその本質を読者に考えさせるのは、村上春樹「国境の南、太陽の西」の島本さんと同じだよな。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0