2009年6月13日 [音楽]
きょう6月13日は、1939年6月13日にパブロ・カザルスがバッハの無伴奏チェロ組曲を録音してから、ちょうど70年にあたる(この日録音されたのは、第4番と第5番)。
現代の演奏スタイルからすれば、「ブーレもサラバンドもガヴォットも舞曲なんだから、もっとそれらしく弾かないと」とか、「バッハの時代のチェロはこんなじゃなかった」とか「この時代の楽譜には演奏についての細かい指示がないことが多いが、バッハ自身の作曲意図はこのようなものだった」とか、さまざまに研究とか工夫とか意匠が凝らされているわけだけど、それらはいわば、学問的成果であって(価値がないというのではなく、芸術性とは価値の尺度が別ということ)、1939年には、バッハやその時代、またこの曲自体についても大した情報がなかったわけだから、そのことは考慮しなければいけないだろう。
それにもかかわらず、この録音(この曲の世界初録音であろう)が70年後の今も生き延びている、いゃ、骨董品的に生き延びているのではなく敬意をもって扱われていることは異例であり、その理由を求めるにはやはり、テクスト論的でない解釈が必要だろう。
無伴奏チェロ組曲全6曲の録音は1936年から開始されていて、この第5番(と第4番)が最後の録音にあたる。
時間順に並べ直すと、
1936年11月23日 第2番(BWV1008)・第3番(BWV1009) ロンドン
1938年6月2日 第1番(BWV1007) パリ
1938年6月3日 第6番(BWV1012) パリ
1939年6月13日 第4番(BWV1010)・第5番(BWV1011) パリ
という順番になる。
この3年間は、カザルスにも欧州にも激動の3年間だった。
3年前の1936年7月18日に始まったスペイン内戦はこの年最終局面を迎え、1月にはバルセロナが、3月にはマドリードがフランコ軍の手に落ち、事実上の終結を見ることになる。人民政府の樹立からわずか3年、最後は、10万人ともいわれるカタロニア人が、フランコ政権による弾圧を逃れるため雪のピレネー山脈を越え、難民としてフランスに殺到するという悲劇的な結末だった。カザルス自身もこのとき、ピレネーの北にあるプラドに移り、終生カタロニアに戻ることはなかった。
1939年6月のその日、パリのスタジオに漂っていた空気と、この録音が無関係であるとは思えない。
SPレコードのどこにもそんな事情は書かれていないだろうけど、この録音がラジオに乗って、空襲下のロンドンや占領下のオスロでどのように聴かれていたかといえば、反ファシズムのメッセージと共和国政府へのレクイエム以外の何物でもなかろう。もちろん、スペイン内戦の内実だってそれほど単純な善と悪との戦いでなかったことは、オーウェルの「カタロニア賛歌」とか読めば明らかなわけだが、この際目をつぶることにして。
イマドキのスタンダードからすれば異様なまでの荒々しさと深い精神性をたたえたこの録音は、それから70年、無数の人々を慰め、励まし、叱咤してきた。その意味でこの演奏は、人類の財産であって、それ以外の録音と普通に比較することができないように思われる。背負っているものによって演奏が評価されるのはおかしいが、音楽は文明の上に浮かび、文明は歴史の上に浮かんでいることは動かしようがないのだから、背負っているものが忘れ去られ、「スペイン内戦って何ですか?」とか「第二次大戦って、誰と誰が戦争してたんですか?」とか言い出されたら、そのチェリストがこの曲をどう弾いても、それはもうバッハじゃなくなってしまう。
演奏のなかで特に惹かれるのは第5番のガヴォットだ。
鈴木秀美がカザルスのこの演奏を「岩のようなガヴォット」と評しているのも、ガヴォットらしくないから、つまりもともとガヴォットはフランス南東部オート=アルプ県のギャプ(Gap)地方の山人の踊り=明るく軽やかなものという通念があるからで、事実、いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」で2008年の春にしばしばかかっていたクニャーゼフの演奏は、もっとすっきりしたものだった。また、「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」や「フランス組曲」のガヴォットも、すべての録音がそうではないだろうが、いかにも舞曲であるように聞こえる。
それらの演奏にくらべると、カザルスのガヴォットは全然ガヴォットには―つまり、舞曲であるようには―聞こえないわけだが、その異様さこそカザルスの真骨頂ともいえる。「そんなことは知らない。この曲はこういうメロディーなんだから、それを思い切り歌うんだ!」というわけで、これは後年、指揮者としてのカザルスが残した録音(たとえばマールボロ音楽祭でベートーヴェンの第7番を指揮した録音とか)にも通じる特徴である。曲の構造を怜悧に腑分けしていくグールドの演奏とかとスタイル的には対極なんだが、どちらも独特のロマンチシズムが漂っているのは不思議だ。
現代の演奏スタイルからすれば、「ブーレもサラバンドもガヴォットも舞曲なんだから、もっとそれらしく弾かないと」とか、「バッハの時代のチェロはこんなじゃなかった」とか「この時代の楽譜には演奏についての細かい指示がないことが多いが、バッハ自身の作曲意図はこのようなものだった」とか、さまざまに研究とか工夫とか意匠が凝らされているわけだけど、それらはいわば、学問的成果であって(価値がないというのではなく、芸術性とは価値の尺度が別ということ)、1939年には、バッハやその時代、またこの曲自体についても大した情報がなかったわけだから、そのことは考慮しなければいけないだろう。
それにもかかわらず、この録音(この曲の世界初録音であろう)が70年後の今も生き延びている、いゃ、骨董品的に生き延びているのではなく敬意をもって扱われていることは異例であり、その理由を求めるにはやはり、テクスト論的でない解釈が必要だろう。
無伴奏チェロ組曲全6曲の録音は1936年から開始されていて、この第5番(と第4番)が最後の録音にあたる。
時間順に並べ直すと、
1936年11月23日 第2番(BWV1008)・第3番(BWV1009) ロンドン
1938年6月2日 第1番(BWV1007) パリ
1938年6月3日 第6番(BWV1012) パリ
1939年6月13日 第4番(BWV1010)・第5番(BWV1011) パリ
という順番になる。
この3年間は、カザルスにも欧州にも激動の3年間だった。
3年前の1936年7月18日に始まったスペイン内戦はこの年最終局面を迎え、1月にはバルセロナが、3月にはマドリードがフランコ軍の手に落ち、事実上の終結を見ることになる。人民政府の樹立からわずか3年、最後は、10万人ともいわれるカタロニア人が、フランコ政権による弾圧を逃れるため雪のピレネー山脈を越え、難民としてフランスに殺到するという悲劇的な結末だった。カザルス自身もこのとき、ピレネーの北にあるプラドに移り、終生カタロニアに戻ることはなかった。
1939年6月のその日、パリのスタジオに漂っていた空気と、この録音が無関係であるとは思えない。
SPレコードのどこにもそんな事情は書かれていないだろうけど、この録音がラジオに乗って、空襲下のロンドンや占領下のオスロでどのように聴かれていたかといえば、反ファシズムのメッセージと共和国政府へのレクイエム以外の何物でもなかろう。もちろん、スペイン内戦の内実だってそれほど単純な善と悪との戦いでなかったことは、オーウェルの「カタロニア賛歌」とか読めば明らかなわけだが、この際目をつぶることにして。
イマドキのスタンダードからすれば異様なまでの荒々しさと深い精神性をたたえたこの録音は、それから70年、無数の人々を慰め、励まし、叱咤してきた。その意味でこの演奏は、人類の財産であって、それ以外の録音と普通に比較することができないように思われる。背負っているものによって演奏が評価されるのはおかしいが、音楽は文明の上に浮かび、文明は歴史の上に浮かんでいることは動かしようがないのだから、背負っているものが忘れ去られ、「スペイン内戦って何ですか?」とか「第二次大戦って、誰と誰が戦争してたんですか?」とか言い出されたら、そのチェリストがこの曲をどう弾いても、それはもうバッハじゃなくなってしまう。
演奏のなかで特に惹かれるのは第5番のガヴォットだ。
鈴木秀美がカザルスのこの演奏を「岩のようなガヴォット」と評しているのも、ガヴォットらしくないから、つまりもともとガヴォットはフランス南東部オート=アルプ県のギャプ(Gap)地方の山人の踊り=明るく軽やかなものという通念があるからで、事実、いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」で2008年の春にしばしばかかっていたクニャーゼフの演奏は、もっとすっきりしたものだった。また、「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」や「フランス組曲」のガヴォットも、すべての録音がそうではないだろうが、いかにも舞曲であるように聞こえる。
それらの演奏にくらべると、カザルスのガヴォットは全然ガヴォットには―つまり、舞曲であるようには―聞こえないわけだが、その異様さこそカザルスの真骨頂ともいえる。「そんなことは知らない。この曲はこういうメロディーなんだから、それを思い切り歌うんだ!」というわけで、これは後年、指揮者としてのカザルスが残した録音(たとえばマールボロ音楽祭でベートーヴェンの第7番を指揮した録音とか)にも通じる特徴である。曲の構造を怜悧に腑分けしていくグールドの演奏とかとスタイル的には対極なんだが、どちらも独特のロマンチシズムが漂っているのは不思議だ。
2009-06-13 00:59
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コメント(4)
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チェロ無伴奏組曲ですか いいですね! この前 Nきょうでミクローシュ・ペレー二さんという人がドボルザーク・チェロ協奏曲ロ短調 を弾かれてましたがすばらしかったと思います。また、CDでも買いに行こうと思ってます。
話し変わって、今日(13日)の夜、スペース・シャトル・エンデバーが飛ぶ予定です。下記で見れます。時間は日本時間の夜8:17分です!すでにカウントダウンははじまってます。
http://www.nasa.gov/multimedia/nasatv/index.html
あと15時間18分で Go Endeavour !! (^^)/
船外活動も見れますょ。来週はまた寝不足になるでしょう・・・
by いっさ (2009-06-13 04:59)
ご無沙汰しています。
最近チェロはあまり聴いていませんが、無伴奏はとてつもなく良いですね。実は一週間前に勤め先の倒産、全員解雇という事実があり、今まで経験した事のない日々を過ごしました。営業の責任者だったのでやるべき事は山のようにあり、あるけれどもできる事は実際には限られており、文字通り眠れない日々が続きました。
部下の再就職が一番気になりますが、まだまだ決まらない人も多く、暫くは携帯電話が大活躍するでしょう。
倒産が発表された夜に聴いたのが、前橋汀子さんの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番でした。シャコンヌは大好きで色々な演奏を聴いていますが、汀子さんの演奏は情念とでも言うべきものが感じられて好きです。
倒産という重く感じられる事実が、実はたいした事ではないと気づかせてくれたようにも思います。
又、元気を出したい時に聴くのはベートーヴェンのピアノ・ソナタ「熱情」で、ホロヴィッツのCDに頼っています。
何としてでもこの状況を良い方向へ向けてみせるという強い意思を、音楽に後押ししてもらおうと思っています。何とも俗っぽい話で恐縮ですが、今は本当にそう感じ音楽・バッハに感謝しています。
by 和声 (2009-06-13 06:12)
いっささん、おはようございます。
ドボルザークのチェロ協奏曲も、カントリー風味満開というか、そのメロディーには日本人の琴線にふれるものがありますよね。
無伴奏チェロ組曲は、たぶん一生つきあえる曲(それも、いろいろな場面でいろいろな形で)だと思うので、ぜひ一度聴いてみてください。
エンデバー、私もチェックしてみます。ありがとうございます。
by やぶ (2009-06-13 09:04)
和声さん、ごぶさたしています。
そうですね、バッハにしてもカザルスにしても、そこにあるのは強固な意志であり、かつそれが独りよがりにならず、聞き手の心にすうっと入ってきて心のなかで慰藉や激励になっていくところがありますね。いままでクラシックファンとして仕えてきたミューズの神が、こんどは和声さんを応援してくださるのではないでしょうか。
倉嶋厚さんには「明けない夜はない」のもじりで「やまない雨はない」という名言がありますが、本当に、なかなかやまない雨も、いつかはあがると私も信じたいですね。
また句会でお目にかかる日を楽しみにしています。
by やぶ (2009-06-13 09:13)